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出典:2018/09/18付・Index of /wp-content/uploads/2017/10/
「さすが安倍ちゃんが働いてた会社だね.png 」
(2007年3月12日6時31分頃・フジテレビ「めざましテレビ」)
以上2点の出典:2007/03/15付・外的眺望
「安倍総理 神戸製鋼製鉄所」
神戸製鋼所加古川製鉄所を視察する安倍晋三首相=平成19年(2007年)3月、兵庫県加古川市
以上2点の出典:2017/10/31付・産経ニュース
『【経済インサイド】性能データ改竄の神戸製鋼「説明責任」でも失態 元社員の安倍首相も危惧「誠実な責任感」』
出典:2019/07/14付・神戸新聞NEXT
「安倍氏、枝野氏、志位氏 3党首が神戸で舌戦 参院選」
参議院選、安倍首相の神戸来訪から回想する
12年前に安倍首相が神戸製鋼と広島少年院訪問
「失敗をしても、また再びもう一度社会に出て、あるいはまた学校に戻って人生をやり直す、そういうことが可能な日本にしていかなければいけない」
2007年、第一次政権時の安倍晋三総理大臣 (大学卒業後に3年間勤務した神戸製鋼所の加古川製鉄所に訪問された後の広島少年院への訪問時)
「子どもたちにとってですね、失敗をしても、また再びもう一度社会に出て、あるいはまた学校に戻って人生をやり直す、そういうことが可能な日本にしていかなければいけない、という中で成功例を是非見たいと思ってやってきました。」
今から12年前、安倍総理が神戸製鋼所を訪問された後に広島少年院を訪問された際、そのコメントを述べられた丁度その頃、僕は或る学校に通学していたのであった。「高校中退」のまま十数年、鉄工所で働いた後に或る一つのきっかけが有り、大検(大学入学資格検定)を経た後に36歳にして再び学生となっていた。しかしその後、僕は成功例には至らなかった。
第一次政権時、戦後最年少の52歳で首相に就任された安倍総理は、「再チャレンジ」のキーワードをも掲げながら、政策と実行、そして諸改革を行われた。
そして安倍首相は、第一次政権時に志半ばで辞任され、「臥薪嘗胆」の5年を経て「再チャレンジ」し、見事に「復活」された。
昨日7月14日、安倍首相は兵庫県神戸市に来訪され、中央区のJR三ノ宮駅南に在るそごう神戸店前に於いて、参議院議員選挙の兵庫選挙区の自民党立候補者の応援演説を行われた。また、近くにいた連立政権を組む公明党の立候補者にも応援演説の為に駆けつけられた。
安倍首相
「私たちは憲法に自衛隊を明記します。この選挙で問われるのは、憲法について議論する政党を選ぶのか、審議すらしない政党を選ぶのか、それを決めていただく選挙です」
「米国は日本が外国から侵略されたら、日本を守るために戦ってくれる唯一の国だ。トランプ大統領と信頼関係を作ることは日本の首相として最低限の義務だ」
「(北朝鮮による拉致被害者の有本恵子さん(59)=拉致当時(23)=の父、明弘さん(91)あてにトランプ氏から手紙が届いたことを紹介し)手紙には自筆で『私たちは必ず勝つ』と書いてくれた」
「平和安全法制ができ、(日米両国が)助け合うことができる同盟は絆を強くしている」
また先日7月3日の東京・内幸町の日本記者クラブで行われた与野党7党の党首らによる討論会では、こう述べられた。
安倍首相
「自衛隊の存在を明確に憲法に位置付けるのは防衛の根本だ」
安倍首相が神戸に来訪された事で「安倍首相 神戸」というキーワードでネット検索してみると、安倍首相が第一次政権時に自身が大学卒業後に勤務された神戸製鋼加古川製鉄所を訪問された事についての記事がヒットした。
2007年の神戸製鋼加古川製鉄所の訪問時、安倍首相はかつての上司や同僚とも再会され、製鋼所内の高炉等を見学された。
神戸製鋼を訪問後、安倍首相は広島少年院も訪問され、「更生」、「改心」される様子を感じられ、この記事の冒頭に掲げたコメント
「失敗をしても、また再びもう一度社会に出て、あるいはまた学校に戻って人生をやり直す、そういうことが可能な日本にしていかなければいけない」と述べられた。
安倍総理が神戸製鋼加古川製鉄所に勤務していた頃、住んでいたのは加古川市平岡町二俣の社員寮であったという。実は、僕が2年前に勤めていた鉄工所は、その隣に在る。そして現在も、加古川市の別の鉄工所に勤めている。
加古川と言えば、「憲法改正」を訴えて自害され犠牲になられた故・三島由紀夫氏の祖父の代が加古川市志方町であり、そこは「志方牛」で有名である。三島氏は、吉田松陰の命日を新暦に置き換えた11月25日に合わせて決行された様に、松蔭を尊敬していた。安倍首相も吉田松陰を尊敬して師に持ち、松蔭の遺した「留魂録」を愛読し、「知行合一」を信条とする、
安倍首相が
「私の社会人としての原点がここにあります」(「安倍内閣メールマガジン」 第21号(2007/03/15)より)とおっしゃられている通り、安倍首相が鉄鋼関係出身である事と同様に、僕が鉄工所で勤めて来ただけでは無く、拉致被害者の有本恵子氏の父の有本明弘氏も神戸市の長田区に住みながら長年、明石市で鉄工所を経営された。因みに、最近は安倍首相の横に立つ映像が多く見られる現・内閣官房副長官の西村康稔氏は、明石の選出、及び出生である。
以下、
2003/09/12付・朝日新聞朝刊(朝日新聞デジタル)「【北朝鮮拉致事件】家族奔走、暮らし犠牲」より
『留学先の欧州で83年に消息を絶った有本恵子さん(不明当時23)の
父明弘さん(75)は、兵庫県明石市で鉄工所を営んでいる。10代の時から鉄工所で働き続ける。恵子さんが生まれたのは、独立して約3年たった31歳の時だった。忙しくて、恵子さんを抱いてあやした思い出もない。
昨年9月17日、北朝鮮は娘を「死亡」と伝えてきた。それでも2日後には機械の前に立った。拉致被害者5人が帰国した日も鉄工所にいた。
「娘のことはきょう明日に解決する話じゃない。できるだけ日常生活を保っていきたい」
平壌で一緒に暮らしていることを伝える石岡亨さん(同22)の手紙が札幌市の石岡さんの実家に届いたのは、娘の失跡から5年後だった。しかし警察や外務省は相手にしてくれなかった。
昨春、よど号ハイジャック事件グループの元妻が拉致にかかわったことを告白した。北朝鮮にとって事実を認めやすい「最も解決に近い事件」との見方もあった。日朝首脳会談の日、恵子さんが帰国するとの情報が駆け巡った。
「恵子、もうしばらくの辛抱や」。明弘さんは
妻の嘉代子さん(77)と待っていた。
光が見えたかと思うと暗闇に突き落とされ、また必死で前へ進む。その繰り返しだった。
「向こうが『死んだ』いうんやったら、生き返らすための運動をせにゃしゃあない」
夜半にいつも目が覚める。恵子さんのことが
「ふわーっと頭の中に浮かんでくんねんな」。』
(以上、2003/09/12付・朝日新聞朝刊(朝日新聞デジタル)「【北朝鮮拉致事件】家族奔走、暮らし犠牲」より)
黙々と機械に向かう有本明弘さん。「生活は何も変わらない」=兵庫県明石市で
出典:2003/09/12付・朝日新聞朝刊(朝日新聞デジタル)
「【北朝鮮拉致事件】家族奔走、暮らし犠牲」
以下、2008/01/13付・映画・時事ニュース・そのたもろもろ感想文『拉致被害の有本恵子さん48歳に 82歳と79歳の両親「救出活動死ぬまで…」』より (
2008/01/11付・産経新聞『拉致被害の有本恵子さん48歳に 82歳と79歳の両親「救出活動死ぬまで…」』)
『留学中の欧州で昭和58年に北朝鮮に拉致された神戸市長田区の有本恵子さん=拉致当時(23)=が12日、48歳の誕生日を迎える。拉致後25回目の誕生日を前に父、明弘さん(79)は11日、「私も年齢を重ねたが、救出運動は死ぬまで続ける」と改めて語った。
神戸市外大を卒業した恵子さんは昭和57年にイギリスに留学。』
『翌年夏、
「仕事が見つかる。帰国遅れる」と電報を家族へ送ったあと、よど号ハイジャック犯らによる日本人獲得工作で北朝鮮へと拉致された。』
『事件から四半世紀。
明弘さんは昨年末、高齢ということもあり20年以上の間、週1回の休日以外は泊まり込みで続けてきた明石市内の鉄工所経営から退いた。』
『
妻の嘉代子さん(82)は
「体の衰えが目に見えるようになった。元気なうちに再会できるのかと思うと深刻になる」と不安は募るばかりだ。』
『それでも2人は月に数回、拉致問題の解決を訴えるために全国を飛び回る。
「足が動かなくなっても、しゃべることができる限り問題解決を訴えたい」。
明弘さんと嘉代子さんは娘の帰国を信じて12日には、赤飯とケーキで恵子さんの48回目の誕生日を祝う。』
(以上、2008/01/13付・映画・時事ニュース・そのたもろもろ感想文『拉致被害の有本恵子さん48歳に 82歳と79歳の両親「救出活動死ぬまで…」』より (2008/01/11付・産経新聞『拉致被害の有本恵子さん48歳に 82歳と79歳の両親「救出活動死ぬまで…」』))
拉致被害の有本恵子さん48歳に 82歳と79歳の両親「救出活動死ぬまで…」1月11日22時37分配信 産経新聞
出典:2008/01/13付・映画・時事ニュース・そのたもろもろ感想文
『拉致被害の有本恵子さん48歳に 82歳と79歳の両親「救出活動死ぬまで…」』
以下、2019/01/12付・産経新聞「有本恵子さん誕生日 母「生きているうちに顔見たい」」より
『
北朝鮮による拉致被害者の有本恵子さん=拉致当時(23)=が12日、59回目の誕生日を迎えた。
父の明弘さん(90)と母の嘉代子さん(93)は神戸市長田区の自宅にケーキや手料理を用意し、娘の誕生日を祝った。嘉代子さんは「生きているうちに恵子の顔を見たい」と祈るように話した。
両親は毎年、誕生日の夕食にケーキや手料理を用意して祝っている。この日は恵子さんの姉や妹が準備した赤飯やタイの煮付けも机に並んだ。
拉致から今年で36年。両親の年齢はともに90歳を超えた。明弘さんは、昨年6月の米朝首脳会談でトランプ米大統領が金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長に対し拉致問題の解決を働きかけたことに期待。
「今年こそ拉致問題は解決する。元気なうちに被害者は全員帰ってくる」と語った。』
(以上、2019/01/12付・産経新聞「有本恵子さん誕生日 母「生きているうちに顔見たい」」より)
出典:2019/01/12付・産経新聞
『有本恵子さん誕生日 母「生きているうちに顔見たい」』
安倍首相が第一次政権を志半ばで無念の辞任をされた2007年の末、拉致被害者の有本恵子氏の父の有本明弘氏も、長年独立して経営されながら現場で勤められた鉄工所を畳まれた。
僕もその年、或る専門学校の夜間部3年生となる中で、並行して行っていたアルバイトでの「失敗」に始まり、その後トラブルやバッシング、また難癖が付けられる等、学校内外で困難な状況が続いた。そして安倍総理が辞任する9月26日の前日から、つてを頼って芦屋市の或る所にアルバイトに行く事となり、僕の場合は逆に形勢が建て直され始めようとしていた。
一方で、首相を辞任された安倍氏は、その後、艱難辛苦の状況の中、臥薪嘗胆として過ごされた。しかし辞任されて5年が経過した2012年の末、再び内閣総理大臣に就任され、見事に「復活」された。そしてその後、現在までの約6年半の間、安倍内閣が続く事となり、日本は「安定」する事となった。
2006年9月26日~2007年9月26日の間の第一次安倍内閣時、僕は「政治オンチ」、またそれだけでは無く「社会問題オンチ」、「国際オンチ」、「時事問題オンチ」であった為、その頃の事は余りよく知らなかった。またその頃、僕は自宅に未だインターネットを引いていなかった。しかし、7年前ぐらい、丁度、第二次安倍政権が発足する年からその辺りの問題に目覚め出し、本ブログもその直前から始めた。
その後、色々と調べたり勉強する中で、安倍総理について書かれた本「約束の日 安倍晋三試論」(小川榮太郎氏著)や、安倍首相自身が書かれた本「新しい国へ 美しい国へ 完全版」を読む等をして、12~13年前の第一次政権時からの安倍首相の事も理解する事となった。
また、それ以前からずっと定期購読して来た、聖書預言とユダヤ問題を座標軸とする「国際時事情報誌・エノク」(宇野正美氏著)からも、安倍首相に対する誤解を解き、正しい理解をする事に繋げられた。
そして、「無知蒙昧」であった僕が成長・成熟するにつれて、知らずに左寄りであった事から色々と知る事によって右寄りにシフトし、現在に至っては「保守中道右派」の立場に立つ事が出来る様になった。
挫折後、「復活」して立ち上がった第二次安倍内閣発足時、「日本を取り戻す」をスローガンとして掲げながら「反グローバリズム」路線を進み始められた。しかしその後、諸外国との「調和」を図るべく、一方的な「ナショナリズム」に偏る事を避けられた。
マスコミが与える誤解、反日勢力、左翼・リベラル系の批判は大概のところ間違っていたり、筋が通らず、当を得ていないものが多い。安倍首相は決して私利私欲の為には行っておらず、至誠、真心を持ち、更に信念、理念、理想、ビジョンを持ちながら、日本の未来の為のステップを確実に踏む事を、今までの数々の諸改革を通して行って来られた。それら外側の反抗・妨害勢力だけでは無く、保身や出世、既得権益、外国勢力との繋がりにしがみつく内側の官僚等とも戦って来られた。
そして、安倍首相は第一次政権時から「教育」を重視されて来られたと事と共に、冒頭に掲げた
「失敗をしても、また再びもう一度社会に出て、あるいはまた学校に戻って人生をやり直す、そういうことが可能な日本にしていかなければいけない」と述べられていた通り、その様に「失敗」した事により世間から「レッテル」を貼られたり「偏見」、「差別」、ハラスメントの対象となって、社会的地位や名誉、職が奪われるままで、思うようにならず、苦しみ、悩み、下層、弱者の立場に追いやられている人々への眼差しをも持っておられるのである。
今回の参議院選挙戦では、安倍首相は「憲法改正」を封印せず、堂々と訴えておられる。「1952年の終戦」と主権回復から70年近くが経ち、日本国は悲願の憲法改正に向かう。
但し問題なのは、指導者が幾ら正しくとも、マスコミや左翼・リベラル系(※マスコミも左翼である)をはじめ、世間の未だ「無知蒙昧」で「平和ボケ」し「愚鈍」な大衆が、「無関心」「他人事」「マネー第一」「快楽主義」であり、その世間の「軽佻浮薄」で「付和雷同」し空気に流されやすい性質が存在する事が、非常に厄介に僕は感じる。
憲法改正への第一ハードルとして、議会内の妨害勢力である左翼・リベラル系との議論を経ての発議、その発議をしても、その様な世間の大衆が行う国民投票の第二のハードルが待っている。
いっその事、良い意味で、流されやすい世間の大衆を、「憲法改正ブーム」に乗せる事は出来ないだろうか。
以下、2007/03/15付・外的眺望「安倍総理 神戸製鋼製鉄所」より (
2007/03/10付?・TBS NEWS「安倍首相、政界入り前の勤務先など視察」)
『安倍総理.製鉄所視察
(1).従業員を前にした挨拶では
「皆さんご安全に!工程課厚板係の安倍晋三です。26年ぶりに帰ってまいりました。」安倍総理大臣は10日、政界入りする26年前におよそ3年間勤務していた兵庫県加古川市の神戸製鋼加古川製鉄所を訪れました。高炉から溶けた鉄を取り出す作業などを視察しました。
「私も研修で3交代でこれやりましたよ」。
当時の上司や同僚などから
「お帰りなさい」と迎えられた安倍総理。当時の上司に
「在任中は色々教えていただいてありがとうございました」とあいさつするなど、思い出を辿るひとときを過ごしました。
(2).
「子どもたちにとってですね、失敗をしても、また再びもう一度社会に出て、あるいはまた学校に戻って人生をやり直す、そういうことが可能な日本にしていかなければいけない、という中で成功例を是非見たいと思ってやってきました。」
製鉄所の視察に続いて
広島少年院を訪れた安倍総理は、矯正教育を受ける入所者とともに、自己紹介やディスカッションなどのワークショップを体験しました。この少年院は独自の矯正教育で再犯率が低下していて、
安倍総理が進める「再チャレンジ」を強調するねらいもありそうです。』
(以上、2007/03/15付・外的眺望「安倍総理 神戸製鋼製鉄所」より (2007/03/10付?・TBS NEWS「安倍首相、政界入り前の勤務先など視察」))
以下、2009/07/02付・ひろかずのブログ「平岡町二俣探訪:二俣と安倍晋三元首相」より (
2007/03/11付・神戸新聞「二俣と元首相:安倍晋三氏」)
『二俣と元首相:安倍晋三氏
「皆さんと一緒に仕事をしていたことを誇りに思いながら、これからも日本のために頑張りたい」。
十日に神戸製鋼所加古川製鉄所(加古川市金沢町)を訪れ、ものづくりの現場を視察した安倍晋三首相は、かつて勤務した思い出の地で、所員らを激励した。
一方、二十六年ぶりに対面した元同僚らは「昔のまま」と懐かしみ、日本のリーダーにエールを送った。(今泉欣也)
首相は一九八〇年五月から九カ月間、工程部工程課の厚板係に所属。近くの社員寮で共同生活を送った。製鉄所訪問はその時以来で、午前八時すぎから約一時間かけて高炉などを見学した。
厚板工場では、仕事上の先輩だった中渕勇さん(75)=加古川市=と再会。中渕さんが
「お久しぶりです」と声をかけると、首相は
「いろいろ教えて頂き、ありがとうございました」と笑顔で握手を交わした。
視察後、首相は集まった所員らに
「ご安全に。工程課厚板係の安倍晋三です」と製鉄所員時代に戻ってあいさつ。
笑いを誘うと
「研修時代はオレンジ色のヘルメットだったが、今日は白で一人前になった気がした」と当時を振り返った。
中渕さんは
「物静かでおとなしいが、言うことはきっぱり言う人だった。新しい思い出ができました」。
また、花束を手渡した首相に
「当時のマドンナ」と紹介された工程・調達部工程室の藤田真稚子さん(51)=加古川市=は
「話しやすく誠実で、信念があるところは今も変わらない。懐かしさがこみ上げてきました」と感激していた。』
(以上、2009/07/02付・ひろかずのブログ「平岡町二俣探訪:二俣と安倍晋三元首相」より (2007/03/11付・神戸新聞「二俣と元首相:安倍晋三氏」))
以上4点の出典:2007/03/20付・一般社団法人 日本鉄鋼連盟
「安倍首相が神戸製鋼所加古川製鉄所を訪問」
以下、2007/03/20付・一般社団法人 日本鉄鋼連盟:
「安倍首相が神戸製鋼所加古川製鉄所を訪問」より
『
3月10日(土)午前、安倍晋三首相が神戸製鋼所加古川製鉄所を訪問されました。
安倍首相は約1時間にわたり、第3高炉、厚板工場を 見学されました。見学後、
「みなさん、ご安全に。工程課厚板係の安倍晋三です。」と製鉄所員時代に戻っての一言。また、
「日本の技術、匠の力をこれからも生かしてほしい。ものづくりの誇りをもって頑張っていただきたい」と激励されました。訪問の記念に、建設中の第2高炉に使用する耐火煉瓦に
「鋼の匠」と揮毫されました。
安倍首相は1979~80年まで神戸製鋼所に在籍され、80年5月から81年1月末まで加古川製鉄所工程部工程課で勤務されており、製造業の現場を見たいとの首相の希望により今回の訪問が実現しました。』
[こんにちは、安倍晋三です]
更生する少年たちの心
「みなさんご安全に。工程課厚板係の安倍晋三です。」
久しぶりに訪れた神戸製鋼所加古川製鉄所で、現場の皆さんに挨拶しました。
「ご安全に」は、製鉄所の中で日常的に交わされる挨拶で、危険をともなう現場でお互いの身を気づかう、心の通った言葉です。
私の社会人としての原点がここにあります。
「産業のコメ」とも言われる鉄をつくりながら、現場ならではの厳しさや、やさしさ、仕事への誇りにあふれていたことを今でも覚えています。
「鉄は国家なり」と言われた鉄鋼産業は、基幹産業として、一貫して日本の成長の原動力となってきました。プラザ合意後の円高、日米通商摩擦、世界的な競争の激化、幾多の荒波にもまれても、日本のものづくりを支えてきました。あの阪神淡路の大震災のときも高炉を止めず、製造ラインをいち早く復旧させたのも、その責任感のなせる業だったのだと思います。
26年ぶりの高炉の火は、変わりなく照りつづけていました。作業服の感触、ヘルメットの感触、軍手の感触、すべて昔のまま。ハイテクが活かされている現在の製鉄所にあっても、炎を見ながら成分を見分ける匠の技術は見事に生きています。
日本の鉄鋼業は、環境問題への取組でも世界から注目されています。加古川製鉄所でも、高い環境技術、省エネ技術を導入することによって、エネルギー効率は私がいた頃よりも3割も向上したそうです。高い技術力をこれからも日本の強みとして活かしていただきたいと思います。
「安倍内閣メールマガジン」 第21号(2007/03/15)より抜粋
(以上、2007/03/20付・一般社団法人 日本鉄鋼連盟:「安倍首相が神戸製鋼所加古川製鉄所を訪問」より)
「鉄の匠」と記されるのを見守る。
作業着姿の安倍総理のご挨拶を隣で見守る。
出典:2007/03/11付・西村やすとし オフィシャルサイト
『「安倍総理と神戸製鋼加古川製鉄所を視察」』
以下、2007/03/11付・西村やすとし オフィシャルサイト『「安倍総理と神戸製鋼加古川製鉄所を視察」』より
『1.
3月9日(金)20:30安倍総理とともに、東京駅からのぞみ97号に乗り込んだ。
明日は、一緒に神戸製鋼加古川製鉄所の視察である。
2. 新幹線中では1時間にもわたって安倍総理の隣に座り、
党改革のこと、
インド・中国・ロシア・中東をはじめ外交政策のこと、
海洋基本法のこと、
地元中小企業のこと、などなどいろんな話をさせていただいた。
総理はいたって元気で、全くブレておらず、改めて意思の強さや視点の幅広さを感じた次第である。社会的な弱者の事も、しっかり考えておられる。
3.
翌朝(3/10・土)は、6時半に起き、総理と一緒にバスに乗り込んで、神戸製鋼を視察した。総理は
「皆さん、ご安全に。工程課厚板係の安倍晋三です。」と挨拶された。
大学卒業後、この神鋼の加古川製鉄所で勤務されたのである。およそ30年ぶりの訪問。昔の上司や同僚の方とも再会された。
さすがに鉄の工程には詳しく、むしろお伴をした我々が教えられたくらいである。総理も
「あらためて、モノづくりの重要性を認識した。」と言われ、記念の鉄板に
「鉄の匠」と示された。(ちなみに、この加古川製鉄所は世界最先端の効率的な製鉄所で、この15年間でもエネルギー効率を20%も改善している。)
(以上、2007/03/11付・西村やすとし オフィシャルサイト『「安倍総理と神戸製鋼加古川製鉄所を視察」』より)
本ブログ過去の関連記事
・2017/04/27付:
『「約束の日 安倍晋三試論」を読む・・・官僚との闘い、挫折、そして復活した現在、高い理念と志を基に長期安定政権の中、美しい国創設と憲法改正実現の向こうにある国家独立に向け前進する』
・2017/04/27付:
『高い志と理念を胸に、無私・至誠・真心を持ち、戦後体制からの脱却と日本国独立を目指す安倍晋三首相・・・「新しい国へ 美しい国へ 完全版」を読む』
・2017/07/23付:
『「継続は力なり」、安倍政権の継続が日本の国力となる・・・反日メディアの偏向報道・情報操作・世論誘導により作られた「空気」に煽られ乗せられ流される世間の「一時的なブーム」』
・2017/08/16付:
『「非戦」は「道義に外れた戦争に非ず」、忍耐の末のやむにやまれぬ自衛戦争、守るは義務・責任、公義の為の捧命・犠牲、左傾・性善説化した教界と距離を置く聖書基準の視点から提示・・「キリスト者の戦争論」を読む』
・2017/11/29付:
『「フリーメーソン憲法」に騙されている護憲派の方々・・・理想的世界・性善説を想定して作られた現・日本国憲法、第三次世界大戦と世界大恐慌への備え、そして武士の生き方と「悔い改め」による「死への備え」』
・2019/01/06付:
『My Testimony/僕の証<8-3/14>:エピローグならぬプロローグの追録~ 「キュレーター」として「変態コレクター」……!?/Is Curator Abnormal Collector ?』
・2019/04/06付:
「いっその事、選挙なんぞは止めてしまったら良いのではないだろうか・・・無知蒙昧・付和雷同・空気に流動の世間の大衆愚民、煽動者で偽善者・詐欺師のマスコミ、政治家の大衆迎合の体たらくが国を滅ぼす」
・2019/07/11付:
「日本の安倍首相のイランへの歴史的訪問(1/3)/Historical visit to Iran by Japanese PM Abe」
・2019/07/11付:
『現「偽」イスラエルの「妬み」:昨年、日本の安倍首相夫妻はネタニヤフ宅でのディナーで「侮辱」と「脅迫」を受けた/Netanyahu did PM Abe "insult" from "jealousy"』
・2019/07/12付:
『"Change 9" 日本の現「フリーメーソン憲法」九条改正の必要性と米トランプのタンカー自衛要求:タンカー攻撃されても未だ目が覚めない「狂信者」護憲派の九条信仰、「聖書の価値観」を基準にする憲法改正』
引用文献
・2003/09/12付・朝日新聞朝刊(朝日新聞デジタル):
「【北朝鮮拉致事件】家族奔走、暮らし犠牲」
・2007/03/11付・西村やすとし オフィシャルサイト
『「安倍総理と神戸製鋼加古川製鉄所を視察」』
・2007/03/15付・外的眺望:
「安倍総理 神戸製鋼製鉄所」
・2007/03/20付・一般社団法人 日本鉄鋼連盟:
「安倍首相が神戸製鋼所加古川製鉄所を訪問」
・2008/01/13付・映画・時事ニュース・そのたもろもろ感想文:
『拉致被害の有本恵子さん48歳に 82歳と79歳の両親「救出活動死ぬまで…」』
・2009/07/02付・ひろかずのブログ:
「平岡町二俣探訪:二俣と安倍晋三元首相」
・2019/01/12付・産経新聞:
「有本恵子さん誕生日 母「生きているうちに顔見たい」」
・2019/07/14付・産経新聞:
「安倍首相、神戸で拉致問題の解決に重ねて意欲」
参考文献
・2019/07/14付・時事通信:
「憲法改正の訴え封印=安倍首相、公明候補の応援で【19参院選】」
・2019/07/14付・神戸新聞NEXT:
「安倍氏、枝野氏、志位氏 3党首が神戸で舌戦 参院選」