1943年2月2日、スターリングラードでの激戦に決着がついた。
前にも書いたことがあるけど、
1943年2月2日:スターリングラードでドイツ軍降伏
スターリングラード攻防戦は、史上最も激しい市街戦として名高いだけでなく、第二次世界大戦の転換点となった重要な戦い。転換点とは、これ以降ドイツ軍が勝てそうな見込みはなくなったということ。
とはいえ、そこでドイツが諦めたかというとそうではなく、そこから、今問題になっているドンバスからドニエプル川を越えてウクライナ地方、すなわちソ連領内の西の端からドイツの軍が出ていくまでには1年以上かかっている。
ドイツと書いたけど、スターリングラードの戦いは、ドイツとソ連が単体で戦ったわけではない。日本では「独ソ戦」という呼称で呼びならわしているが、これは正しくない。ドイツだけがソ連領内に雪崩込んだのではなく、その編成には、ルーマニア、ハンガリー、イタリア、クロアチアの軍も含まれる。そして、ここでの大敗北によってドイツは、これらのドイツ以外の欧州諸国から増員を得ることができなくなっていき、一部はソ連への降伏を準備し始める。
■ 80年式典
2月2日、この歴史的な戦いから80年目を記念した催しが「スターリングラード」で開かれた。ボルゴグラード市は、年に何日か(6月22日、5月9日等の重要な日)はこの市は「スターリングラード」となるという決め事をしているので、2月2日に行われた催しはスターリングラード市で行われたということになる。
催しのハイライトは、市内の大きな広場で行われたパレード。動画があったので見た。
Live: 80th anniversary Battle of Stalingrad parade
南部軍区の軍人、士官候補生、ボルゴグラードアカデミーの学生など16,000人によって行われた。
式次第はモスクワで毎年やっているものと同じデザインと言っていいかと思う。しかしじゃあ、この地域にこんなにしっかりした儀仗兵や軍楽隊がいるのかしらと一瞬思案したのだが、現地の人っぽい。
軍楽隊は上手だった。モスクワのような大編成でもドラマチックでもない、その点では地方のものなのだが、パフォーマンスはリズムが切れて大変良い。全体として、今の5月9日パレードよりもソ連のそれに近い構想と言っていいかも。テンポが速くて、リズム隊がしっかりしてて、ややぶっきらぼうで切れがある(ドラマ性とある種のエリート感があふれるモスクワのパフォーマンスが軍楽隊として普通でないわけだが)。好感を持った。
※探したら、ボルゴグラードにバンドが正規に存在していた(ここ)。失礼いたしました。まぁないわけはないんです、よく考えれば。
その他、80年前当時のユニフォームがいろいろ再現されていて、それもよかった。
これが来ると会場にある種の感興が走った気がした。お守りだよね、ほんと。
■ プーチンのスピーチ
それとは別に、プーチンがスターリングラードを訪れた。
その後、「スターリングラードの戦いでドイツのナチ勢力を倒して80年」を記念のコンサートがあり、そこでプーチン大統領がスピーチをした。
Gala concert for 80th anniversary of defeating German Nazi forces in Battle of Stalingrad
動画にスクリプトを貼り付けてくれていた人がいたので拝借。
Full Putin speech at today's gala concert on the 80th anniversary of the defeat of the German Nazi forces by the Red Army in the Battle of Stalingrad
— COMBATE |🇵🇷 (@upholdreality) February 2, 2023
(official translation) pic.twitter.com/J6pCi74pE7
全体として、今回のスピーチは、プーチンのスピーチとしてはとても短い部類だけど、内容を理解して読むととてもパワフルで、とても強いエモーションに裏打ちされている。
スピーチに関しては、西側のメディア上では、ドイツの戦車とまた戦うことになったが、我々には対抗するすべがあると言ってる、核戦争か~みたいなアホな切り取りがなされていたけど、そんなことはどうでもいい。
スターリングラードの戦いで示された集団的ロシア(マルチエスニックなロシア)の意思の強さ、不可能を可能にする意欲をなめるんじゃないという集団的ロシアの意思がプーチンの口を通して示されたということが重要だと思う。
それはすなわち、現在ただいまが80年前の出来事と相似であるという認識がさせるものだとも思う。そして、それが故に、西側はそう見せたくない。ここが重要なポイントなんだろうと思う。
スピーチの冒頭にプーチンはこう述べた。
今日、私たちは、この国と世界の歴史において最も重要で運命的な日の1 つを祝っています。 ちょうど 80年前、ここで、このロシアの大ヴォルガ川のほとりで、憎悪の的だった残忍な敵が阻止され、取り返しのつかない退却に追い込まれ、スターリングラードをめぐる長く困難で激しい戦いに終止符が打たれました。
これは単なる一つの都市を巡る戦いではありませんでした。痛めつけられていたものの征服されていないこの国の存在そのものがかかっており、そして、大祖国戦争のみならず、第二次世界大戦全体の結果も同様でした。塹壕の中のすべての人が、ホームフロントのすべての人がこれを感じ、理解していました。そして、私たちの歴史の中で繰り返されてきたように、私たちは決定的な戦闘で団結し、そして勝ったのです。
スターリングラードの戦いは、大祖国戦争の転換点として歴史に名を残しました。最大のドイツ国防軍グループとその衛星国の軍を打ち負かしただけでなく、ヒトラーの連合全体の意志が打ち砕かれました。
ヨーロッパのナチス・ドイツの属国と共謀者たち(その多くはスターリングラードで戦い、征服されたヨーロッパの事実上すべての国を代表していました)は、逃げる方法を熱狂的に探し始め、責任を回避し、以前の主人に責任を転嫁しました。誰もが、ソビエトの人々が最初から知っていたこと、すなわち、ナチスは私たちの国を破壊する計画を立てており、世界支配についてのナチスの考えは失敗する運命にあるということを理解しました。
スターリングラードの戦いは、東部戦線の戦い(ロシアでいう大祖国戦争)の結果だけでなく、第二次世界大戦の帰結にとっての転換点だったというのは、よく書かれている文言かもしれないが、これはそれほどよく理解されていないのではないかとも思う。
つまり、例えば、時々、ミッドウェイやエル・アラメイン、ソロモン開戦と同様に第二次世界大戦の転換点だった、みたいなことを書く人がいたりするわけですが、それは正しくないということ。
なぜなら、ミッドウェイで日本が勝って、エル・アラメインでドイツが勝っても、東部戦線でドイツが壊滅的な敗北を喫したら、枢軸国が勝つというグランドデザインは成り立たないから。
太平洋の戦いは、そもそも日本は単独でアメリカに勝てるという想定はしてないし、陸の戦いじゃなくて海の戦いだから、生産量がよりダイレクトにものをいう。つまり、時間と共に日本は不利になるだけ。そこから、英を負かして、米の継戦意思をくじくといった、構想というより希望的観測みたいなものが出てくる。
北アフリカは、スエズとインド洋への出口の問題だからドイツがそこだけ勝ってもロシア欧州部で負け、バルカンで優位性を失ったら長期確保は難しいし意味もない。
ということで、スターリングラードでドイツ軍を取り返しのつかない敗北に追い込んだというのは、プーチンが言うまでもなく、ドイツ+欧州諸国 vs ソ連の戦いに留まらず、枢軸国のプランニングにとって重大な出来事だった。
だからこそ、この敗北から、逃げる算段とか、負け方の算段といったものが始まる。逆にいえばここから2年間に死んだ一般人たちは、より上層の人たちが逃亡したり、戦後秩序なるもののお話し作りをするために死んだも同然と言えるでしょう。
まさしく、今、ウクライナで起こっていることですね。
■ もっと語られるべきだった
第二次世界大戦は過去78年、膨大に語られたテーマでありながら、何か今一解明されていないことが多いテーマでもある。
1年ちょっと前に、そういえば、日本ではやたらに真珠湾にだけフォーカスが当たり続けているけど、マレー半島の方がずっと重要で大きな作戦だったという話しを書いた。
大陸大侵攻作戦&真珠湾攻撃&マレー海戦勝利
1941年12月:主目的は南方資源地帯の確保(強盗)
また、そこで英艦隊を撃沈したことは歌にもなってるほど喜ばれているのに、それすらよく知られていない事情は奇妙だ。
多分、ドイツと共にイギリスを狙いうちしてイギリスを負けさせて、それによてアメリカの戦争継続の意思を砕く、みたいな、今考えると何なのそれ?と言いたくなるような構想をしていたことを伏せたいのか、などと思ってみたりもする。
少なからぬ人が今では知ってることだけど、日本の構想なるものは、「ドイツ不敗」が前提になってる。ここが崩れた時のことは考えてないというのも、どうなのそれ、としか言いようがない。
あと、もちろん、何度も書いてる通り、日本は海でアメリカに、陸でソ連に負けたという事実を見たくない、なんとしても無視したいというアメリカと日本の共通の意思みたいなのも重大だったのだろうとも思う。
だけど、そういえば、この間紹介した「American Exception:Empire and the Deep State」の著者のAaron Goodさんが、そこはずばり、日本もアメリカも日本が満州でソ連に壊滅的に負けたことは見たくないわけだな、と動画の中で普通に言っていた。戦後の政治的しがらみのない若い世代の人から見たら、まぁそういうことだろうと普通に見えちゃうんだろうなと思った。大変良い。
ここで紹介した人
世界を苦しめる妄想誘発史観&正統DS問題
ということで、今年はドイツと組んだ日本の構想を整理して極東がどんな思惑で動いてきたのかを考えてみたいと思う。というか、多分、中国と戦争するだのなんだの言っている人たちがいるわけですから、当然こっちにフォーカスが来ると思うのでそうせざるを得なくなるのかもしれない。恐ろしいことですが。
■ オマケ 1
こうも言えるでしょう。
第一次、第二次世界大戦というのは、現在のアメリカを中心とした覇権システムを作り上げるための戦争だった。だから、それが生きている間は、概して、様々な思惑や工作は見えないものだ。
今、だんだん開いていって人々が納得できるものを見ようとするところまで来たということは、すなわち、このシステムがもはや過去のものとなりつつあるということだろう、と。
■ オマケ 2
2020年には、プーチンが「戦勝75年 歴史と未来に対する共通の責任 」というタイトルで長い記事を寄稿し、その中で欧州戦線だけでなく極東側にも触れ、ユーラシアの東西をつなげた視点を提供していた。
プーチンの第二次大戦論文:東西がつながった
■ オマケ 3
スターリングラードの戦いについての今年の良記事。
RIA ノボスチ
「ドイツはこれを知らなかった」
以前の大河真田丸で、上田合戦に勝った真田一門が関ヶ原の敗戦信長報告に暗澹となる場面があった。太平洋の戦いは、勝っても上田合戦に過ぎなかったのに開戦した日本だった!