ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

あくまで男は男らしく、女は女らしくという社会がすばらしいのではないだろうか?

2008-06-27 17:07:37 | 社会・社会通念
○あくまで男は男らしく、女は女らしくという社会がすばらしいのではないだろうか?

男女雇用機会均等法という悪法が成立し施行されたのは、僕の記憶では1985年成立、1986年施行だった、と思う。女性に対する雇用の機会均等、賃金格差の是正、昇進に関する女性差別等々に関する改善の? ための法律が国会にねじ込まれて成立した。しかし、この法律には罰則規定というものがない、という大いなる欠陥があり、その後、1997年改正、1999年施行という運びとなった。これで法律上は男女の雇用機会に関する差別はなくなったかに見えた。が、この法律はあくまで、悪法だった、と僕は思う。確かに会社の中で、女性の総合職という職階が生まれ、男性と同じように昇進の機会が訪れるはずであった。しかし、現実はどうだったのだろうか? 殆どの総合職の女性は、昇進の機会など殆ど訪れることなく、ある程度の職階以上に昇進などできることはなかったのある。勿論例外はある。女性の社長さんや、学校で言えば校長さんや、行政の世界では管理職が誕生したが、しかし、この種の女性たちは、男女雇用機会均等法などの存在がなくても男性社会でのし上がってきた人々である。女性という名に敢えて被せて名づければ、「鉄の女」たちである。

「鉄の女」たちに劣る男性などたくさんいるわけであり、このような状況は法律の存在如何に関わらず、起こり得た状況である。
こんな法律が出来るまでは、会社組織の中では、当たり前のように、女性には生理休暇制度というものがあったのを覚えておられるだろうか? 男女の性差をはっきりと認める思想が、ここには確かに在った、と僕は思う。しかし、現在はどうだろうか? 生理痛のきつい女性が会社を休めば、それは単に有給であれ、休暇扱いにしかならないのである。年間の有給休暇を潰して痛んだ体を癒さなければならないのである。生理休暇とは、有給休暇とは別に男性と女性の性差を考えた上で行使されつづけてきた大切な法律であり、また、大切な思想でもあった。

現代の女性は、昇進のチャンスにも恵まれず、総合職という名の虚妄の中で、女性特有の個性を押し殺して男性化しつつ、労働を強いられているのが実情ではなかろうか? このような実態の中においては、結局のところ、男性諸氏も、本来職場で発揮すべき女性社員に対する思いやりやいたわりという大切な感情を忘却していくことになるのは必然である。現代とはつまりはこういう時代なのである。男が、男性性という特性を出せずにいる時代。女が女性性を発揮できない時代なのである。職場の人間関係がギクシャクするのは当然ではないか。このような状況下において、男性も女性も、互いの性差による良き点を抑圧しながら生きざるを得ない不幸な時代性、これが現代なのだ、と僕は確信を持って言える。不幸の連鎖がおきないはずがないではないか。


いま、日本という国にとって最も大切なことは、男性が体力・気力の強靱さをフルに発揮でき、女性は女性特有の労働のあり方を如何なく発揮できる精神的土壌を取り戻すことではなかろうか? 男女雇用機会均等法があるからと言って、特に女性が柔らかな女性性を敢えて抑圧して、男性と同じ労働の質を発揮する必要などどこにあるというのであろうか? 精神的に豊かな社会がこの国に再び訪れてくるのであれば、自殺大国などという汚名も自然消滅していかざるを得ないのではなかろうか? 雇用者側にとって都合のよい施策ばかりが横行する時代に、市民という立場から、労働という問題を根本から考え直す時期に来ているのではないか、と思えて致し方ないのである。定年まで安泰だ、と思って頑張って働いてきたお父さん方が、ある日唐突に首きりに遇うなどという不条理、これから仕事の実力をつけていき、近い将来に社会の中枢になるはずの30代の若者たちが、自ら命を断つような国が、国という名に値するのか否か、思考のネジを巻き戻して考えてみる時期に来ているのではなかろうか? 今日の観想である。

○推薦図「『思い』と『実現』の法則』」 ウォレス D. ワトルズ著。イースト・プレス刊。硬質な思想の書の紹介もよいのですが、すでに元気をなくしておられる方々のために、息を詰めて読むかのごときものではなく、比較的軽く読めて、それでいて生きる知恵を授けてくれる書という目論見のもとに推薦します。この書のテーマは<「思い」が運命を変える>というものです。まあ、気慰めではありますけれど。まあ、どうぞ。

文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃