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39.水山蹇

2009-09-15 19:30:08 | 易の解釈
39.水山蹇

蹇は、病気をしたり怪我をしたりして足を悪くしてしまった人のことです。痛めたり、険難に阻まれて前に進めない状態。[目癸]での背反が度を越えたために、より確固たる(城壁のように強大な)力に圧倒されてしまう事態になりやすい。卦象の元型的なイメージは、困難な登山に挑む人。天候不順でアタックを延期せざるを得ず、再度、準備を万端に整えてからチャレンジする。現代風に言えば、RPG(ロールプレイングゲーム)で、レベル上げが足りずに要所のボスに勝てないようなイメージ。結果、一つ前のセーブポイントまで戻って強化し直さなくてはならない状況。進もうにも前は坎で険しく勝つ望み薄なので、今は身を引いて出直したり、味方の応援を得ることが賢明な判断となります。大体、再チャレンジするまで機会は失われていないので、焦って身を危険に投じる必要はありません。

綜卦は解。蹇で一度叩きのめされて退却したが(あるいはじっと止まって機をうかがったり、助けを待っていたが)、天恵のごとくに救いがもたらされます。解放。緊張に対する弛緩の関係。正確には、今が順風・逆風のどちらであれ、その状態が解放されるという意味の卦です。例えば今の状況が寒々しい場合、春が来て雪が溶けていくように暖かくなり、反対に順調に進展している場合、気が抜けてせっかくの集中力を消してしまうことにもなります。絶体絶命のピンチに対する蜘蛛の糸。孤独と協力体制の対比構造がそこにあります。解の性質は一途ですが、自らの力量を上手く扱うために周囲の反応を巧みに利用することができる点で、それなりに蹇の中の頑固さを解消することに成功しています。

類似関係は地水師。師は軍隊や集団の意味です。多勢で戦いに赴く象意。一方、蹇は個人の力を過信するあまり、自分(達)よりも強大な力に打ちのめされてしまう(または、そうならないように警告する)象意。師も蹇も自分と同等、または無謀にも遥かに強い(恐ろしい)対象に挑戦するという共通性があります。そして、師では衝突し、蹇では力の無さを痛感しやすい。しかし、一度は挫折しても、そこから再起して今度は余念なく取り組むことで目標をクリアしようと試みます。失敗は失敗だけれども、それを「次に成功するための教訓(自分にとって必要な経験だった)」と受け止められるかが重要なポイントだと思います。

蹇であれ師であれ、個人を超えた太刀打ち不能にみえる現実にぶつかり、意気消沈したり、ショックを受けやすいですが、現状に迎合しない性質上、改善するか別の刺激を入れてみようとします。屯&晋から5番目の卦なので、可能性を広げるための工夫という意味を持っています。自分の主張に幅を持たせるために脚色したり、厄介な相手と正面衝突しないようにアプローチの角度を変える、次に上手くやるためにはどうしたらいいのか作戦を立てるなど、逃げの中にも攻めの気持ちを失わないことが多いようです。今がダメでも、次に繋がる何かを持ち帰る、という精神の持ち主。

補完関係が山雷頤なので、蹇で障害にぶつかっても、そこから何かを吸収することができれば、学びとしての経験は成就します。見かけ上の現実とは逆の意味での成功が内面に養われていく。こうした経験は耐久力とか辛抱強さが付いて回るものですが、その継続的な努力がいつの日か“難関の克服”という形で実を結ぶ、そんな構図が読み取れます。また、頤は内実がないという意味でもありますから、見掛け倒し(実力が絶対的に不足している状態)では夢は実現できないよ、ということを暗に教えてくれているのかもしれません。

蹇が象徴するように、誰しもスランプに陥ったり、障害にぶつかったり、怪我や病気に泣かされたりする時があります。そうした時に、挫けずに努力を続けられるだけの動機の強さや、激励してくれる味方(家族や仲間や友達)を持つことが、いかに大切でありがたいことかを実感する。失敗や敗北を次の成功や勝利に導くためには、自分を支えてくれる人達への感謝が鍵です。エゴを満たすための戦いでは、いずれ負けるし、挫折した時に再起できません。でも、辛い時に自分を陰で支え続けてくれた人達に対する感謝が出てくれば、その人は皆に恩返しをしたいとか期待に応えたいと心に誓うはずです。そしてその想いが強ければ、失敗を糧にして活力を取り戻し、一回り強くなってカムバックするだろうと思います。

<爻意は後日、追加更新します。>


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