狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

自由で自然なマイペースの自分を取り戻す為の、独り静かな食事・・・「孤独のグルメ」を読んで

2013-11-24 01:11:42 | 孤独・独立・自尊心
 「孤独のグルメ」(著者:原作・久住昌之氏、作画・谷口 ジロー氏、出版日:2000/2/29、出版社:扶桑社(単行本は1997年出版))
 上記の本(マンガ)を読みました。
  「モノを食べる時はね、誰にも邪魔されず、自由で、なんというか、救われてなきゃあダメなんだ。独りで静かで豊かで……。」(本書より、主人公・井之頭五郎の言葉)。
 主人公がスーツ姿と言うのは余り私にとっては気に入らないですが、第1話に東京・山谷の作業服姿の客が多い定食屋が舞台の話を持って来ている所は気に入りました。
 井之頭五郎は酒が飲めず、常におかずと一緒に御飯を食べないと気が済まない所も共感します。因みに私は飲めるのですが、特に夕食に御飯は必須です。
 タイトルに在るグルメと言っても、高級ホテルやレストランの食事では無く、またコンビニの様に「いつも新装で、ピカピカで、影とか闇が全く排除された完全人工無臭空間」(本書より)とも違い、見栄を張らず飾らない下町の定食屋が主な舞台となっている所も気に入りました。
 自由に、マイペースに、ゆったりと、自分の精神面において負担の無い、自分の心にとっての自然で普通に感じる独りでの食事
 あとがきに、入った事のない飲食店に独りで初めて入る時に、ある種の「勇気」がいると在る。また、店の中での客としての著者の態度が「小心者」であると在る。しかし、孤独である方がゆったりと、落ち着いて、精神面に「ゆとり」をもたらして心に余裕が出来、許す事の出来る「寛大さ」に繋がるのではないかと思います。精神的に余裕が無くイライラしてストレスが溜まっていると、遅いだの不味いだのと店員に小言を言う、本当の意味での「小心者」と言えるのではないでしょうか。
 あとがきの中から、共感できる言葉として、
 「たぶん、井之頭五郎にとっては食べることそのものが癒しなんだろう。それもひとりで、誰にも邪魔されず、誰にも気を使わず空腹という自分の肉体的精神的マイナスを埋めてゆく時、彼はいつも『自由』になれるのだろう。
 現代のめまぐるしい日常生活は、もともと一個の自然である人間のあらゆるバランスを崩し、言ってみれば不自然な状態を我々一人ひとりの肉体精神に強いている。みんな本来のニュートラルな自分を見失っている。無理してる。繕っている
 井之頭五郎は、食べる時、孤独に食べる時、つかの間自由になり、自分勝手になり、時間や社会にとらわれず幸福に空腹を満たすことで、現代の原始人と化して、歪んだ自分を癒しているのではないだろうか。」。


  
孤独のグルメ (扶桑社文庫)孤独のグルメ (扶桑社文庫)価格:¥ 630(税込)発売日:2000-02




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