ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

崩壊感覚について想うこと

2008-06-06 04:33:15 | 観想
○崩壊感覚について想うこと

崩壊感覚と言っても、野間宏がかつて、戦争に駆り出された人間の、社会そのものが崩壊していく渦中で、人間性もともに朽ち果てていくがごとき大きなテーマに関することが書きたいのではない。野間宏の観点は大切なことだし、それは僕たちがこの世界に生きるために、彼の「崩壊感覚」はぜひとも読み直すべきだろうし、忘れ去られるべき書ではない。ただ、今日ここに書くのは、もっと矮小なる自分の中の心の壊れ、という問題についての考察である。

さて、この観点で、自分の心の壊れの問題に踏み入ってみると、いろいろなことが分かる。人はさまざまな局面において、現実の前に立ち尽くすことがあり、絶望し、生きることまで放棄したくもなる心性を持っている。正常な感覚だ、と僕は想うが、僕が考えたいのは、絶望して後、立ち上がってくる人々と、文字通り立ち上がれないで、生を本当に閉じてしまう人々がいる、ということである。そして、その違いはどこから生じるのか? ということなのである。人が、何かのきっかけで、自分の崩壊感覚に鋭敏になったとすると、ほぼ、その崩壊感覚という実体は、他者から崩されるのではなく、自分が抗いようもなく、自分自身を壊しているのである。他者が関係しているように見えて、その存在は単なるきっかけに過ぎないことがしばしばである。己れが崩壊していく、という、どうしようもない現実の前で、その認識の虜になってしまうか、あるいは己れの壊れを認識した上で、ボロボロに壊れた心の中の瓦礫を踏み越えて立ち上がれるか否かによって、両者の結果の出方は180度異なったものになるのは必然である。

僕の仕事柄、よく直面するのは、母子関係という難題である。母親の子どもに対する影響は甚大なものがあり、良くも悪しくも、その影響下からまったく無関係ではいられはしない。母親の支配欲が強烈な場合は、性別を問わず、母親の権威、それが例え理性が混じっていようと、いまいと、後年に至るも、生きる過程において多大な影響を受けざるを得ない。マザコン男などはこの種の例で言えば最も分かりやすい母親の子育ての失敗の果ての、不幸な現実である。みなさんはあまり口になさらないが、僕から見れば、マザコン女も確実に存在するわけで、この場合の方が同性である故に、ある意味複雑な問題を孕んでいる。何故ならその複雑さには、母子共に憎悪の感情が入り交じってくるからである。憎悪して離別すればよいのであるが、愛というものの根深い影響が、母子の存在を深く切り結んで離しはしないのである。理不尽さは、むしろ母親から娘へと向かう一方通行のそれである。いずれにしても、このような関係性には、少なからず心の崩壊感覚が根っこに在ることは事実であり、このような歪んだ関係性を修復する側は、常に子どもの側である。母親は、子どもの精神的成長によって否応なく、変化せざるを得ないのである。失敗すれば、子どもは幾つになっても母親の精神的支配下に置かれることになり、不幸の連鎖が起こる。同じことが繰り返されるというこの種の連鎖は、絶対にどこかで断ち切りたいものである。断ち切れた人たちは、断ち切った鎖の山の中から這いだして来る。そして新たな人生観を自分の感性の中に再構築するのである。このとき、世界はぐんと広がりを見せる。

僕自身も当然母親の体内からこの世界に投げ出された人間の一人としては同じ条件なのだが、僕の場合の精神の崩壊感覚は、思春期に訪れた。父親の事業の失敗があり、膨大な借財の返済のために、母親は30代半ばから(母は20歳で僕を出産している)、所謂夜の商売に入ったのである。清楚だった母親の姿は激変した。表現しようのない厭味な派手さが、彼女の雰囲気そのものになった。何だか僕の目にもちぐはぐなセンスのない服装。いまはパンツというのだろうが、当時はパンタロンという名で呼ばれた女性のズボンは、中途半端な長さで、醜かった。彼女の出勤? する夕方に鏡に向かっている姿を見て嘔吐しそうになった。まとまりのない、ただ派手なだけの服装と伴に、いまも存在しているかどうかはわからないが、VO5というヘアースプレーのハードの大型の容器から、もういいだろう? というくらいに吐き出される霧状の、部屋中がその臭いで一杯になるときの嫌悪感と嘔吐感はいまだに、あまりに鮮明に僕の記憶の中に残ったままである。シューというあの嫌な音も、鼻を突くきつい臭いも、記憶の中に刻み込まれて、消えることがない。母親のことが頭の中をよぎるとき、これが常に同時に僕に襲ってくる醜悪な記憶の断片なのである。それから、どうしても消えない記憶としては、どうしたわけか、母親は潔癖症という自分勝手な病に取りつかれており、狂ったように掃除はするが、こういう人にはおかしなことが起こる。勿論洗濯したものには違いはないが、彼女はいつも、タオル入れの引き出しに、自分のガードルを入れておくのである。タオルを取り出すために引き出しを開く度に、僕は軽い目眩と嘔吐感に襲われた。嫌な、避けたい光景だった。後年、両親が離婚し、母親は質の悪いタクシーの運転手と同棲しはじめた。どういうわけか、大学に入って2年目に訪れたことがある。そのむさ苦しいアパートの風景も、どこに何があったのか、多分母親自身はとっくに忘れているだろうが、僕の頭の中では鮮明に記憶のヒダの中に刻みこまれている。顔を洗って、タオルはどこか? と質問したら、どこそこの引き出しだ、というので、そこを開いたら、タオルに混じって母親のガードルがご多分に漏れずに一緒くたになって入っていた。嫌悪感と嘔吐感が急速に僕を襲った。後で聞いた話だが、その男と別れるに際して、脅されたのだろうか、当時で300万も毟っていかれたことを知った。僕が食うや食わずの生活を強いられているというのに、だ。アホな女や、という観想しか思い浮かばなかった。

僕が教師になってから、何度も関係改善されそうになると、電話の向こうで母親がキレる。一方的に耳が割れるほどの音を立てて電話を切る。何度目かの電話のやりとりが始まった頃、僕が海外の個人輸入で、カード詐欺に遇って、50万やられた、と言ったら、何を勘違いしたのか、金でもせびられると思ったのだろう、しわがれた、大声を出して電話を切った。今度こそ、死ね! と思った。直ぐに電話をかけなおして、絶縁を言い渡した。もう懲り懲りだ。あんな女とはどのようにして死のうがもう関わりたくもない。僕は母性という最も大切なものの一つを、生涯知らずに死んでいくのか、と想う。僕の心は崩壊したままに、すでに死の方が近い年齢を迎えてしまった。気の滅入る思い出の一つである。忘れたい心の壊れである。正直に告白しておく。

○推薦図書「自由と禁忌」 江藤 淳著。河出文庫。江藤の優れた評論だが、戦後文学を通して、戦後の日本の言語空間における禁忌の呪縛に果敢に挑戦しているが、たぶん江藤は恵まれた母子関係を築いて生きたのであろうか、文学における母性の意味を朗々と語る瞬間にぶちあたると、江藤の優れた評論をも嫌悪する自分がいることにいまさらながらに驚きます。僕の勝手な思いなどとは別にぜひ、どうぞ。お薦めの書です。

文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃