また、架空の仕事がうまく進まず悩んでいた。
浅いところにいるときは、未だ現実だったらどうしようかという感覚が強く残っていた。
朝のひかりが部屋に差し込んでいるのに気付くと、霧が晴れるようにその感覚は消えていった。
ボケるという作用が人生終焉の準備だとするならば、
夢や現実の認識からも解放されていく感覚に近いのかもしれないなぁ。
そんな風が、晴れた霧の後に吹いてきた。
眼前にある現実という名の幻と、目には見えない幻という名の現実。
いつもこの矛盾に引き裂かれる思いで、胸を焦がしては理想を求めあぐね迷宮入りする。
きっとそれが一つの感覚として伝わってくるのだろう。
素材の味を楽しむかのように、
「なるほど」なのか「やっぱり」なのか「お~っ!」なのか
そんな思いに浸っていると、眼前にある現実が私の裾を引っ張ってきた。
そしてまた、先程晴れたと思った筈の霧が再び晴れるかのようにして
朝のスケジュールへと運ばれていった。