文藝春秋、2008年発行
「ツレがうつになりまして」はよい映画でした。
「ツレうつ」はうつ病になった旦那(ツレ)を妻(細川貂々さん)の視点から描いたものですが、では本人自身はどんな風に感じて過ごしていたのだろう、とすごく興味が湧きます。
そう、この本の著者はうつ病になった旦那である「ツレ」本人なのです。
紋切り型の医学書には記載のない、なかなか”一筋縄ではいかない”うつ病の真実がそこに書かれていました。
まず、診断。
ツレは単極性のうつ病と診断されていますが、その前に本人曰く「絶好調」の時期があったことなどを考慮すると双極性障害の可能性も否定できない、さらに発病初期は幻覚や幻聴、妄想のようなものもつきまとっていたことを考えると統合失調症の可能性も否定できない・・・。
ま、診断は専門家に任せますが、線引きが難しい疾患群ですね。
はっきりした理由/きっかけがないのに長期間うつ状態に陥り自分ではどうしようもなくなることが健康と病気の境界線でしょうか。
理由/きっかけがあって落ち込むのであれば、時間が解決してくれそうです。
しかし、自分ではわからないと解決しようがない。
結局「うつ病」とは症候群であり、DSMの診断基準では「うつ状態が2週間以上続く」という症状だけでくくっている概念ですから、その中にはいろんな病態があってしかるべき。一口に議論するのは無理というものです。
著者も「どの本を読んでもよくわからない・・・」と嘆いていますが、医者の私にもどう捉えるべきなのかピンときません。
著者夫婦はクリスチャンです。
宗教は「うつ病」を救えないんだなと改めて感じました。
むしろ、著者がキリスト教関係ではなく仏教関連本を読みあさっている下りを興味深く読みました。
ストレスを上手く受け流す手法では仏教の方が優っている?
・・・今後の課題です。
回復期のたいへんさも綴られています。
僕は、四十歳を人生の節目として意識していたから、最初はその日までに病気を治して、社会的にも復帰したいと考えていた。でも、それはどう考えても無理だった。
何度も「僕は気力を振り絞って、憎いうつ病と闘って、勝つぞ!」と思ったのだが、悲しいことに、気力を振り絞ると、それだけでグッタリし病状が悪化したように思われるのだった。
・・・「これは闘って勝とうとするのがよくない病気なのだ」と気づくようになった。
・・・良くなったと思うと悪くなる。悪くなったと思うと、それほどでもない。一日の中にも浮き沈みがあり、数日周期での波があり、もう少し大きな波もあった。体力、気分、感情、意欲、判断力や能力、すべてに波がある。その波はそれぞれが勝手に不規則な何診なっていて、自分でも上手くつかむことができない。そして、良くなったと思っていると必ず直前よりも悪くなるので、失望してくじける。
もちろん、波を描きながらも回復してきているので、それを意識することもある。そうなると、持ち前の性格で頑張りを発揮して社会に復帰しようと焦ってしまったり、そうした焦りでエネルギーを使い果たして、あっという間にまた元通り。
回復過程は長く続き、最初の頃と、随部女苦なった頃とでは、気力も波もねじけた性格もそれなりに異なっているのがダ、そうしたものに悩まされ続けていたことでは、ずっとそうだった。その困難の全てを含めて「うつ病」という病気とすべきなのだろう。
ツレさんの「はまると疲れを忘れて”やり過ぎ”てしまう性格」が元凶なのでしょうね。
しかし、発病前と同じ仕事ができないことを受け入れることは、青年期には難しいことです。
自分の人生はこれから、というときに、テンションを上げてはダメ、これも無理、あれも無理、と自分自身に制限をかけないと再発してしまうのですから、つらいです。
大人になることは自分の限界を知り妥協していくつらい過程、と読んだことがありますが、うつ病の発症はそれをさらに(病的なまでに)限定されてしまう宣告のようなものだと思いました。
「専業主婦(主夫)」をめぐるやり取りは面白く読みました。
「専業主夫してます」と自己紹介するといろんな反応があり、感心する人がいる一方で、「子育てもしていないで主夫気取りするな」という厳しい意見もあり。本人は子どものようにかわいがっているイグアナで子育てしていると心の中で反発していますが(笑)。
最後に、一応うつ病を克服したツレさんが、自らの闘病体験を振り返って記した文言が秀逸です;
決して元のように戻れないが(病気になる前は無理をしていたのだから)回復して別のところに戻ってくる。
今まで、知らなかったものや興味も覚えなかったものが、向こうから自分のところにやってくる。世界にはこんなものもあったんだぞ、というように。
そして、ある日ふと、生きていて良かったと思うのだ。
そんな病気だ。
病気をしたことも、意味があったのかもしれない。今ではそう思う。
「ツレがうつになりまして」はよい映画でした。
「ツレうつ」はうつ病になった旦那(ツレ)を妻(細川貂々さん)の視点から描いたものですが、では本人自身はどんな風に感じて過ごしていたのだろう、とすごく興味が湧きます。
そう、この本の著者はうつ病になった旦那である「ツレ」本人なのです。
紋切り型の医学書には記載のない、なかなか”一筋縄ではいかない”うつ病の真実がそこに書かれていました。
まず、診断。
ツレは単極性のうつ病と診断されていますが、その前に本人曰く「絶好調」の時期があったことなどを考慮すると双極性障害の可能性も否定できない、さらに発病初期は幻覚や幻聴、妄想のようなものもつきまとっていたことを考えると統合失調症の可能性も否定できない・・・。
ま、診断は専門家に任せますが、線引きが難しい疾患群ですね。
はっきりした理由/きっかけがないのに長期間うつ状態に陥り自分ではどうしようもなくなることが健康と病気の境界線でしょうか。
理由/きっかけがあって落ち込むのであれば、時間が解決してくれそうです。
しかし、自分ではわからないと解決しようがない。
結局「うつ病」とは症候群であり、DSMの診断基準では「うつ状態が2週間以上続く」という症状だけでくくっている概念ですから、その中にはいろんな病態があってしかるべき。一口に議論するのは無理というものです。
著者も「どの本を読んでもよくわからない・・・」と嘆いていますが、医者の私にもどう捉えるべきなのかピンときません。
著者夫婦はクリスチャンです。
宗教は「うつ病」を救えないんだなと改めて感じました。
むしろ、著者がキリスト教関係ではなく仏教関連本を読みあさっている下りを興味深く読みました。
ストレスを上手く受け流す手法では仏教の方が優っている?
・・・今後の課題です。
回復期のたいへんさも綴られています。
僕は、四十歳を人生の節目として意識していたから、最初はその日までに病気を治して、社会的にも復帰したいと考えていた。でも、それはどう考えても無理だった。
何度も「僕は気力を振り絞って、憎いうつ病と闘って、勝つぞ!」と思ったのだが、悲しいことに、気力を振り絞ると、それだけでグッタリし病状が悪化したように思われるのだった。
・・・「これは闘って勝とうとするのがよくない病気なのだ」と気づくようになった。
・・・良くなったと思うと悪くなる。悪くなったと思うと、それほどでもない。一日の中にも浮き沈みがあり、数日周期での波があり、もう少し大きな波もあった。体力、気分、感情、意欲、判断力や能力、すべてに波がある。その波はそれぞれが勝手に不規則な何診なっていて、自分でも上手くつかむことができない。そして、良くなったと思っていると必ず直前よりも悪くなるので、失望してくじける。
もちろん、波を描きながらも回復してきているので、それを意識することもある。そうなると、持ち前の性格で頑張りを発揮して社会に復帰しようと焦ってしまったり、そうした焦りでエネルギーを使い果たして、あっという間にまた元通り。
回復過程は長く続き、最初の頃と、随部女苦なった頃とでは、気力も波もねじけた性格もそれなりに異なっているのがダ、そうしたものに悩まされ続けていたことでは、ずっとそうだった。その困難の全てを含めて「うつ病」という病気とすべきなのだろう。
ツレさんの「はまると疲れを忘れて”やり過ぎ”てしまう性格」が元凶なのでしょうね。
しかし、発病前と同じ仕事ができないことを受け入れることは、青年期には難しいことです。
自分の人生はこれから、というときに、テンションを上げてはダメ、これも無理、あれも無理、と自分自身に制限をかけないと再発してしまうのですから、つらいです。
大人になることは自分の限界を知り妥協していくつらい過程、と読んだことがありますが、うつ病の発症はそれをさらに(病的なまでに)限定されてしまう宣告のようなものだと思いました。
「専業主婦(主夫)」をめぐるやり取りは面白く読みました。
「専業主夫してます」と自己紹介するといろんな反応があり、感心する人がいる一方で、「子育てもしていないで主夫気取りするな」という厳しい意見もあり。本人は子どものようにかわいがっているイグアナで子育てしていると心の中で反発していますが(笑)。
最後に、一応うつ病を克服したツレさんが、自らの闘病体験を振り返って記した文言が秀逸です;
決して元のように戻れないが(病気になる前は無理をしていたのだから)回復して別のところに戻ってくる。
今まで、知らなかったものや興味も覚えなかったものが、向こうから自分のところにやってくる。世界にはこんなものもあったんだぞ、というように。
そして、ある日ふと、生きていて良かったと思うのだ。
そんな病気だ。
病気をしたことも、意味があったのかもしれない。今ではそう思う。