長谷をまた歩いていたら、「加賀谷邸」という看板にであった。
「長谷子ども会館」と同じような洋館が建っていた。すぐそばにあり、子ども会館も和風の建物もあり、現在よりも広大な敷地があったよう。
ここも建てた時はおなじ敷地内だったのかもしれない。
近くには、甘縄神社や旧川端康成邸がある。
ここも、鎌倉市では下記のように書いていた。
加賀谷邸が位置する長谷の旧市街地には、 既に景観重要建築物等に指定されている鎌倉文学館、鎌倉市長谷子ども会館、白日堂、旅館対僊閣、のり真安齊商店などの歴史的建造物や鎌倉ゆかりの由緒ある 邸宅が集積しています。これらの建物は、背景の山々と相俟って非常に魅力的な景観を創り出していますその中でも加賀谷邸は、ひときわ目を引く背の高い洋館 と趣のある和風の主屋が和風庭園の豊かな緑と創り出す景観は、周辺のランドマークになっています。
構造規模:
- 木造2階建て
- 延べ床面積/312.6平方メートル
- 屋根/和館部は桟瓦葺き寄棟(和小屋組)、下屋は銅板葺・洋館部はスレート葺き寄棟(北側は切妻)
- 外壁/和館部は簓子下見板張り・洋館部はドイツ下見板張り
ついでであるが、甘縄神社は710年に作られた、鎌倉で最古の神社である。
ここは、平安時代の武将である源義家が生まれたとも伝えられている。義家は八幡太郎義家とも言われる人である。
鎌倉幕府を開いた頼朝や室町幕府の足利尊氏の祖先になる人である。
神社の敷地に入ると、「安達盛長屋敷跡」との石碑がある。この人は頼朝の流罪中から使えた側近である。
このへんのことはまたよく調べてみよう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます