日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、
われらとわれらの子孫のために、
諸国民との協和による成果と、
わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、
政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、
ここに主権が国民に存することを宣言し、
この憲法を確定する。
そもそも国政は、
国民の厳粛な信託によるものであつて、
その権威は国民に由来し、
その権力は国民の代表者がこれを行使し、
その福利は国民がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり、
この憲法は、
かかる原理に基くものである。
われらは、これに反する一切の憲法、
法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、
恒久の平和を念願し、
人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、
平和を維持し、
専制と隷従、
圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめてゐる国際社会において、
名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、
全世界の国民が、
ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、
いずれの国家も、
自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、
政治道徳の法則は、
自国の主権を維持し、
他国との対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、
国家の名誉にかけ、
全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
********************************
日本国憲法の前文です。私は、今回、この前文を(たぶん)初めて読みました。
もしかしたら、どこかで読んだことがあるかもしれないけど、記憶にないです。
この前文を読んでみて思ったことは、まず、文章が2つに分かれるのではないかと思いました。
最初は、「日本国民は」から「法令及び詔勅を排除する」までと、
次に「日本国民は」から最後の「全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」までかなと。
最初の文は「国民主権」のことが書いてあるのかなと思いました。
今となっては、当たり前のことが書いてあると思うのですが、出来たばかりの頃は、もしかしたら一般市民には、
どういうことなのかわからなかったかもしれないなと思いました。
ここには、「人類普遍の原理」が書いてあるのですね。
最初の方が「人類普遍の原理」だとしたら、後半の方は「人類普遍の理想」が書いてあるのかなと思いました。
文章の中に「人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって」とあるのですが、
これって、人間というのは、何かに支配されるワケであって、それが「崇高な理想」が望ましいということかな?
その「崇高な理想」とはナニかなと思ったワケで、それは、「「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」なのかなと
思ってみた。
で、よく考えてみると、この3原則って、三つに分かれているけど、結局は一つではないのかなと思った。
それぞれがそれぞれの意味をなすのかなって。
三原則って、一言で言ってしまうと「愛」かなとも思ったんですよ。でも、「愛」といってしまうと抽象的な感じかなと思った。
そういえば、話はそれますが、「ハーバード白熱教室」というテレビ番組で「愛国心は義務か正義か」と言っていたんですよ。
それは自由だと思うのですが、それが「義務」になると歪むのかなぁと思って。
もう一つの「正義」は、まだ正義のはっきりとした意味がわからないので、なんとも言えない。
この「白熱教室」の本が、今、出ていますよね。本屋さんに並べられています。
「これから正義の話をしよう」そのタイトルが目に飛び込んできました。
日本国憲法に戻りますが、後半の文章の中に「名誉ある地位を占めたいと思ふ」とあるのですが、なんか、どうかなとも思うのです。
名誉や地位があっても全然いいと思うのですが、なぜ「名誉ある地位を占めたいと思ふ」なのかなと思って。
なんか、別の言い方がありそうな気もしないのですが。。。
あと、「日本国民は」とあるのですが「われらは」ともあるのです。この「われらは」は、日本国民はもちろんのこと、
「地球人類」をさしている感じもあります。
グローバルっぽいことも書かれてありますよね。地球規模でみていくということ。
それは「政治道徳の法則」であり「普遍的なものである」ということでしょうか。
この前文を読んでみて最終的に思ったのは、「人のあり方」が書いてあるのかなと思った。
「人は、理想を持って生きていくのだよ」って。この中では「崇高な理想」になるのかな。
なんというか、ここに書いてあるのは、一つの物語なのかなって。
あるストーリーが書かれてあるのかなと思った。
われらとわれらの子孫のために、
諸国民との協和による成果と、
わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、
政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、
ここに主権が国民に存することを宣言し、
この憲法を確定する。
そもそも国政は、
国民の厳粛な信託によるものであつて、
その権威は国民に由来し、
その権力は国民の代表者がこれを行使し、
その福利は国民がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり、
この憲法は、
かかる原理に基くものである。
われらは、これに反する一切の憲法、
法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、
恒久の平和を念願し、
人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、
平和を維持し、
専制と隷従、
圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめてゐる国際社会において、
名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、
全世界の国民が、
ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、
いずれの国家も、
自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、
政治道徳の法則は、
自国の主権を維持し、
他国との対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、
国家の名誉にかけ、
全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
********************************
日本国憲法の前文です。私は、今回、この前文を(たぶん)初めて読みました。
もしかしたら、どこかで読んだことがあるかもしれないけど、記憶にないです。
この前文を読んでみて思ったことは、まず、文章が2つに分かれるのではないかと思いました。
最初は、「日本国民は」から「法令及び詔勅を排除する」までと、
次に「日本国民は」から最後の「全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」までかなと。
最初の文は「国民主権」のことが書いてあるのかなと思いました。
今となっては、当たり前のことが書いてあると思うのですが、出来たばかりの頃は、もしかしたら一般市民には、
どういうことなのかわからなかったかもしれないなと思いました。
ここには、「人類普遍の原理」が書いてあるのですね。
最初の方が「人類普遍の原理」だとしたら、後半の方は「人類普遍の理想」が書いてあるのかなと思いました。
文章の中に「人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって」とあるのですが、
これって、人間というのは、何かに支配されるワケであって、それが「崇高な理想」が望ましいということかな?
その「崇高な理想」とはナニかなと思ったワケで、それは、「「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」なのかなと
思ってみた。
で、よく考えてみると、この3原則って、三つに分かれているけど、結局は一つではないのかなと思った。
それぞれがそれぞれの意味をなすのかなって。
三原則って、一言で言ってしまうと「愛」かなとも思ったんですよ。でも、「愛」といってしまうと抽象的な感じかなと思った。
そういえば、話はそれますが、「ハーバード白熱教室」というテレビ番組で「愛国心は義務か正義か」と言っていたんですよ。
それは自由だと思うのですが、それが「義務」になると歪むのかなぁと思って。
もう一つの「正義」は、まだ正義のはっきりとした意味がわからないので、なんとも言えない。
この「白熱教室」の本が、今、出ていますよね。本屋さんに並べられています。
「これから正義の話をしよう」そのタイトルが目に飛び込んできました。
日本国憲法に戻りますが、後半の文章の中に「名誉ある地位を占めたいと思ふ」とあるのですが、なんか、どうかなとも思うのです。
名誉や地位があっても全然いいと思うのですが、なぜ「名誉ある地位を占めたいと思ふ」なのかなと思って。
なんか、別の言い方がありそうな気もしないのですが。。。
あと、「日本国民は」とあるのですが「われらは」ともあるのです。この「われらは」は、日本国民はもちろんのこと、
「地球人類」をさしている感じもあります。
グローバルっぽいことも書かれてありますよね。地球規模でみていくということ。
それは「政治道徳の法則」であり「普遍的なものである」ということでしょうか。
この前文を読んでみて最終的に思ったのは、「人のあり方」が書いてあるのかなと思った。
「人は、理想を持って生きていくのだよ」って。この中では「崇高な理想」になるのかな。
なんというか、ここに書いてあるのは、一つの物語なのかなって。
あるストーリーが書かれてあるのかなと思った。