先日7月16日に、憲法解釈の適正化による集団的自衛権行使を可能とする事等の改正法と新法を含む安全保障関連法案が衆議院本会議で可決されて衆議院を通過した。今後、この法案が成立し、戦後70年間の悲願である日本国憲法の改正と国防軍の創設の大目標に向かって行く。
真心を伴う政治は、世間一般市民を正しい方向へと導く。現在の日本の総理大臣である安倍晋三首相は、幕末の思想家・吉田松陰を心から尊敬し慕っている。
吉田松陰は「至誠」の言葉を愛し、至誠の志を持つ至誠の人であった。そして「真心」を持ち、日本国民を愛し、その松陰の教えを基にして、幕末維新と日本の独立の維持につながった。
安倍首相は、その吉田松陰と同じ様な心を持っているものと思われる。今後の憲法改正や国防軍創設にもその「至誠」「真心」が反映されるものであると思われる。
以下に、松陰に関する事を、文献から引用し掲げる。
「古代ユダヤの刻印―現代に蘇生する秦氏の血脈 」(著者:宇野正美氏、出版社:日本文芸社、出版日:1997/5/20)~「第3部●江戸・幕末の知識人とイエスの黙契 ―イエスと同じ思想に達した吉田松陰と安藤昌益」~「第5章・イエスと志を共に生きた吉田松陰 ―イエスの死も松陰の死もその後の世界と日本を根底から変えた」より、
「早速、松陰は自分の家族に別れの手紙を書いた。とくに、実母、そして養母に宛てた文は次の通りである。
『わたしの学問、そして教養の浅はかさのゆえに、至誠がその力をあらわすことができず、幕府の役人たちの考えを変えることができなかった』
と書き出して、かの有名な歌が書かれていた。
『親思うこころにまさる親ごころ きょうの音ずれ何ときくらん』」
「『留魂録』はやはり歌で始まっている。
『身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂』
たとえ自分が死んでも、国を想う自らの心は永遠に生きつづけるであろう、との意味である。
松陰は常に自らの死のことより、将来のこと、なかでも日本国家のゆくえを案じつづけていたのである。」
「ここで長くはなるが、『留魂録』のなかの有名な言葉を引用しなければならないであろう。…(中略)…
『……今日、私が死を目前にして、平安な心境でいるのは、春夏秋冬の四季の循環ということを考えたからである。
つまり、農事を見ると、春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈りとり、冬にそれを貯蔵する。秋・冬になると農民たちはその年の労働による収穫を喜び、酒をつくり、甘酒をつくって、村々に歓声が満ちあふれるのである。この収穫期を迎えて、その年の労働が終わったのを悲しむ者がいるというのを聞いたことがない。
私は三十歳で生を終わろうとしている。いまだ一つも成しとげることがなく、このまま死ぬのは、これまでの働きによって育てた穀物が花を咲かせず、実をつけなかったことに似ているから惜しむべきかもしれない。だが私自身について考えれば、やはり花咲き実りを迎えたときなのである』」
「『なぜなら、人の寿命には定まりがない。農事が必ず四季をめぐって営まれるようなものではないのだ。
しかしながら、人間にもそれにふさわしい春夏秋冬があるといえるだろう。十歳にして死ぬ者には、その十歳のなかにおのずから四季がある。二十歳にはおのずから二十歳の四季が、…(中略)…。
十歳をもって短いというのは、夏蟬を長生の霊木にしようと願うことだ。百歳をもって長いというのは、霊椿を蟬にしようとするようなことで、いずれも天寿に達することにはならない。
私は三十歳、四季はすでに備わっており、花を咲かせ、実をつけているはずである。それが単なるモミガラなのか、成熟した粟の実であるかは私の知るところではない。
もし同志の諸君のなかに、私のささやかな真心を憐れみ、それを受け継いでやろうという人がいるのなら、それはまかれた種子が絶えずに、穀物が年々実っていくのと同じで、収穫のあった年に恥じないことになろう。同志よ、このことをよく考えてほしい……』」
「松陰は別れのときに、その弟子である高杉晋作に人生について、死について、次のような手紙を書き遺している。
『君は問う。男子の死ぬべきところはどこかと……。
私も昨年の冬投獄されて以来このことについて考えつづけてきたが、死についてついに発見した。死は好むものではなく、また憎むべきでもない。世の中には生きながらえながら心の死んでいる者があるかと思えば、その身は滅んでも魂の存する者もいる。
死して不朽の見込みあらば、いつ死んでもよいし、生きて大業をなしとげる見込みならば、いつまでも生きたらよいのである。
つまり私の見るところでは、人間というものは、生死を度外視して、要するになすべきをなす心構えこそが大切である』」
「松陰は…(中略)…いよいよ死出の旅となったとき、彼は声高らかに次の歌を吟じた。
『吾今国の為に死す、死して君親に負(そむ)かず。悠々たり天地の事、鑑照、明神にあり』
すなわち、私はいま国のために死ぬ。死んでも君や親に逆らったとは思っていない。天地は永遠である。私のまごころも、この永遠の神が知っておられる。少しも恥じることはない……。
…(中略)…松陰は最後まで至誠の志をもち、至誠の人でありつづけたのであった。」
「イエスもまた、死を超えた志をもっていた。…(中略)…
イエスは大胆に語りつづけた。そのようなことをすれば、死を招くことがわかっていながらも、ますます大胆に語りつづけたのであった。…(中略)…
おそらく一般の人ならば、そうであろう。死まで至らなくても、その地位を失うだけでも身悶えしてしまうはずである。
松陰もそうならば、イエスも完全にそれらを超越していた。」
新約聖書・ヨハネの福音書12章24~26節
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。
わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。」
本ブログ過去の関連記事↓↓
・2015/07/20付:「憲法解釈の適正化による安保関連法案・・・現実を見据えた危機感からの真心の政治は理性の法治を凌駕する」
・2015/07/26付:「安保関連法は日本の自立・独立へのステップ:イルミナティ・フリーメーソンの宣伝機関マスコミの甘言の罠」
引用文献↓↓
「古代ユダヤの刻印―現代に蘇生する秦氏の血脈 」(著者:宇野正美氏、出版社:日本文芸社、出版日:1997/5/20)
参考動画↓↓
YouTube: [宇野正美] 吉田松陰から何を学ぶか
真心を伴う政治は、世間一般市民を正しい方向へと導く。現在の日本の総理大臣である安倍晋三首相は、幕末の思想家・吉田松陰を心から尊敬し慕っている。
吉田松陰は「至誠」の言葉を愛し、至誠の志を持つ至誠の人であった。そして「真心」を持ち、日本国民を愛し、その松陰の教えを基にして、幕末維新と日本の独立の維持につながった。
安倍首相は、その吉田松陰と同じ様な心を持っているものと思われる。今後の憲法改正や国防軍創設にもその「至誠」「真心」が反映されるものであると思われる。
以下に、松陰に関する事を、文献から引用し掲げる。
「古代ユダヤの刻印―現代に蘇生する秦氏の血脈 」(著者:宇野正美氏、出版社:日本文芸社、出版日:1997/5/20)~「第3部●江戸・幕末の知識人とイエスの黙契 ―イエスと同じ思想に達した吉田松陰と安藤昌益」~「第5章・イエスと志を共に生きた吉田松陰 ―イエスの死も松陰の死もその後の世界と日本を根底から変えた」より、
「早速、松陰は自分の家族に別れの手紙を書いた。とくに、実母、そして養母に宛てた文は次の通りである。
『わたしの学問、そして教養の浅はかさのゆえに、至誠がその力をあらわすことができず、幕府の役人たちの考えを変えることができなかった』
と書き出して、かの有名な歌が書かれていた。
『親思うこころにまさる親ごころ きょうの音ずれ何ときくらん』」
「『留魂録』はやはり歌で始まっている。
『身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂』
たとえ自分が死んでも、国を想う自らの心は永遠に生きつづけるであろう、との意味である。
松陰は常に自らの死のことより、将来のこと、なかでも日本国家のゆくえを案じつづけていたのである。」
「ここで長くはなるが、『留魂録』のなかの有名な言葉を引用しなければならないであろう。…(中略)…
『……今日、私が死を目前にして、平安な心境でいるのは、春夏秋冬の四季の循環ということを考えたからである。
つまり、農事を見ると、春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈りとり、冬にそれを貯蔵する。秋・冬になると農民たちはその年の労働による収穫を喜び、酒をつくり、甘酒をつくって、村々に歓声が満ちあふれるのである。この収穫期を迎えて、その年の労働が終わったのを悲しむ者がいるというのを聞いたことがない。
私は三十歳で生を終わろうとしている。いまだ一つも成しとげることがなく、このまま死ぬのは、これまでの働きによって育てた穀物が花を咲かせず、実をつけなかったことに似ているから惜しむべきかもしれない。だが私自身について考えれば、やはり花咲き実りを迎えたときなのである』」
「『なぜなら、人の寿命には定まりがない。農事が必ず四季をめぐって営まれるようなものではないのだ。
しかしながら、人間にもそれにふさわしい春夏秋冬があるといえるだろう。十歳にして死ぬ者には、その十歳のなかにおのずから四季がある。二十歳にはおのずから二十歳の四季が、…(中略)…。
十歳をもって短いというのは、夏蟬を長生の霊木にしようと願うことだ。百歳をもって長いというのは、霊椿を蟬にしようとするようなことで、いずれも天寿に達することにはならない。
私は三十歳、四季はすでに備わっており、花を咲かせ、実をつけているはずである。それが単なるモミガラなのか、成熟した粟の実であるかは私の知るところではない。
もし同志の諸君のなかに、私のささやかな真心を憐れみ、それを受け継いでやろうという人がいるのなら、それはまかれた種子が絶えずに、穀物が年々実っていくのと同じで、収穫のあった年に恥じないことになろう。同志よ、このことをよく考えてほしい……』」
「松陰は別れのときに、その弟子である高杉晋作に人生について、死について、次のような手紙を書き遺している。
『君は問う。男子の死ぬべきところはどこかと……。
私も昨年の冬投獄されて以来このことについて考えつづけてきたが、死についてついに発見した。死は好むものではなく、また憎むべきでもない。世の中には生きながらえながら心の死んでいる者があるかと思えば、その身は滅んでも魂の存する者もいる。
死して不朽の見込みあらば、いつ死んでもよいし、生きて大業をなしとげる見込みならば、いつまでも生きたらよいのである。
つまり私の見るところでは、人間というものは、生死を度外視して、要するになすべきをなす心構えこそが大切である』」
「松陰は…(中略)…いよいよ死出の旅となったとき、彼は声高らかに次の歌を吟じた。
『吾今国の為に死す、死して君親に負(そむ)かず。悠々たり天地の事、鑑照、明神にあり』
すなわち、私はいま国のために死ぬ。死んでも君や親に逆らったとは思っていない。天地は永遠である。私のまごころも、この永遠の神が知っておられる。少しも恥じることはない……。
…(中略)…松陰は最後まで至誠の志をもち、至誠の人でありつづけたのであった。」
「イエスもまた、死を超えた志をもっていた。…(中略)…
イエスは大胆に語りつづけた。そのようなことをすれば、死を招くことがわかっていながらも、ますます大胆に語りつづけたのであった。…(中略)…
おそらく一般の人ならば、そうであろう。死まで至らなくても、その地位を失うだけでも身悶えしてしまうはずである。
松陰もそうならば、イエスも完全にそれらを超越していた。」
新約聖書・ヨハネの福音書12章24~26節
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。
わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。」
本ブログ過去の関連記事↓↓
・2015/07/20付:「憲法解釈の適正化による安保関連法案・・・現実を見据えた危機感からの真心の政治は理性の法治を凌駕する」
・2015/07/26付:「安保関連法は日本の自立・独立へのステップ:イルミナティ・フリーメーソンの宣伝機関マスコミの甘言の罠」
引用文献↓↓
「古代ユダヤの刻印―現代に蘇生する秦氏の血脈 」(著者:宇野正美氏、出版社:日本文芸社、出版日:1997/5/20)
参考動画↓↓
YouTube: [宇野正美] 吉田松陰から何を学ぶか