長刀鉾
くじ取らず
鉾
鉾頭に疫病邪悪を祓うという三条小鍛冶宗近作の長刀が付けられていたことからこの名がある。
現在は竹製のものが付けられ、実物は秘蔵されている。
古来、前祭の先頭を行く。
唯 一生稚児(人間の稚児)が二人の禿とともに乗る鉾で、巡行中は「太平の舞」が披露される。
長刀鉾町 四条通東洞院西入
2
今年の山一番
油天神山
別名 牛天神山
伝承によれば、御神体は町名の由来ともなっている公家・風早家伝来の天神像 (菅原道真)。
油小路通にあることから油天神山と呼ばれ、また勧請された日が丑の日であったことから、 牛天神山とも呼ばれる。
普段、天神像は町内の火尊天満宮に祀られている。
下京区風早町
3
伯牙山
中国の周時代の名人・伯牙が、自分の琴の理解者である友人鍾子期の死を悲しんで、 斧で断ったという故事に取材している。
重要文化財に指定されている杉本家住宅で 山期間中は会所飾りがあり、住宅内部も公開されている。
下京区 綾小路通新町西入 矢田町
4
白楽天山
唐の詩人白楽天が道林禅師に仏法の大意を問う場面を表わす。
道林禅師は「諸悪莫作 行(よいことをして、悪いことはするな)と答えた。
白楽天がそんなことは三歳の子 供でも知っていると言うと、道林禅師は八十歳の老翁でも成し難いと返した、という伝説に 取材している。
下京区室町通綾小路下ル白楽天町
5
函谷鉾
鉾
くじ取らず
孟嘗君が鶏の鳴きまねによって函谷関を脱出したという中国の故事による。
屋根裏の天井絵は今尾景年筆・金地着彩鶏鴉図。
かつて前に使用されていた十六世紀末ベルギー製のタペストリーは祇園会函谷鉾飾毛綴として重要文化財に指定されている。
意匠は、旧約聖書第二十四章イサクの嫁選びの物語から描かれたもの。
下京区 四条通烏丸西入 函谷鉾町
6
山伏山
山伏姿のご神体を祀る。
八坂塔が傾いた時、 法力によってそれを戻したという浄蔵貴所の大峰入りの姿を表わしている。
聖護院の山伏が巡拝、八坂神社による清祓と六角堂による祈祷もなされ、神仏習合の姿が見られる。
中京区室町通知薬師下ル 山伏山町
7
綾傘鉾
二基の傘鉾のうち、 こちらは綾小路通にあることから綾傘鉾と呼ばれている。明治時代に絶えていたが、昭和五十四年(一九七九)に再興された。
特徴である棒振り囃子は壬生六斎念仏保存会によって演じられている。
二つの大傘が出て、一つに御神体とされる鶏が乗る巡行では生稚児六名が徒歩で参加する。
綾小路通新町東入 善長寺町
保昌山
別名 花盗人山
藤原 (平井) 保昌と和泉式部の恋物語に取材。
保昌が式部のために紫宸殿の紅梅を手折ってくる姿を表わしていることから、花盗人山の名もある。
その由来から縁結びのお守りを授与する。
山鉾町の中では保昌山だけが少し離れて、最も南東に位置する。
下京区東洞院通松原上ル

中国の堯時代に天下がよく治まり、訴訟用の太鼓(諫鼓)も用がなくなり苔が生えて鶏が宿ったという故事による。
鉾頭は、三角形の中に円形。
かつて見送に使用されていた十六世紀ベルギー製のタペストリーは、祇園会鶏鉾飾毛として重要文化財に指定されている。
意匠は、叙事詩イーリアスより「トロイの王子と妻子の別れ」を描いたもの。
下京区室町通四条下ル

霰天神山
別名 火除天神山 錦天神山
昔、京都に大火がおこった時、霰と天神像 (菅原道真)が降ってきて鎮火したとされ、火除天神山の名がある。
この時に降ってきた天神像を祀る。
その由来により、雷除け、火除けのお守りが出されている。
中京区錦小路通室町西入天神山町

芦刈山
山
謡曲「芦刈」に取材した名。
妻と別れ、難波の里で芦刈をする老翁の人形を祀る。
天正十七年(一五八九)の銘を持つ綾地締切蝶牡丹文片身替小袖は山鉾で使われていた衣装とし は現存最古で、重要文化財に指定されている。
下京区綾小路通油小路東入 芦刈山町

孟宗山
別名 筍 山 たけのこ
山
病身の母が真冬に筍を欲しがり、雪の中を探し回ってついに筍を掘りあてた孝行息子の孟宗の姿を表わす。
中国の史話 「二十四孝」に取材。
御神木の松には、雪を模した綿が付けられている。
中京区烏丸通錦小路下ル

山鉾三十三基の中でも最も大きく、重い絆で、平成二十年に山鉾重量の計測が行われた際 一一.八八トン (囃子方の体重、懸装品など含む)であった。
鉾頭に新月型(みかづき)を付け天王座に月読尊を祀っていることからこの名がある。
屋根裏の金地彩色草花図は円山応挙の筆。
下京区四条通室町西入月町

太子山
四天王寺建立の折、 聖徳太子自ら山に入って良材を求め、霊験によって杉を得て、六角堂が 造営されたという故事に由来している。
太子山だけは松ではなく、真木に杉を立てている。
少年の聖徳太子像を飾る。 秦家住宅で会所飾りが行われる。
下京区油小路通仏光寺下ル 太子町

四条 傘鉾
二基の傘鉾のうち、四条通にあることから四条傘鉾と呼ばれている。
明治時代に途絶えていたが昭和六十三年(一九八八)に再興された。
披露される子供棒振り踊りは、樹神社 (滋賀県甲賀市)に伝わるケンケト踊りを元に蘇らせたもの。
傘の上に御幣と若松を飾って いる。
四条通百利院西入

蟷螂とはカマキリのこと。
自らの力量をかえりみずに強敵に抵抗することを「蟷螂の斧」 といいその中国の故事から取材している。
山鉾の中で唯一、からくりが施されており、カマキリと御所車の車輪が動く。
再三の大火に遭い、久しく巡行に参加できていなかったが、昭和五十六年(一九八一)に再興され、約百年ぶりに巡行に復帰した。
中京区 西洞院通錦小路下ル

かつて町内にあった菊水の井戸にちなむ。
鉾頭に金色の菊花を付け、祀る人形も菊慈童。 唐破風の屋根が付いているのが特徴。
元治元年(一八六四)の禁門の変(蛤御門の変)で大部分を焼失し休みであったが、昭和二十七年(一九五二)に再興した。
中京区室町通四条上ル菊水鉾町

木賊山
世阿弥の謡曲「木賊」は、信濃国伏屋の里で人にさらわれたわが子を想いながら木賊を刈って暮らすが、ついには父子の再会を果たす物語。
その謡曲に取材した木賊山は、一人木賊を刈る翁を表わす人形が祀られる。
その由来から、迷子除けのお守りが出されている。
下京区仏光寺通西洞院西入木賊山町

郭巨山
別名 釜掘り山
貧窮のため、母と子を養えない郭巨が、子はまた授かっても母は二度と授かることはないと、子供を土にうめようとしたら黄金の釜を掘り当てたという、中国の史話 「二十四孝」に取材している
下京区四条通西洞院東入郭巨山町

占出山
別名 點釣山
神功皇后が肥前国松浦川で鮎を釣り、戦勝を占ったという説話を表わす。
神功皇后は安産 の神ともされる。占出山のくじの巡行順が早いと、その年のお産は安産であるといわれる。
中京区錦小路通室町東入占出

放下鉾
別名 洲浜
天王座に放下僧(僧形の雑芸者)を祀っていることに由来。
日・月星の三光を象徴する洲浜型の鉾頭が付くことから洲浜鉾とも呼ばれる。
稚児人形は、関節が動く仕掛けになっており、鉾上で生稚児同様に稚児舞が奉納される。
中京区新町通四条上ル

前祭では唯一の曳山で鉾柱の代わりに屋上に真松を立てている。
天の岩戸伝説に由来している。
三体の御神体の人形があり、屋内に天照大神と手力雄尊(戸隠大明神)を祀り、 屋根の上に伊弉諾尊を安置している。
下京区新町通仏光寺下ル 岩戸山町

船鉾
前祭の最後を行く。
鉾全体が船の形をしており、神功皇后の出陣説話による名前。
皇后と 従する住吉明神、鹿島明神、龍神安優良の三神像を安置する。
舳先に金色の には飛龍文の舵が付いている。
占出山と同じく、 安産のご利益がある。
下京区新町通綾小路下ル船鉾町
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