「愛国は人性の至誠なり」(「基督信徒のなぐさめ」より、著者・内村鑑三氏)。
内村鑑三氏は、JesusとJapanの「二つのJ」をセットとして「キリスト愛国」を唱えた。如何にして子供・若者の、義務としてでは無く自然に愛国心を育てるかを、天皇の書いた教育勅語に対する「不敬事件」の誤解により国人・世間の人達にバッシングを受け排除され社会的に捨てられる身の中に於いて、考えた。
札幌農学校で内村氏と同期であった新渡戸稲造は「キリスト武士道」とセットにして愛国心を説いた。著書「武士道」においては、義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義・克己を説いた。
二人は共にクリスチャンであり愛国者であったが、内村氏の父は高崎藩士の武士で、新渡戸氏の父も盛岡藩士であった。
江戸末期に清が英国とのアヘン戦争に敗れた事によって欧米列強の半植民地化された事をはじめ、アジア各国が欧米帝国主義による植民地化が進んでいた中、日本は国家存亡の危機感を抱いて大政奉還、明治維新へと繋ぎ、日本の近代化を進める中で、長い歴史と伝統・文化を持つ日本の良さを知ってもらおうと、決して欧米各国の白人に引けを取らない日本人の良さを知ってもらおうと、内村氏は「代表的日本人」を、新渡戸氏は「武士道」を、共に英語で書き記して世界に配布・宣伝した。
現在の自由民主党政権の中にはクリスチャンが多い。麻生太郎・副総理、石破茂・地方創生担当大臣、山谷えり子・参議院議員、稲田朋美・自由民主党政務調査会長……等となっている。
クリスチャンは左翼・社会主義・革新系に多いと世間一般的には認識されている傾向がある様に思う。キリスト教会が平和や愛の事ばかりを唱えて現実から目を逸らさせて、平和ボケさせて、憲法9条改正反対等と、自衛戦争までも否定しようとしている者達が実際多いからである。また捏造された歴史に洗脳されて、自虐史観の肯定に陥っているからである。因みに、共産主義は神・宗教を否定しているはずなので、共産党の中にはクリスチャンはいないはずなのであるが。
しかし、聖書は何も平和や愛に関する事だけが書かれているのでは無い。旧約聖書のエゼキエル書、ダニエル書、ホセア書、ゼカリヤ書、新約聖書のヨハネの黙示録に書かれている様に、世界最終戦争が起こりこの世が終わると言う事が、創造主からの「預言」として書かれているのである。聖書の「預言」は「運命」である。希望的観測によってそのような事を避けたいと思っても、襲ってくるのである。その時に、その平和ボケしている者達は、自衛戦争もせずになすがままで侵され続けるつもりなのであろうか?。
キリスト教会は、日本においては総人口の1%も満たない極めて少数派で弱い立場である為に、自分達の宗教組織を守る為に、「ハルマゲドン」等と言おうものなら危険な宗教と誤解されるのを恐れて、それらの預言を隠して、俗に言う「ラブ&ピース」、「愛」や「平和」ばかりを唱えて教会の生き残りに努めているのである。
よって、聖書と現代のキリスト教という宗教組織は切り離して見て考えなければならないのである。内村氏は「無教会主義」を唱えて、神父や牧師等の仲介者を経ずに、各々の信者が聖書のみを通して創造主・イエスと直接向き合う事を説いたのである。また新渡戸氏も同様に、仲介者の祭司を全く置かずに、装飾の無い極めてシンプルな小さな集会所で集うクェーカー派であった。新約聖書の殆どを書いたパウロの在世時の原始キリスト教会からかけ離れた、現代の壮麗豪華な欧米のキリスト教会や教会組織の階級制度、形式主義、人間マリアの偶像、後世の人間が恣意的に作ったクリスマス等の行事等、それらを二人は否定していたのである。パウロやマルティン・ルターと同様であったのである。
昭和53年~55年(1978~1980年)に首相を務められた自民党・大平正芳氏はクリスチャンであったが、昭和54年に首相として靖国神社へ正々堂々と公式参拝した。大平氏は慰霊の為、慰謝の為、世俗目的の為に、周囲の人にどの様に思われようとも、自分の気持ちに素直に、自分の信念に則って、堂々と公式参拝を果たし、日本の後世の人達による正しい歴史認識による日本の歴史修正によってこの参拝がはっきり認められる時が来る事を信じ期待していた。その公式参拝について、中国からの抗議は全く無かった。
政教分離に明確な定義は存在しない。憲法20条と89条にそれに関するものは有るが、その言葉が明記されてはいない。
現憲法のゆるやかな解釈によって、欧米各国と同様に、国家と宗教組織・団体を分離し、国家と宗教そのものとは分離しない事が正しいと言う。その国家の内容がstateとnationであり、stateである政府や権力機関が特定の宗教組織と結びつく事を禁止する事に留まり、nationである国民、共同体は宗教を排除する必要性が無いことから言える。
最高裁判所により示された「目的効果基準」を基に、靖国神社の公式参拝は慰霊・慰謝の世俗目的の為であり、宗教的意義は希薄であり、それによる効果で特定宗教を利する事にはならないと判断して、合憲であると解釈するのが当然と言う。(以上、政教分離について、参考:「憲法の常識 常識の憲法」、著者・百地章氏、出版社・文藝春秋、出版日:2005/4/20)
キリスト者は偶像崇拝をしない。故に、墓は拝むのでは無くただ故人を偲んで「追懐」する所とし、基本的に線香も上げない。勿論、家の中に仏壇や神棚を設ける事も無い。家の中は至ってシンプルにするのが基本である。
天皇は神では無く人間であるので勿論拝む事は必要ないが、天皇、国旗、国家に対して義務ではなく自然に尊重するようになる必要が有る。
しかし私は正直、戦前に行われていた様な「天皇陛下バンザイ」には違和感を感じる。それをやれと強制されても出来ない様に思う。
日本には古代ユダヤ人が渡来し、その影響が日本の神社や祭り、言葉、しきたりをはじめとした伝統・文化の中に見られるという事を研究によってテレビや多くの著書で明かして来られた久保有政・牧師は、「神の日本への深い愛を知るには、日本人が東京裁判史観や左翼の自虐史観を脱する必要があると主張。日本の本当の歴史を取り戻すためとして、日本の近・現代史についても多くの著述を行なっている。」(ウィキペディア「久保有政」より。)日本には創造主の契約の民・古代ユダヤ人の末裔が多く住むが故に、日本に対しての神の深い愛が有ると説いているのである。そして久保氏は、武士道等の日本精神、大和魂を今一度見つめなおすべきだと説いている。
内村鑑三氏「日本人の内にユダヤ人の血が流れて居るとは早くより学者の唱へた所である」(「聖書之研究」~附録掲載「日本の天職」より、1924/11/10)。
私は、内村鑑三氏のイエス・キリスト「Jesus」と日本「Japan」の「二つのJ」にユダヤ人「Jew」を加えて「三つのJ」とする。勿論、ここで言うユダヤ人とは、白人のアシュケナジムでは無く、アブラハム-イサク-ヤコブの血統である本当のユダヤ人の事である。
真のキリスト者は、日本の愛国者である。
大和魂
「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花(本居宣長)」
「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂(吉田松陰)」
(以上、ウィキペディア「大和魂」より)
葉隠
「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」
新約聖書・ヨハネの福音書12章24~25節
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。」
関連記事
・レムナント出版/キリスト教読み物サイト~キリスト教読み物サイト~日本近代史~「『南京大虐殺』は捏造だった」
・2013/02/02付・NEWSポストセブン:「麻生、石破、山谷えり子ら安倍政権にクリスチャンが多い理由」
・2016/05/27付・クリスチャントゥデイ:「この人に聞く(7)石破茂国務大臣『ご用のためにお用いください』祈りと願いを刻んで「『真実』と向き合う」
参考動画
YouTube: 日本キリスト教団高砂教会 2016年1月24日特別礼拝 久保有政牧師「武士道とキリスト教」
関連動画
YouTube: へブル語と日本語の類似 秦氏
参考文献
・ウィキペディア:「久保有政」
関連文献
日本書紀と日本語のユダヤ起源(著者:ヨセフ・アイデルバーグ氏、訳者:久保有政氏、出版社:徳間書店、出版日:2005/12/31)
内村鑑三氏は、JesusとJapanの「二つのJ」をセットとして「キリスト愛国」を唱えた。如何にして子供・若者の、義務としてでは無く自然に愛国心を育てるかを、天皇の書いた教育勅語に対する「不敬事件」の誤解により国人・世間の人達にバッシングを受け排除され社会的に捨てられる身の中に於いて、考えた。
札幌農学校で内村氏と同期であった新渡戸稲造は「キリスト武士道」とセットにして愛国心を説いた。著書「武士道」においては、義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義・克己を説いた。
二人は共にクリスチャンであり愛国者であったが、内村氏の父は高崎藩士の武士で、新渡戸氏の父も盛岡藩士であった。
江戸末期に清が英国とのアヘン戦争に敗れた事によって欧米列強の半植民地化された事をはじめ、アジア各国が欧米帝国主義による植民地化が進んでいた中、日本は国家存亡の危機感を抱いて大政奉還、明治維新へと繋ぎ、日本の近代化を進める中で、長い歴史と伝統・文化を持つ日本の良さを知ってもらおうと、決して欧米各国の白人に引けを取らない日本人の良さを知ってもらおうと、内村氏は「代表的日本人」を、新渡戸氏は「武士道」を、共に英語で書き記して世界に配布・宣伝した。
現在の自由民主党政権の中にはクリスチャンが多い。麻生太郎・副総理、石破茂・地方創生担当大臣、山谷えり子・参議院議員、稲田朋美・自由民主党政務調査会長……等となっている。
クリスチャンは左翼・社会主義・革新系に多いと世間一般的には認識されている傾向がある様に思う。キリスト教会が平和や愛の事ばかりを唱えて現実から目を逸らさせて、平和ボケさせて、憲法9条改正反対等と、自衛戦争までも否定しようとしている者達が実際多いからである。また捏造された歴史に洗脳されて、自虐史観の肯定に陥っているからである。因みに、共産主義は神・宗教を否定しているはずなので、共産党の中にはクリスチャンはいないはずなのであるが。
しかし、聖書は何も平和や愛に関する事だけが書かれているのでは無い。旧約聖書のエゼキエル書、ダニエル書、ホセア書、ゼカリヤ書、新約聖書のヨハネの黙示録に書かれている様に、世界最終戦争が起こりこの世が終わると言う事が、創造主からの「預言」として書かれているのである。聖書の「預言」は「運命」である。希望的観測によってそのような事を避けたいと思っても、襲ってくるのである。その時に、その平和ボケしている者達は、自衛戦争もせずになすがままで侵され続けるつもりなのであろうか?。
キリスト教会は、日本においては総人口の1%も満たない極めて少数派で弱い立場である為に、自分達の宗教組織を守る為に、「ハルマゲドン」等と言おうものなら危険な宗教と誤解されるのを恐れて、それらの預言を隠して、俗に言う「ラブ&ピース」、「愛」や「平和」ばかりを唱えて教会の生き残りに努めているのである。
よって、聖書と現代のキリスト教という宗教組織は切り離して見て考えなければならないのである。内村氏は「無教会主義」を唱えて、神父や牧師等の仲介者を経ずに、各々の信者が聖書のみを通して創造主・イエスと直接向き合う事を説いたのである。また新渡戸氏も同様に、仲介者の祭司を全く置かずに、装飾の無い極めてシンプルな小さな集会所で集うクェーカー派であった。新約聖書の殆どを書いたパウロの在世時の原始キリスト教会からかけ離れた、現代の壮麗豪華な欧米のキリスト教会や教会組織の階級制度、形式主義、人間マリアの偶像、後世の人間が恣意的に作ったクリスマス等の行事等、それらを二人は否定していたのである。パウロやマルティン・ルターと同様であったのである。
昭和53年~55年(1978~1980年)に首相を務められた自民党・大平正芳氏はクリスチャンであったが、昭和54年に首相として靖国神社へ正々堂々と公式参拝した。大平氏は慰霊の為、慰謝の為、世俗目的の為に、周囲の人にどの様に思われようとも、自分の気持ちに素直に、自分の信念に則って、堂々と公式参拝を果たし、日本の後世の人達による正しい歴史認識による日本の歴史修正によってこの参拝がはっきり認められる時が来る事を信じ期待していた。その公式参拝について、中国からの抗議は全く無かった。
政教分離に明確な定義は存在しない。憲法20条と89条にそれに関するものは有るが、その言葉が明記されてはいない。
現憲法のゆるやかな解釈によって、欧米各国と同様に、国家と宗教組織・団体を分離し、国家と宗教そのものとは分離しない事が正しいと言う。その国家の内容がstateとnationであり、stateである政府や権力機関が特定の宗教組織と結びつく事を禁止する事に留まり、nationである国民、共同体は宗教を排除する必要性が無いことから言える。
最高裁判所により示された「目的効果基準」を基に、靖国神社の公式参拝は慰霊・慰謝の世俗目的の為であり、宗教的意義は希薄であり、それによる効果で特定宗教を利する事にはならないと判断して、合憲であると解釈するのが当然と言う。(以上、政教分離について、参考:「憲法の常識 常識の憲法」、著者・百地章氏、出版社・文藝春秋、出版日:2005/4/20)
キリスト者は偶像崇拝をしない。故に、墓は拝むのでは無くただ故人を偲んで「追懐」する所とし、基本的に線香も上げない。勿論、家の中に仏壇や神棚を設ける事も無い。家の中は至ってシンプルにするのが基本である。
天皇は神では無く人間であるので勿論拝む事は必要ないが、天皇、国旗、国家に対して義務ではなく自然に尊重するようになる必要が有る。
しかし私は正直、戦前に行われていた様な「天皇陛下バンザイ」には違和感を感じる。それをやれと強制されても出来ない様に思う。
日本には古代ユダヤ人が渡来し、その影響が日本の神社や祭り、言葉、しきたりをはじめとした伝統・文化の中に見られるという事を研究によってテレビや多くの著書で明かして来られた久保有政・牧師は、「神の日本への深い愛を知るには、日本人が東京裁判史観や左翼の自虐史観を脱する必要があると主張。日本の本当の歴史を取り戻すためとして、日本の近・現代史についても多くの著述を行なっている。」(ウィキペディア「久保有政」より。)日本には創造主の契約の民・古代ユダヤ人の末裔が多く住むが故に、日本に対しての神の深い愛が有ると説いているのである。そして久保氏は、武士道等の日本精神、大和魂を今一度見つめなおすべきだと説いている。
内村鑑三氏「日本人の内にユダヤ人の血が流れて居るとは早くより学者の唱へた所である」(「聖書之研究」~附録掲載「日本の天職」より、1924/11/10)。
私は、内村鑑三氏のイエス・キリスト「Jesus」と日本「Japan」の「二つのJ」にユダヤ人「Jew」を加えて「三つのJ」とする。勿論、ここで言うユダヤ人とは、白人のアシュケナジムでは無く、アブラハム-イサク-ヤコブの血統である本当のユダヤ人の事である。
真のキリスト者は、日本の愛国者である。
大和魂
「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花(本居宣長)」
「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂(吉田松陰)」
(以上、ウィキペディア「大和魂」より)
葉隠
「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」
新約聖書・ヨハネの福音書12章24~25節
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。」
関連記事
・レムナント出版/キリスト教読み物サイト~キリスト教読み物サイト~日本近代史~「『南京大虐殺』は捏造だった」
・2013/02/02付・NEWSポストセブン:「麻生、石破、山谷えり子ら安倍政権にクリスチャンが多い理由」
・2016/05/27付・クリスチャントゥデイ:「この人に聞く(7)石破茂国務大臣『ご用のためにお用いください』祈りと願いを刻んで「『真実』と向き合う」
参考動画
YouTube: 日本キリスト教団高砂教会 2016年1月24日特別礼拝 久保有政牧師「武士道とキリスト教」
関連動画
YouTube: へブル語と日本語の類似 秦氏
参考文献
基督信徒のなぐさめ(著者:内村鑑三氏、出版社:岩波書店、出版日:1939/9/15) | 憲法の常識 常識の憲法(著者・百地章氏、出版社・文藝春秋、出版日:2005/4/20) |
・ウィキペディア:「久保有政」
関連文献
日本書紀と日本語のユダヤ起源(著者:ヨセフ・アイデルバーグ氏、訳者:久保有政氏、出版社:徳間書店、出版日:2005/12/31)