狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

安倍首相に存する吉田松陰の心・・・「至誠」「真心」による安保関連法案と悲願の憲法改正へ

2015-07-20 19:03:43 | 憲法改正
 先日7月16日に、憲法解釈の適正化による集団的自衛権行使を可能とする事等の改正法と新法を含む安全保障関連法案が衆議院本会議で可決されて衆議院を通過した。今後、この法案が成立し、戦後70年間の悲願である日本国憲法の改正国防軍の創設の大目標に向かって行く。
 真心を伴う政治は、世間一般市民を正しい方向へと導く。現在の日本の総理大臣である安倍晋三首相は、幕末の思想家・吉田松陰を心から尊敬し慕っている
 吉田松陰は「至誠」の言葉を愛し、至誠の志を持つ至誠の人であった。そして「真心」を持ち、日本国民を愛し、その松陰の教えを基にして、幕末維新日本の独立の維持につながった。
 安倍首相は、その吉田松陰と同じ様な心を持っているものと思われる。今後の憲法改正国防軍創設にもその「至誠」「真心」が反映されるものであると思われる。
 以下に、松陰に関する事を、文献から引用し掲げる。

 「古代ユダヤの刻印―現代に蘇生する秦氏の血脈 」(著者:宇野正美氏、出版社:日本文芸社、出版日:1997/5/20)「第3部●江戸・幕末の知識人とイエスの黙契 ―イエスと同じ思想に達した吉田松陰と安藤昌益」「第5章・イエスと志を共に生きた吉田松陰 ―イエスの死も松陰の死もその後の世界と日本を根底から変えた」より、
 「早速、松陰は自分の家族に別れの手紙を書いた。とくに、実母、そして養母に宛てた文は次の通りである。
 『わたしの学問、そして教養の浅はかさのゆえに、至誠がその力をあらわすことができず、幕府の役人たちの考えを変えることができなかった』
 と書き出して、かの有名な歌が書かれていた。
 『親思うこころにまさる親ごころ きょうの音ずれ何ときくらん』
 「『留魂録』はやはり歌で始まっている。
 『身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂』
 たとえ自分が死んでも、国を想う自らの心は永遠に生きつづけるであろう、との意味である。
 松陰は常に自らの死のことより、将来のこと、なかでも日本国家のゆくえを案じつづけていたのである。」
 「ここで長くはなるが、『留魂録』のなかの有名な言葉を引用しなければならないであろう。…(中略)…
 『……今日、私が死を目前にして、平安な心境でいるのは、春夏秋冬の四季の循環ということを考えたからである。
 つまり、農事を見ると、春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈りとり、冬にそれを貯蔵する。秋・冬になると農民たちはその年の労働による収穫を喜び、酒をつくり、甘酒をつくって、村々に歓声が満ちあふれるのである。この収穫期を迎えて、その年の労働が終わったのを悲しむ者がいるというのを聞いたことがない。
 私は三十歳で生を終わろうとしている。いまだ一つも成しとげることがなく、このまま死ぬのは、これまでの働きによって育てた穀物が花を咲かせず、実をつけなかったことに似ているから惜しむべきかもしれない。だが私自身について考えれば、やはり花咲き実りを迎えたときなのである』」
 「『なぜなら、人の寿命には定まりがない。農事が必ず四季をめぐって営まれるようなものではないのだ。
 しかしながら、人間にもそれにふさわしい春夏秋冬があるといえるだろう。十歳にして死ぬ者には、その十歳のなかにおのずから四季がある。二十歳にはおのずから二十歳の四季が、…(中略)…。
 十歳をもって短いというのは、夏蟬を長生の霊木にしようと願うことだ。百歳をもって長いというのは、霊椿を蟬にしようとするようなことで、いずれも天寿に達することにはならない。
 私は三十歳、四季はすでに備わっており、花を咲かせ、実をつけているはずである。それが単なるモミガラなのか、成熟した粟の実であるかは私の知るところではない。
 もし同志の諸君のなかに、私のささやかな真心を憐れみ、それを受け継いでやろうという人がいるのなら、それはまかれた種子が絶えずに、穀物が年々実っていくのと同じで、収穫のあった年に恥じないことになろう。同志よ、このことをよく考えてほしい……』」
 「松陰は別れのときに、その弟子である高杉晋作に人生について、死について、次のような手紙を書き遺している。
 『君は問う。男子の死ぬべきところはどこかと……。
 私も昨年の冬投獄されて以来このことについて考えつづけてきたが、死についてついに発見した。死は好むものではなく、また憎むべきでもない。世の中には生きながらえながら心の死んでいる者があるかと思えば、その身は滅んでも魂の存する者もいる。
 死して不朽の見込みあらば、いつ死んでもよいし、生きて大業をなしとげる見込みならば、いつまでも生きたらよいのである
 つまり私の見るところでは、人間というものは、生死を度外視して、要するになすべきをなす心構えこそが大切である』」
 「松陰は…(中略)…いよいよ死出の旅となったとき、彼は声高らかに次の歌を吟じた。
 『吾今国の為に死す、死して君親に負(そむ)かず。悠々たり天地の事、鑑照、明神にあり』
 すなわち、私はいま国のために死ぬ。死んでも君や親に逆らったとは思っていない。天地は永遠である。私のまごころも、この永遠の神が知っておられる。少しも恥じることはない……
 …(中略)…松陰は最後まで至誠の志をもち、至誠の人でありつづけたのであった。」
 「イエスもまた、死を超えた志をもっていた。…(中略)…
 イエスは大胆に語りつづけた。そのようなことをすれば、死を招くことがわかっていながらも、ますます大胆に語りつづけたのであった。…(中略)…
 おそらく一般の人ならば、そうであろう。死まで至らなくても、その地位を失うだけでも身悶えしてしまうはずである。
 松陰もそうならば、イエスも完全にそれらを超越していた。」

 新約聖書・ヨハネの福音書12章24~26節
 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
 自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。
 わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。」


 本ブログ過去の関連記事↓↓
   ・2015/07/20付:「憲法解釈の適正化による安保関連法案・・・現実を見据えた危機感からの真心の政治は理性の法治を凌駕する」
   ・2015/07/26付:「安保関連法は日本の自立・独立へのステップ:イルミナティ・フリーメーソンの宣伝機関マスコミの甘言の罠」

 引用文献↓↓
 「古代ユダヤの刻印―現代に蘇生する秦氏の血脈 」(著者:宇野正美氏、出版社:日本文芸社、出版日:1997/5/20)
「古代ユダヤの刻印―現代に蘇生する秦氏の血脈 」(著者:宇野正美氏、出版社:日本文芸社、出版日:1997/5/20)

 参考動画↓↓
 

YouTube: [宇野正美] 吉田松陰から何を学ぶか
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憲法解釈の適正化による安保関連法案・・・現実を見据えた危機感からの真心の政治は理性の法治を凌駕する

2015-07-20 16:19:26 | 憲法改正
 先日7月16日、「集団的自衛権」行使を可能とする事等が盛り込まれた、「安全保障関連法案」が衆議院本会議で可決され、衆議院を通過した。
 「安全保障関連法案」は、「平和安全法制整備法案」「国際平和支援法案」の二本立てである。
 「平和安全法制整備法案」は、自衛隊法、武力攻撃事態法、周辺事態法、国際平和維持活動(PKO)協力法等、改正10法案を一括にしたものである。「国際平和支援法案」は新法で、国際紛争に於いて他国軍の後方支援を随時可能とするものである。
 この安保関連法案については、違憲か合憲か等と憲法学者等の論争が続いていた。その論争において違憲派は妥協せず、論争は果てしなく続きかねない状態となっていた。
 しかし、現実の世界情勢を見ると、その様な論争を延々と続ける程の悠長な事をしておれない状態にあるのである。第三次世界大戦は、世界権力のイルミナティ・フリーメーソンによって先の二つの大戦の計画と同時に計画されており、現に世界情勢の流れはその様になって来ているのである。
 また、単に宗教組織の書物ではなく本来は宗教とは無関係である「聖書」には、世界最終戦争の預言が書かれている。そしてこの世の終わりが預言されている。
 世界の多くの人達は、これらの事を知っている。勿論、日本の現政権である安倍政権も知っている。知っているが故に、日本政府は安保関連法案の可決・成立を急いでいるのである。
 しかし、日本の世間一般の多くの人達は知らない。新聞の中のたった1ページ程しか載せられない世界情勢に関する情報、テレビのニュース等も同様で、大幅に削られた極一部の世界情報に関する情報、またその一部の情報も、欧米寄りの偏向情報でありその欧米偏向情報は世界権力の意向が働いている情報である。その様な状態の中で一体何が見えてくるのだろうか?。
 それどころかテレビ等のマスコミ空虚で意味の無い番組を垂れ流しており、そのマスコミの裏につながる世界権力がマスコミを使って、世間一般市民を懐柔し洗脳して平和ボケへと導いて来た。
 政治家は、その様な平和ボケして解っていない世間一般市民に迎合せず、正しい見識と判断を基に世間一般を導く事は正しいのである。
 憲法解釈を適正化した上での集団的自衛権の行使等の改正と新法制定。従来の解釈が正確ではなく、且つ現代の世界情勢に沿うものとする事は当然である。
 その憲法解釈について。下記に関連文献からの引用文を載せている。「政治主義」は「法治主義」に優る。政治主義は「心」であり、法治主義は「理性(頭)」である。政治主義は民であり、法治主義は官僚である。国家主権は超法規的であり、法的に拘束されるものではない
 聖書におけるモーセが創造主から授かった「律法」も、罪深い人々の為に「理性」(頭)を身に付けさせる為のもので、その律法の行ない・形式主義によっては義とならず、罪から解放されない。逆に、信仰(心)によって義とされ、イエス・キリストによって罪から解放されるのである。
 「真心」の政治は理性の法治を上回るべきものである真心を基にした憲法解釈の適正化は正しいのである。日本が他国へ侵略する戦争をする事は現政権も勿論考えていないし、今後有り得ない事である。飽く迄も、現実の世界情勢を基にした危機意識を持つ事からの、日本国民を守る為の「国防」の為である。

 以下、「角栄なら日本をどう変えるか 日本再生のための処方箋」(著者:新野哲也氏、出版社:光人社、出版日:2003/12/12)からの引用。
 「主権国家というのは、自前の憲法自前の国軍をもち、国益主義をおしすすめることにほかならないが主権と国益に体を張った角栄を屠った日本の政界・官界には、他国におもねり、平気で主権や国益を放り出す者たちばかりになった。」
 「役人に政治権力をあたえてはならない理由は、かれらは国家理性よりもを優先させるからである。それが法治主義である。『日本は“法”治国家』というひとがいるが、まちがいである。法で治められるのは法廷のなかか掟社会においてであり、ひとの世を治めるのは、血のかよった“政”治でなければならない。この政治主義が国家主権・国家理性の土台となる。角栄の時代 ― 日本がまともだったのは、政(=民)が法(=官)の上位にあったからである。」
 「政治は、畢竟、この国家主権をあつかう。それが国家理性である。国家はみずから超法規的に生きようとする。ところが法治主義にたてこもる役人は、超法規的なこの国家主権を軽んじる。」
 「国家主権には、祖国愛や民族意識、歴史観あるいは国益がふくまれるが、法は血も涙もないただの“ルールブック”でしかない。法の番人に仕事をまかせると、外に対しては平伏外交、内に対しては冷血政治となる。」
 「角栄は、戦後からの『対米従属』『官導政治』を政治の力でひっくり返した。霞が関につらなる国際派政治家や中央財界を敵にまわして角栄は選挙に ― 派閥抗争に勝った。政治は選挙をつうじてあらわれる民力である。民力がはじめてそれまでの支配体制をゆるがした。」
 「角栄の政治死は、日本の近代政治の死と、前世紀的な官僚体制のよみがえりを言祝(ことほ)ぐ、フランス革命的な狂乱だった。…(中略)…このとき日本人は、法治主義(理性)を神と崇め、歴史の知恵や良識と人間の判断力を根拠とする政治主義(心)を生きたまま埋葬し、あたかも血の革命を成功させたかのような興奮に酔いしれたのだった。
 朝日新聞が延々と『ロッキード事件を風化させるな』と叫びつづけたのは、国家主権の自己否定にあたる角栄潰しに、かれらの大好きな革命の匂いが濃密にたちこめていたからである。人権擁護や少年法にかかる法務省の独断、検察ファッショ、司法の脱線や狂った判決などもその延長線上にある。心の政治をドグマの法と狂信のイデオロギーにおきかえる ― それが革命なのである。」
 「法治を政治に優先させると、空恐ろしい暗黒政治がまちうける
 他国から提供された証拠によって自国の元首相を ― 自国法をもって裁く。これこそ究極の法治主義だが、それを正当化するのが『革命権』である。フランス革命の人権宣言(圧制への抵抗権)やアメリカの独立宣言(革命権)には、これがはっきりと謳われている。」
 「ちなみに、日本国憲法にもこの“革命権”という考え方がひきつがれている。最高法規条項(第九十九条)によれば、『天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し、擁護する義務を負う』とある。
 総理大臣はおろか、天皇までが法の下におかれるという日本国憲法のこの法治優位主義は、フランスの人権宣言およびアメリカの独立宣言からの移植だが、これを杓子定規に採用すれば、国家理性や政治権力は法的強制力を凌駕する ― という近代的な国家主権論が根底から崩される。
 角栄を逮捕・起訴した検察、角栄を裁いた日本の司法は、憲法にしるされたこの究極の法治主義をもちいたのである。角栄潰しが朝日新聞にリードされたのも、法務省・司法が嘱託尋問などを強行して角栄有罪に固執したのも、ロッキード裁判が法治主義を奪回するための『革命権』の遂行だったからである。
 革命とは、心(政治)をドグマ(法・イデオロギー)でうちのめすことである。」
      (※フランスの人権宣言、アメリカの独立宣言はフリーメーソンによるものであるが、現日本国憲法を制定したGHQの最高司令官マッカーサーもフリーメーソンであり、現日本国憲法もフリーメーソンによるものと言って過言では無い様に、本ブログ著者は思う。)
 「角栄の政治死によって官僚政治(=法治主義)が台頭すると、それまで政治主義が支えていた国家主権がもののみごとに崩壊していったのだった。それが竹下蔵相(当時)のプラザ合意にはじまって現在に続く売国政治の系譜である。」
 「角栄には、国家主権や国益にたいする理念、ゆたかな国家ビジョンがあった。だが角栄が病に倒れたのち、教えを乞うどころか、訪ねてくる政治家もまれだった。政治家が心を忘れては何の値打ちもない。心をテコにする“政”治の時代は終わり、やがて官僚による心のない、“法”治の時代がはじまるのである。」
 「宮沢、細川、村山の三内閣は『自虐史観』路線をうちだし、そのために国家基盤がみるみる弱体化し、外交面で失点をかさねてゆく。結局、政治家は国民や国家のためには何もしなかったのだ。その一方、官導体制のもとで金融グローバリゼーション、男女共同参画基本法、ゆとり教育など国家の根幹を危うくする法令の施行が次々にすすめられ、経済や外交のみならず国家そのものが危機に瀕しはじめる
 政治家が体を張ってまもらなければならなかった国家の誇り国民の安全、国益独立自尊の気概を ― 政治家が投げ捨てて霞が関の役人にゲタを預ければ、役人たちはそれをただの役得とするだけである。外務省チャイナスクールの売国行為を咎める前に、…(後略)…。」
 「日本は『政治国家』から『法治国家』へと滑落していった。角栄とともに政治が死ぬと、国民的悲願である憲法改正の前に立ちふさがる内閣法制局をはじめ、霞が関の役人が政治の要所を巧みにおさえ、日本をミスリードしはじめる。BIS規制や国際会計法などのグローバリゼーションにかかる金融諸法、日教組との談合によるゆとり教育、男女共同参画と銘打ったフェミニズム法と、官僚が国民のあずかり知らぬところでひそかに悪法をこしらえ、日本をどんどんわるい方向へ追いこんでゆく
 角栄失脚以降、志の低い政治家が法治主義をもちあげ、マスコミが諸手をあげてこれを支持し、正義の根拠とした。」
 「高齢化や少子化、巨額財政赤字をことさらに悲観的にみて日本経済を『IMF管理下⇒アメリカ属国化』へミスリードしたがっているような男に金融・財政・経済を任せきって日本が破滅にむかわないわけがないが、…(中略)…日本人が…(中略)…『カイカクだ!』と拳をふりあげて小泉・竹中を熱烈に支持する。マスコミのミスリードに踊らされているのだとしても、空しいというしかない。」
角栄の失脚によって官僚とともに国際派が台頭し、日本は急速に精彩を失っていった『角栄ならどう変えるか』という問いは、ロッキード事件で角栄を陥れ ― 現在、日本の支配イデオロギーになりおおせている官僚主義・国際主義にたいする痛烈な批判でなければならないだろう。」
マスコミの『政治家はクリーンでありさえすればよい』というキャンペーンにのって日本人は、こうして決定的に政治的聡明さを失ってゆく。」
 「角栄の失脚以降、日本人は、政治家の資質や能力にはまったく目をむけず、マスコミと一体となってクリーンかダーティーか、という感情論をふりまわし、しかもそれを政治家を評価する唯一の選択眼にしてしまうという過ちを犯すのだ。日本人は政治の功利主義を捨てた。それが三木武夫、および竹下登以降、内務官僚出身の後藤田正晴が旗をふり、七人の宰相がかかげた“政治改革”の中身だった。」
 「中東からの石油なくしてわが国は、経済どころか、国民生活さえ成り立たない。…(中略)…
 角栄がサウジアラビアと結んだ『D-D取引』契約が、いかに日本の国益にかなったことだったか、そしてそれが、いかにアメリカの逆鱗にふれることだったか ― 激昂したキッシンジャーがこのとき角栄を名指しして『反ユダヤ的』と口走ったことからもそのことがうかがえる。」

新約聖書・ローマ人への手紙 3章28節
 「人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。」
     (※使徒パウロの手紙。)

 同書・テモテへの手紙 第一 1章8~10節
 「しかし私たちは知っています。律法は、もし次のことを知っていて正しく用いるならば、良いものです。
 すなわち、律法は、正しい人のためにあるのではなく、律法を無視する不従順な者、不敬虔な罪人、汚らわしい俗物、父や母を殺す者、人を殺す者、
 不品行な者、男色をする者、人を誘拐する者、うそをつく者、偽証をする者などのため、またそのほか健全な教えにそむく事のためにあるのです。」
     (※使徒パウロの手紙。)

 同書・使徒の働き 13章37~39節
 「しかし、神がよみがえらせた方は、朽ちることがありませんでした。
 ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいてください。
 モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。」
(※「この方」=イエス・キリスト。)
(※ルカによる歴史書)

 本ブログ過去の関連記事↓↓
   ・2015/07/20付:「安倍首相に存する吉田松陰の心・・・『至誠』『真心』による安保関連法案と悲願の憲法改正へ」
   ・2015/07/26付:「安保関連法は日本の自立・独立へのステップ:イルミナティ・フリーメーソンの宣伝機関マスコミの甘言の罠」

 引用文献↓↓
 角栄なら日本をどう変えるか 日本再生のための処方箋(著者:新野哲也氏、出版社:光人社、出版日:2003/12/12)
角栄なら日本をどう変えるか 日本再生のための処方箋(著者:新野哲也氏、出版社:光人社、出版日:2003/12/12)
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