ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

人間は、逃げたらダメなんだ、と思う

2008-05-10 02:37:24 | 観想
○人間は、逃げたらダメなんだ、と思う

あまりクライアントのことは書きたくはないが、書かざるを得ないこともある。ある意味、書くか、書かないかの分岐点は、その内実に普遍的な事実を含んでいるどうか、という理由しかない。それ以外の如何なる想念があっての記述であってはならない、と思う。

さて、ずっと以前、50歳を過ぎた、それでも若々しい男性が、僕の提携しているところの紹介でお見えになった。相談内容は予め、規定の用紙に書いて送ってくる。用紙に書かれた内容は、よくある悩みだったので、それほど気にもとめていなかった。書かれてあることは、早期退職に応じて会社を辞めたが、その後の就職先も決まらず、気分が落ち込む、という内実のものであった。こういう人の求めていることは大概の場合、鳥がとまり木に止まって羽を休めるように、心のちょっとした安らぎを求めてやって来る。まあ、唐突にリストラに遇っての離職ではなかったし、ご両親がそれなりの資産家で、その資産を受け継いで余りある人生を送れるというのだから、羨ましい限りだ、というのが僕の正直な観想だった。それに、50歳を過ぎての再就職など、ほぼ絶望に近い状況も、彼の仕事柄よく知った上での早期退職だったはずだ。しかし、その瞬間から僕の直感が働き出した。この男性は再就職が決まらないことで悩んでなどいない、と分かった。また悩む必要も前記したように現実的になかったのである。

僕の直感に従って彼に投げかけた最初の質問は、結婚歴があるかどうか? だった。予想通り、彼は純然たる独身だった。52年間、真面目に同じ会社でつとめあげ、独身を貫き通した。独身を貫いたのは、彼なりの人生哲学があってのことでない。敢えてひと言で言えば、人生に対する恐れである。ご両親の不仲の時代があった。その中で父親に対する憎悪が芽生えた。父親が歳老い、温和な様相を呈してからも、彼の心の中には、恐れから逃避するために、人生に立ち向かうための負のエネルギーを自分の心の中で醸成させていた、と思われる。

退職の数年前の送別会で、同じ職場に働く30歳の女性から愛を告白された。女性が愛を告白するにはそれ相応の覚悟がいる。彼は、己れの恐れ故に、彼女の気持ちをはぐらかせた。職場が別々になり、それでも彼女は辛抱強く、彼にメールで連絡を取りつづけた。僕がその内実を聞くと、彼は平然と言ってのけた。彼曰く、ごくたわいない話ですよ、と。この瞬間、僕の中で何かが弾ける音がしたような気がする。僕の喋り方は激変した。あんたなあ、それって、あんたがたわいもない話にしていたのだろう? 要するに、あんたは彼女の気持ちを受けと止められなかったのだろう? 怖かったのだろう? と僕の質問は矢継ぎ早になっていった。あんたの落ち込みの原因はそれだ。その一点にある。就職活動の不振などではない。あんたは、人生から逃げつづけてきただけだ。絵が趣味でかなり高度な油絵が描けるというが、たぶん綺麗に仕上がるだろうが、僕は素人だが、素人にもあんたの作品から何らの影響も受けんな、きっと、と僕は言った。正直、クライアントに対してこんなにむかついたことはない、と思う。苦労させられたクライアントは確かにいたが、この苛立ちは、同じ男としてのそれだった、と思う。彼女は東京にいる、というので、ともかく彼女と連絡が途絶えてまだ1年なのだから、連絡をとって、東京へ行きなさい。彼女に会いにいきなさい、と僕は伝えたし、そのことによってしか、あんたの生の再生は絶対に訪れることなどない、と僕は断言した。 就職活動などその後でよいのである、とも。

彼は意表を憑かれたらしく、目は点になり、カウンセリングが終わってもなかなか立ち上がろうとはしなかった。そうだろう、と思う。自分の生の根幹を揺るがされたのだ。人生など綺麗になど締めくくれはしないのだ、と断言されたのだ。単に就職活動に疲れた精神を少しの間休めるためにカウンセリングにやってきたというのに。

次に会う約束の日時を決めたが、予想通り、彼は断りの電話を入れてきた。いつまで自分から逃げれば気が済むのだろう? この人は救われんな、と思う。残念だが、お得意の絵もつまらん駄作しか生涯描くことしか出来ないだろう、とも思った。何故か? 人間の本質を見ようとしないからだ。自分も他者も。こんな人に、他者の心を捉えることの出来る絵など描けるはずがないではないか。誰が考えても分かる。

○推薦図書「いつでも夢を」 辻内智貴著。光文社文庫。こういう人は、人を愛する歓びに満ちあふれた純愛小説でも読めばよろしい。うってつけの秀作だ、と思います。油絵を描くなら、せめてピカソの生きざまでも参考にしてほしいものです。

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長野安晃