第二十二章、「曖済證文之事」 まとめ。
①、最初にお断りしました様に、「曖」という漢字は間違っています。本当は、口偏に「愛」という漢字ですが、このソフトでは出ませんので(出し方が判りませんので)、最も良く似ている「曖」という漢字を私用しています。本来の口偏に「愛」と言う字は、現在の辞書では、「おくび」と言う意味で載っていますが、江戸時代には「扱」と同じ意味で使っていました。本文書の「曖済證文」とは、「扱い済み證文」と読み、懸案事件の処理済み証書という意味です。尚、「曖」(日偏)は「暗い」と言う意味の漢字で、もう一つの「瞹」(目偏)は、「隠れる」という意味が有ると漢和辞典に載っています。
②、もう一つ、本文書の文字は非常に特徴が有って難しく、初歩の学習としては適さないのですが、「苫草場紛争」事件の解決文書という点で、第二十一章と密接な関係が有りますので、敢えて取り上げました。二十一章・二十二章は何れも串本町史(史料編)に連続して載っています。
以下要約 その③、田並上下『かみしも』両村の苫草引き場所並びに、氏神棟札の件で争論が発生し、御上へ裁定を御願いしたところ、原徳左衛門殿他三名の方へ調べる様お命じになられ、四名様でお調べの上、両村へ意見し、下級の村役人で解決する様言われたので、近隣の村の役人に仲裁して戴いて解決した内容は次の通りであります。
その④、田並上村の言い分は、「上下領内を分けているのは、建築や土木工事等の申請の際限があり、この境目で東西を見通して、領内を分けているので、上村領に生えている苫引き場所では、下村に引かす訳には参らないと言う内容であります。
その⑤、田並浦の言い分は、以前は上下合わせて一つの村だった土地であり、御検地帳も一つの村になっていて、苫草も上下相互に入り会いに引いて来たと言う内容であります。 注、【慶長年間(凡そ400年前)の御検地帳では、上下の区分は無く、田並村一ヶ村として計上しています。その事を言っているものと思います。】 続く。