夢中人

sura@cosmic_a

普遍の理想

2010年06月22日 | Weblog
日本国憲法の前文は、ストーリーだと思った。

何のストーリーかというと、それまでの人類の歴史ではないかと思った。
その中でも、一般市民の人々が創り上げてきたストーリーではないだろうか。
フランス革命やレ・ミゼラブのような話が、一つ一つ積み上がってきてるように思える。

で、私は思ったんですよ。
このストーリーは、完成されることなく、永遠に未完成であり、話が続いていくのではなかろうかと。
日本国憲法が出来て60年くらいですが、その間に、前文の前半の方に書いてある「国民主権」のことは
その通りになっているのかなぁと思うのですが、後半に書いてある「世界平和」のことはですよ、
世界全体が書いてある通りになっているかというと、そうではないと思うのですが、
少なくとも日本は平和な状態だと思うんですよ。

平和を手に入れて、その先に何があるかということなんですけど、
たぶん普遍的かなと思うのですが、「ぬるさ」が生じてくるのではないかと思うのですよ。
「ぬるさ」ってナニかなと思うのですが、「ぬるさ」なんてゆるく言ってるけど、
もしかしたら、それは、キリストの七つの大罪(Pride・傲慢 Envy・嫉妬 Wrath・憤怒 Sloth・怠惰 Greed・強欲
Gluttony・暴食 Lust・色欲)とか、仏教もそいういのがあると思うのですが、
それに繋がっているのかなとも思うのです。

それと、平和になって、物質的に豊かになってくると、「環境問題」というのが出てきますよね。
これも普遍的じゃないかなぁと思うんでよ。
それらの兆しというのは、なんとなく見えている感があると思うのですが、
もしですよ、本当に世界平和が訪れて、世界中が豊かになってきた場合、
その先に人類がすることはナニかなと思ったワケです。
世界平和という「人類普遍の理想」が達成された場合、次の「人類普遍の理想」ってなんだろう。

なんか、日本国憲法の前文を読んでみて、そんなことを思ってみました。
確かに、世界平和というのは達成されていないけど、前文のストーリーが少し進んでもいいのではないかと思いました。
というか、憲法がずっと同じというのも不自然な感じがします。
ま、頻繁に変わるというのも違うと思うのですが、「崇高な理想」を現実化するというのは、
すごく時間がかかると思うのですが、歴史というかストーリーは動いているのであって、
憲法というか、あの前文は、現実より、先のことが書いてなければいけないような気がするんですよね。

憲法を改正するとなると、「第9条」がどうなるかということになりそうなのですが、
でも、憲法は今より進んでいいのではないのだろうかと言うよりも、進まなければいけないような気がしました。
ちょっと気が早いかなとも思いましたが、いやでも、必要っぽい感じもあると、なんか、そんなことを思ってみました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする