離為火の四爻変の解釈です。
なんとか今月中には上爻まで書いてしまいたいです。
◇離為火 九四
暮れの薄明から夜の星々の瞬きへ、そして今また一巡して早朝を迎えようとしています。下卦の太陽が沈んで上卦の太陽が昇り始めるという、まさに世代交代の過渡期です。元々、三爻と四爻との間には溝がありますが、ここでは特に先輩と後輩、先生と生徒、上司と部下、親と子、主人と使用人(飼い主とペット)などの間でジェネレーションギャップが沸き起こる傾向があります。身の引き際や登用する相手の判断を誤ると、おぞましい爻辞に示されるような事が起きて、大変に惨めな思いをしてしまいます。
この時においては、自分の意思や方針を正しく受け継ぐ人は出て来ないか、自ら指導するために赴けども妨害に遭って託すことはできません。変卦の賁六四では「白馬(質朴な馬)に乗った者が来て、初めは賊かと思ったが、実は婚姻(調停)の申し込みに来たのだと分かった」とあります。華美か質朴かで迷った末に、白に象徴される素朴さを選んだのが賁の六四。これは咎めのない行為でした。一方の離九四では、二つの離の間でビカビカと光(火)を浴び、下からの熱や煙でせき立てられて落ち着きをなくしています。まるで真夏の太陽で焼かれた砂浜のように居ても立ってもいられない状態です。
この九四の人物は、艮としての誠実さや人間的な律儀さ(芯)を持っているのですが、いかんせんその思いに固執しすぎる嫌いがあり、頑固に推し進めようとして自ら危険に飛び込んでしまいやすいのです。大体において、そういう場合には事前に周囲の忠告や引き止めがあるものですが、ほとんど聞く耳を持たず、結果的に苦しんだ末に後悔します。反省だけで済む事ならば良いのですが、命に関わるような重大な案件になると厄介です。本当に心配して諌めてくれる人がいたら、立ち止まって改める余地がないか考え直してみましょう。危険ラインに踏み込まず退くという決断も、また勇気の一つだと思います。
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この爻には、高島嘉右衛門さんの占断話にちなんで、「飛んで火に入る夏の虫」とか「飼い犬に手を咬まれる」といった諺が語られることがあります。そんなわけで、それに関連した文章を一つ。
「自己の向上を心がけている者は、喧嘩などする暇がないはずだ。おまけに、喧嘩の結果、不機嫌になったり自制心を失ったりすることを思えば、いよいよ喧嘩はできなくなる。こちらに五分の理しかない場合には、どんなに重大なことでも、相手に譲るべきだ。
こちらに十分理があると思われる場合でも、小さいことなら、譲ったほうがいい。細道で犬に出会ったら、権利を主張して咬みつかれるよりも、犬に道を譲ったほうが賢明だ。たとえ犬を殺したとて、咬まれた傷は治らない。」【エイブラハム・リンカーン】
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