「祈りの山 宝満山」の講師であった菅谷先生は
長く橿原考古学研究所でのご活躍された後に、
滋賀県立大学で教鞭をとられて昨年の3月に
めでたくご退官されました。そのお祝いの宴は
京都のホテルで開かれて300名以上が参集した
とてもにぎやかな会であったのですが、
会の終盤でちょっとびっくりする展開がありました。
先生は山の考古学会に籍を置かれ、世界遺産となった
熊野古道の大峰山関連の調査に長らく従事されていました。
その関係からか大峰山当山派の方々が壇上に現れ、
先生に「正大先達嶺寶院文則」の称号と山伏の
装束一式を授与するという趣向があったのです。
そして大団円は修験者となった先生が
壇上で挨拶されるという仕儀でした。
考古学会広しといえど先生ほど修験道世界のことを
語ることのできる先生はいらっしゃらないでしょう。
その目からみえた宝満山についてもう少し
お話しを伺いたかったところです。
長く橿原考古学研究所でのご活躍された後に、
滋賀県立大学で教鞭をとられて昨年の3月に
めでたくご退官されました。そのお祝いの宴は
京都のホテルで開かれて300名以上が参集した
とてもにぎやかな会であったのですが、
会の終盤でちょっとびっくりする展開がありました。
先生は山の考古学会に籍を置かれ、世界遺産となった
熊野古道の大峰山関連の調査に長らく従事されていました。
その関係からか大峰山当山派の方々が壇上に現れ、
先生に「正大先達嶺寶院文則」の称号と山伏の
装束一式を授与するという趣向があったのです。
そして大団円は修験者となった先生が
壇上で挨拶されるという仕儀でした。
考古学会広しといえど先生ほど修験道世界のことを
語ることのできる先生はいらっしゃらないでしょう。
その目からみえた宝満山についてもう少し
お話しを伺いたかったところです。