◆離為火 六二
離の特性として何事かに付いたからには柔順にその任を全うするのが正しく(貞)、かつ物事が通暁する(亨)条件だとされています。その意味では、六二は陰柔中正で離卦の中では最もその資格を備えていると言えます。ただ、道義としては正しくても、このことが本人にとって本意であるかどうかは、また別問題です。
立場や職責上、あるいは身体的・状況的な都合上、そうする他ないということもあるからです。それまで仲間として一緒に過ごしてきたのに、ここに至って急に上下関係や領分が明確化されたり、関係の分断――離別が起きることもしばしば見られます。というのも、変卦の大有九二での「大任を担う人物」に象徴されるように、そうした責任を背負うためには個々の意識的な転換が求められるためです。この時を区切りとして、周囲の期待や状況の変化に沿った自覚的な転身(転進)が果たされます。
言葉通りに重い職責を負う人、新天地へと旅立つ人、身内の再婚に伴い移転する人など様々です。親しかった人にさよならを告げなくてはならないかもしれませんが、この転換によって新たな展開が生まれてくることもまた事実です。これを可能性と捉えて挑戦に結びつけるか、定められた生き方としての枠にはまったと考えるかは、その人の自由ですが、どちらにせよ自分自身の課題(試練や責任)と真面目に向き合わなくてはなりません。
なお、離卦は文明・文化を象徴するものでもあるため、六二では最新の科学や技術、知的な話題などを見聞するケースが多いのも特徴です。同様に美的な事柄に対しても、優れたものに接する機会に恵まれやすいでしょうから、造詣を深めるチャンスがあればできるだけ参加すると良いと思います。
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原文は、「六二、黄離。元吉。中道を得ればなり」とあるだけの簡潔さです。
竹村亞希子先生のサイトから原文を引用します。
六二。黄離、元吉なり。
象に曰く、黄離、元吉とは、中道を得ればなり。
これ、坤為地六五の文章と似ています。
六五。黄裳、元吉なり。
象に曰く、黄裳元吉なりとは、文中に在ればなり。
文の内容だけを見ると同じように思えます。
でも、卦としての意義を考えると、「見る」側の離と「現場」側の坤とでは状況が異なります。
こうしたことを踏まえて色々とデータをとっていると、その度に驚きや発見があって興味深いです。神妙と言えばいいのかな。
まさに易の奥深さ、恐るべし。
まだまだ未熟ですが、日一日と易の真理に近づいていけたらいいなーと思っています。
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