12月8日といえば真珠湾攻撃の日、開戦の日と言われるわけだけど、日本はおおむね1918年以来いっかんして大陸において武力行使を行っていたわけで、この日を「開戦」の日と呼ぶのは、話半端。この日は、対英米戦争の開始の日。
だがしかし、この混乱(まやかし)は、戦後に始まったことではなく、そもそも当日から妙な感じだったと言って言えないことはないと思う。
有名な、当日の陸海軍共同の発表で、「西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」と言っている。
臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。今朝、大本営陸海軍部からこのように発表されました。
ハワイの真珠湾にはイギリス軍はいないんだから、「西太平洋」において英米軍と戦闘状態に入れりというのは、シンガポールも、まぁ大西洋でもインド洋でもないから西太平洋だという意味で間違いではない・・・といった奇妙な表現だと思う。
つまり、本当は、マレー作戦をやっていて、そっちの戦果こそ重要だったのに、多くの人にとっては、派手な真珠湾攻撃が印象付けられた、みたいな感じ? なんでこんなへんな発表文だったのか探った人いるのかしら。
でもって、マレー半島の戦線構築の方は、宣戦布告もくそもなく、もっとず~と前から着々と行われていたわけで、12月8日に対英米戦争がはじまりましたというのも、実は全然正しくない。イギリスとはもっとずっと前から戦ってるし、アメリカとも主に中国国内で義勇兵っぽい建てつけとはいえ戦ってる。
ということは、当時の人たちは、12月8日に突然「戦争になった」と思ってないでしょう。
当時の人が持ったのは、ついにアメリカを正面から敵にまわすまでになったか、という感想でしょう。
こう書くと、もうダメだと深刻に受け止めた人たちの言説の方が多く残されているため、みんな敗戦を予感した、みたいに思う人が多いかもしれないけど、当時は、対米戦争をいかに戦うか、とかいう本が出たり、対談で語られたり、わっしょい、わっしょいやっていたので、よーし、と思った人は多い。
■ 大陸大侵攻作戦
と、宗純さんの今日のエントリーを見ると、明治大学の山田朗先生が、ちゃんと、この日にあたって、大陸での侵攻作戦を込みにした歴史の解説を書いてらっしゃるようです。
アジア・太平洋戦争開戦80年
その、山田先生の記事についていたマップこそ、今日見るべきマップだろうと思ったので、アップ。(切り取ろうとか思ったらどなたかがスキャンしたものをtwitter上で発見。お借りします)
言うまでもなく、大陸侵攻作戦の方が手間もかかるし、人数もかかる。
満州より南の、つまり中国から東南アジアにいて南に向けられた軍には100万人以上いるから、直接的な親族だけ取っても総勢1千万かそこらの人にとって、戦争は12月8日に始まったもののわけはない。
だから、ラジオが何といおうと、当初、おおかたの日本国民の意識においては、戦争といえば大陸側の行方しか念頭にないでしょう。それが変わっていくのは、南方戦線に人が運び出されて死んでいって、輸送船が沈められていったからではなかろうか。なんだか海の戦争が戦争だったみたいな気になっていった、って感じ。
しかし、それで終わりじゃない。
■ 海と陸とで負けた
結果的には、アメリカが参戦したことで英米側の船と航空機がべらぼうに増え、日本がシンガポールとろうが、インドネシアで石油がっぽがっぽになろうが、輸送船がなかったらどないもならんやないか、になって立往生。
その上で、最後に、仮想帝国みたいな大日本帝国の本丸のようになっていた満州からソ連軍に追い出されて、ここで降参。(意識の上で大陸にプレゼンスがあるからこそ、あのような構想が成立しえたと言う意味で、大日本帝国の本丸は満州だと思う)。
ということですね。
■ 西側の妄想問題
で、にもかかわらずなんで、太平洋部分だけにフォーカスがあるのか。
それは日本だけのせいじゃなくて、アメリカ、イギリス、あるいは西側全体の共同詐術の問題でしょう。要するに、アメリカが一人で勝ったみたいな話にしていった。ナチすらアメリカが倒したことになってる事情とパラレル。
前からさんざん書いてきた通り。
ここらへんの記事。
東西挟み撃ち体制が見たくなかったらしい
第二次世界大戦の成り行きを知らない唯一の当事国
しかし、まさかここまで本当に捏造史観が横行しているとは思いもよらなかったので、毎年、発見があってむしろ面白くなってるところではある。
1年後:2020年 the Westのナラティブ管理崩壊年
■ オマケ
あと十数時間すると敵東洋艦隊が沈む頃になる。マレー半島上陸→真珠湾→イギリス艦隊沈む、と日本にとっての喜びの3日間。
滅びたり滅びたり敵東洋艦隊は
マレー半島クワンタン沖に 今ぞ沈みゆきぬ
マレー半島クワンタン沖に 今ぞ沈みゆきぬ
のモメントですよ。「傲れるイギリス東洋艦隊を すさぶ波に沈め去りぬ」、「記憶せよ記憶せよ いざ永遠にこの日を」とか、地政学的なような思想戦的なような感じが垣間見えて非常に興味深い。
また、古関裕而が作り藤山一郎が歌う楽曲としても面白いのに、この歌があまり知られてないのは、やっぱりこう、上で書いたような、「真珠湾で戦争がはじまった」式の公式プロパガンダにとって不都合だからなのかしら、と改めて思う。
《軍歌》英国東洋艦隊潰滅(マレー海戦勝利の歌)
まずは、アジアの盟主となって白人と対峙する、という発想、設計。八紘一宇をなめてもらっては困ります(笑)。マジで危険ですから、これ。
曰く、仮に本土決戦となり先祖伝来の国土が灰燼に帰しても、天皇を中心とする国家指導部は満州に移動して抗戦を続ける(!)計画であり、ソ連参戦でその計画が画餅となった結果、降伏以外に道が無くなった、と。
子供心にも、「日本を離れて他所の国に逃げてまでして、戦争を続けようと考えるものなんだろうか」と訝しんだ記憶があります。
でもコメントにもあるようなブログ主さんのご指摘を考えると、帝国指導層のメンタリティとしては十分あり得る発想でしょうね。
彼らにとって満州は「他所の国」の土地ではなかったわけで。
原爆投下などは戦争を止める良い口実だったようです。米内海軍大臣は「天祐」だと言われたみたいです。また、原爆投下は予告されていたという話もあります。広島の原爆で陸軍第2総軍は壊滅。
ミッドウェー海戦までの快進撃もなんだか怪しい気がするのです。手薄にしていますね。ワザとそうしていた、そんな気がしてならない。
ナチスドイツはディロンリードなどの国際金融資本が育てたし、戦争を続けるための原油をドイツはどうやって手に入れたのでしょう。今だって、エネルギー不足で困っているドイツではないですか。
日本も戦争前にディロンリードから借金していますもの。「渡辺武日記」に出てきます。