家族葬という形を取ったことで
限られた人々限定ではあるけれど、
父の死をこちらからご報告に行くことにしている。
これまで膝を交えて話す機会のなかった人達との出会いは、
私の脳を活性化させてくれている。
世界が広がり、父の見方は勿論その度に変化して行く。
お会いする前の緊張と、お会いした後の緩和。
そこには疲れだけではない、言葉にならない感覚が残される。
しばらく会えていなかった、私自身の友人との再会もあった。
彼との再会は、この事がなければまだまだ先の事となっていたであろうし、
今回の経験を一旦整理するきっかけを与えてもくれた。
学ぶということは、
知識や知恵をつけるといったケチ臭い部分で満足してしまわなければ、
それらを利用して物の見方や考え方を変えていく練習になるんじゃなかろうかと思い始めている。
そしてこういう事から始めてみるかと、
手探りで先ずは小さな行動ひとつから変えていく。
感じた程の成果や変化はないかもしれない。
またいつものようにウカウカと、元の感覚に吸収されて行くだけかもしれない。
与えられた私の楽しみ方はひとつだけなのか、いくつもあるのか、
そんな事すらもわからず半世紀が過ぎた。
分からないからこそ、呑気にここまでこれた面もある。