一意専心:うんちの為にトイレに行く程度の目的しかないから人の顔色で決める/No reading faces by "purpose" to devote ownself for the Creator
<※本当の投稿日時:2020/01/09 20:15
※True posted date & time:2020/01/09 20:15 >
(当方の都合にて、投稿日時を変更しております。
I changed posted date and time for my convenience.)
一意専心
うんちを「目的」にトイレに行くレベルの「目的」しか持たないから人の顔色で決める
Devoting myself heart and soul for the Creator
Because you have only level that go to toilet for "purpose" of shit, you decide by reading people's faces.
「そんな事したら笑われる」
「笑われるから辞めとこ」
世間の人達、殊に個性を排除する傾向が強い日本の大衆には、この様な考えを持つ者が多い。
その理由として、「生きる目的」を持っていない事が挙げられる。
大概の人達の「生きる目的」は、家族を養う為、食べる為、そして遊ぶ為といったところであろう。
その大衆の目的に共通する事は、「お金」である。結局は、「マネー」が目的でしかない。
よって、「仕事」の「目的」も大概のところ、その様な事でしかない。
腹を満たす事を「目的」に食べる。自分の欲望を満たす事を「目的」に遊ぶ。それらは、至って「生理現象のレベル」である。
そんな「生理現象のレベル」で生きるだけなら、人間以外の動物や植物と同じレベルで生きている事にはならないであろうか。
動物や植物は、「本能」のみで生きる。その「本能」で、子供を育てたり子孫を残したりしているのである。
セックスの経験の有無によって大人と子供の区別をしている輩共も同じではなかろうか。セックスは、「本能」のみで生きる動物でもしている事であり、誠にその様な判断をする者は「低レベル」である。
人間は、「思考」を働かせる能力を持つ。思想から、自分の生き方、考え方、捉え方等に繋げる。
思想を「高い目的」、目標、そして志に繋げた時、笑われるとか何か言われるとか関係無しに「一意専心」して邁進する事が出来る様に成る。
また、ムスリムやクリスチャンは、唯一の創造主である「神様の御心」に従う。敬虔な信者は、自分の意志を超越して、神様が立てた御計画である運命、宿命、使命に従う。ムスリムやクリスチャンにとっては、その事が「生きる目的」となる。
無神論者は、「自分の欲望」に従う。しかし、敬虔なムスリムやクリスチャンは、「神様の御心」に従う。
人の為と書いて「偽」(いつわり)という漢字となる。よって、無神論者が言う「人の為」とは、「偽善」である。一方、敬虔なムスリムやクリスチャンは、「神様の為」に生きる。「神様の為」こそが正しい生き方であり、「神様の為」こそが「生きる目的」である。
世間の大衆の多くは、うんこを「目的」にトイレに行くレベルの「目的」しか持たないから、人の顔色で行動を決めているのである。
(※ 同じ投稿日時に記事が多く重なる事を避ける為、投稿日時の改変を敢えて行っております。)
本ブログ過去の関連記事
・2017/11/29付:『「おしっこ」と「うんこ」から自分を知り人を知る。そして「手洗い」はオモテナシの心』
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・2020/01/10付:『芸能人やマスコミは所有物を「悪用」し世間を愚民化/People are given ignorant masses-ize by celebs & MSM abusing their property』
・2020/01/10付:「笑われるから辞める?周囲の反応によって行動を決める輩共こそ愚民・恥ではないか/Just people who decide action by reaction are ignorant masses」
関連文献
・2007/05/30付・聖書から人生を考えよう:「★人が生きる目的は何か?」
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新約聖書・マタイの福音書4章1~4節 さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。 そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。 すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」 The New Testament・The Gospel of Matthew 4:1~4 Then Jesus was led up by the Spirit into the wilderness to be tempted by the devil. When he had fasted forty days and forty nights, he was hungry afterward. The tempter came and said to him, “If you are the Son of God, command that these stones become bread.” But he answered, “It is written, ‘Man shall not live by bread alone, but by every word that proceeds out of God’s mouth.' ” |
新約聖書・コリント人への手紙 第一10章31節 こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。 The New Testament・The First Epistle to the Corinthians 10:31 Whether therefore you eat or drink, or whatever you do, do all to the glory of God. |
新約聖書・コリント人への手紙 第二5章14~19節 というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。 ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。 これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。 すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。 The New Testament・The Second Epistle to the Corinthians 10:31 For the love of Christ compels us; because we judge thus: that one died for all, therefore all died. He died for all, that those who live should no longer live to themselves, but to him who for their sakes died and rose again. Therefore we know no one according to the flesh from now on. Even though we have known Christ according to the flesh, yet now we know him so no more. Therefore if anyone is in Christ, he is a new creation. The old things have passed away. Behold, all things have become new. But all things are of God, who reconciled us to himself through Jesus Christ, and gave to us the ministry of reconciliation; namely, that God was in Christ reconciling the world to himself, not reckoning to them their trespasses, and having committed to us the word of reconciliation. |
新約聖書・ピリピ人への手紙1章20~21節 それは、私がどういうばあいにも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現わされることを求める私の切なる願いと望みにかなっているのです。 私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。 The New Testament・Epistle to the Philippians 1:20~21 according to my earnest expectation and hope, that I will in no way be disappointed, but with all boldness, as always, now also Christ will be magnified in my body, whether by life or by death. For to me to live is Christ, and to die is gain. |
新約聖書・エペソ人への手紙5章15~21節 そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、 機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。 ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。 また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。 詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。 いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。 キリストを恐れ尊んで、互いに従いなさい。 The New Testament・The Epistle to the Ephesians 5:15~21 Therefore watch carefully how you walk, not as unwise, but as wise, redeeming the time, because the days are evil. Therefore, don’t be foolish, but understand what the will of the Lord is. Don’t be drunken with wine, in which is dissipation, but be filled with the Spirit, speaking to one another in psalms, hymns, and spiritual songs; singing and making melody in your heart to the Lord; giving thanks always concerning all things in the name of our Lord Jesus Christ to God, even the Father; subjecting yourselves to one another in the fear of Christ. |
新約聖書・テモテへの手紙 第二4章1~8節 神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現われとその御国を思って、私はおごそかに命じます。 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。 というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、 真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。 しかし、あなたは、どのようなばあいにも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。 私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。 私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。 今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。 The New Testament・The Second Epistle to Timothy 4:1~8 I command you therefore before God and the Lord Jesus Christ, who will judge the living and the dead at his appearing and his Kingdom: preach the word; be urgent in season and out of season; reprove, rebuke, and exhort with all patience and teaching. For the time will come when they will not listen to the sound doctrine, but having itching ears, will heap up for themselves teachers after their own lusts, and will turn away their ears from the truth, and turn away to fables. But you be sober in all things, suffer hardship, do the work of an evangelist, and fulfill your ministry. For I am already being offered, and the time of my departure has come. I have fought the good fight. I have finished the course. I have kept the faith. From now on, the crown of righteousness is stored up for me, which the Lord, the righteous judge, will give to me on that day; and not to me only, but also to all those who have loved his appearing. |
新約聖書・使徒の働き20章17~27節 パウロは、ミレトからエペソに使いを送って、教会の長老たちを呼んだ。 彼らが集まって来たとき、パウロはこう言った。 「皆さんは、私がアジヤに足を踏み入れた最初の日から、私がいつもどんなふうにあなたがたと過ごして来たか、よくご存じです。 私は謙遜の限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀によりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えました。 益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせました。人々の前でも、家々でも、あなたがたを教え、 ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。 いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。 ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。 けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。 皆さん。御国を宣べ伝えてあなたがたの中を巡回した私の顔を、あなたがたはもう二度と見ることがないことを、いま私は知っています。 ですから、私はきょうここで、あなたがたに宣言します。私は、すべての人たちが受けるさばきについて責任がありません。 私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせておいたからです。 The New Testament・The Acts of the Apostles 20:17~27 From Miletus he sent to Ephesus, and called to himself the elders of the assembly. When they had come to him, he said to them, “You yourselves know, from the first day that I set foot in Asia, how I was with you all the time, serving the Lord with all humility, with many tears, and with trials which happened to me by the plots of the Jews; how I didn’t shrink from declaring to you anything that was profitable, teaching you publicly and from house to house, testifying both to Jews and to Greeks repentance toward God, and faith toward our Lord Jesus. Now, behold, I go bound by the Spirit to Jerusalem, not knowing what will happen to me there; except that the Holy Spirit testifies in every city, saying that bonds and afflictions wait for me. But these things don’t count; nor do I hold my life dear to myself, so that I may finish my race with joy, and the ministry which I received from the Lord Jesus, to fully testify to the Good News of the grace of God. “Now, behold, I know that you all, among whom I went about preaching God’s Kingdom, will see my face no more. Therefore I testify to you today that I am clean from the blood of all men, for I didn’t shrink from declaring to you the whole counsel of God. |
一意専心
うんちを「目的」にトイレに行くレベルの「目的」しか持たないから人の顔色で決める
Devoting myself heart and soul for the Creator
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「そんな事したら笑われる」
「笑われるから辞めとこ」
世間の人達、殊に個性を排除する傾向が強い日本の大衆には、この様な考えを持つ者が多い。
その理由として、「生きる目的」を持っていない事が挙げられる。
大概の人達の「生きる目的」は、家族を養う為、食べる為、そして遊ぶ為といったところであろう。
その大衆の目的に共通する事は、「お金」である。結局は、「マネー」が目的でしかない。
よって、「仕事」の「目的」も大概のところ、その様な事でしかない。
腹を満たす事を「目的」に食べる。自分の欲望を満たす事を「目的」に遊ぶ。それらは、至って「生理現象のレベル」である。
そんな「生理現象のレベル」で生きるだけなら、人間以外の動物や植物と同じレベルで生きている事にはならないであろうか。
動物や植物は、「本能」のみで生きる。その「本能」で、子供を育てたり子孫を残したりしているのである。
セックスの経験の有無によって大人と子供の区別をしている輩共も同じではなかろうか。セックスは、「本能」のみで生きる動物でもしている事であり、誠にその様な判断をする者は「低レベル」である。
人間は、「思考」を働かせる能力を持つ。思想から、自分の生き方、考え方、捉え方等に繋げる。
思想を「高い目的」、目標、そして志に繋げた時、笑われるとか何か言われるとか関係無しに「一意専心」して邁進する事が出来る様に成る。
また、ムスリムやクリスチャンは、唯一の創造主である「神様の御心」に従う。敬虔な信者は、自分の意志を超越して、神様が立てた御計画である運命、宿命、使命に従う。ムスリムやクリスチャンにとっては、その事が「生きる目的」となる。
無神論者は、「自分の欲望」に従う。しかし、敬虔なムスリムやクリスチャンは、「神様の御心」に従う。
人の為と書いて「偽」(いつわり)という漢字となる。よって、無神論者が言う「人の為」とは、「偽善」である。一方、敬虔なムスリムやクリスチャンは、「神様の為」に生きる。「神様の為」こそが正しい生き方であり、「神様の為」こそが「生きる目的」である。
世間の大衆の多くは、うんこを「目的」にトイレに行くレベルの「目的」しか持たないから、人の顔色で行動を決めているのである。
(※ 同じ投稿日時に記事が多く重なる事を避ける為、投稿日時の改変を敢えて行っております。)
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・2020/01/10付:「笑われるから辞める?周囲の反応によって行動を決める輩共こそ愚民・恥ではないか/Just people who decide action by reaction are ignorant masses」
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