ブランデーグラス 石原裕次郎
作詞家・山口洋子さんが亡くなった。今日の新聞はお休みで昨日のネットニュースで報じられた。直木賞作家でもあったらしい。Wikiで見るとたくさんの本を出しておられる。
作詞された石原裕次郎の「ブランデーグラス」は、私の若い頃の十八番だった。
わたしは16歳中学卒で臨時作業員として就職し、2年後本採用され夜間の高校へ行き、26歳で岐阜へ出て名古屋勤務も出入り2期8年を経験し、晴れて管理職となってふるさと勤務で転勤できた。
42歳の春になっていて妻と長男は中学へ入学する年、二男は小学生だった。
ふるさとを体験してほしいと、小さな持家を持ってすぐだったが、敢えて単身赴任せず妻子を連れて転勤し社宅にお世話になった。
その頃のお酒は美味しく、毎晩のようだった。二次会には高山市の歓楽街にあった「さざんか」という、バーなのかクラブへ足繁しく通った。その時よく歌ったのが「ブランデーグラス」だった。ママはベテランで行くとわたしの歌はこの歌と決めつけていた。ママは越地吹雪の「サン・トワ・マミー」が絶品だった。またママの妹が勤め先の先輩の旦那で高校の先輩でもあった。
この妹さんがいい年増なのに、厚化粧して何人かの同僚と和服でお酌してくれた。
お金が無かったときは「これだけでお願い」と置いてきた。ある時先輩があの店へ行って500円ぽっきりで飲んでくる強者はお前だけだと説教された。
でも、義理堅く行ったのでママは許してくれたよ。
この歌が山口洋子の作詞で、五木ひろしの「よこはまたそがれ」の作詞をした恩人だったのか。売れない歌手五木ひろしを世に出し、彼の述懐では“山口さんに一番言われたのは「あなたは、これでもかとモテる男でないといけないの。それと同時に、隣のお兄ちゃんでなくてもいけないの」ということでした。”とある。山口さんは銀座「姫」のママでもあって著名人で繁盛したとあるから、女の目で見る男という生き物、すなわちオスというものを芯から熟知していた人だったのだろうと五木への言葉に出ている。わたしより1歳下だった。
サン・トワ・マミー 越路吹雪