感情や感覚の動きは、常にバランスを保とうとして働く。
隣の芝が青いのも、実際どうかは問題ではなく
我が身の逆サイドとしてそのように映ってしまうに過ぎない。
仕事の厳しさを感じるのも、
目の前にある世界しか知らないなら
「こんなもんなのかな」と随分と感じかたも変わるだろう。
しかし、他人との比較や経験則がシグナルを発する。
不思議なのは、地獄の存在は信じられても極楽の存在は信じられない点だ。
不快感や厳しさにも臨界点があって
どこかを起点に安堵感や達成感を感じ始める。
という発想や反応が、皆無に等しい点だ。
あるがままというが、ないがままが実情か。
ならば、ないがままが、あるがまま?