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山月記文学碑@横浜元町

2009年11月01日 10時26分10秒 | 街のこと
                   やっぱり虎が好き!
来年は寅年、 が好きなので野毛山動物園 に行ってもトラの前にいる時間が一番長くなってしまいます。檻の表示には「アムールトラ」と書かれていますが、やはり私は別名のシベリアトラと呼びたいです!
           
            野毛山動物園のシベリアトラ(アムールトラ)
そしてといえば…中島敦の『山月記』、高校の現代国語の教科書で出会って以来大好きな作品になりました♪今年は中島敦生誕100年でもありますので、記念文学碑を訪ねてみました。

           
                 園庭内にある「山月記」の文学碑
碑は元町・汐汲坂の元町幼稚園の園庭内にあります傍では園児さん達が元気に遊んでいました。画像の右側に映っているのはジャングルジムの影です♪
中島敦はかつてこの場所にあった横浜高等女学校(現・横浜学園)で8年間教員をしていました。横浜女学校の校長が中島敦の父の教え子であったことが縁で、国語・英語の教師として赴任し、亡くなる前年まで勤務していました。

                  
                     碑文は直筆原稿です! 
隴西の李徴は博学才穎、天保の末年若くして名を虎榜に連ね…山月記の冒頭部分が作者の明るく伸びやかな筆跡で刻まれていて、感激!
残念なことに山月記の直筆原稿は残っていないので、他の原稿から文字を拾い碑文を作成したのだそうです。この碑は学園のOGさんのご尽力によって建てられ、碑石は中島敦の故郷・埼玉の荒川上流の渓谷の輝石が使用されています。


           
                     記念のポストカード
幼稚園の事務長さんに記念ポストカードをいただいたきました。碑の全体と碑文の拡大写真ですので、山月記ファンにとっては貴重な記念品です。
時代もずい分と流れたので、今はもう『山月記』も教科書には載っていないのかな…と思っておりましたら、先日テレビドラマで小池徹平さん扮する若い国語教師が山月記の授業をするというシーンがありました。今でも掲載されているのですね。ナレーションによる『山月記』(YouTube)

記念碑は幼稚園の敷地内にあるため、見学・写真撮影にあたっては事前の許可が必要になります。

『山月記』の本・DVDは、送料無料の楽天市場でお求めになれます。



【中島敦】1909年(明治42年)東京で漢文教師の子として生まれる。1933年東京帝国大学国文学科を卒業後、高等女学校の国語・英語教師となる。18歳頃から患っていた喘息のため、1941年に退職し、療養を兼ねてパラオ南洋庁に書記として赴任した。1942年『光と風と夢』で芥川賞候補となるが、その数ヵ月後に喘息を悪化させ33歳で夭折した。



                 
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コメント (2)
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