2月17日(日)
煮凝りや包丁哀歌三十本
鉄鍋が出てきた。むろんさびさびに錆びている。勢いステンレスやホーローや土鍋或いはアルミに押されて使い道がなくなっていた。マリコと暮らしていた頃に使っていたかと考えるとまるっきり記憶はない。そうなるとたぶん四十年は使ってない。
ということとになる。では四十年前はどうだったかと考えるとアイちゃんのお母さんと言うことになる。使っていたかもしれない、それでもしげしげとは使ってなかったような気もする。重いし錆びるし収納しずらいというのが避けてきた理由だろう。2人所帯だと丁度いい頃合いの鉄鍋である。たぶんそれで買ったのだろう。引っ越しのたびに持ち歩きとどのつまりは流し台の下。と言う安楽な場所に落ち着いたのだ。
フライパンもたくさん出てきた。鉄製のフライパンは捨てた記憶がある。鉄製の中華鍋は重宝していて未だに使っている。コーティングが剥がれてきていて今ひとつなめらかには調理できなくなっていた今時のフライパンである。さっさと捨てればいいものをやはりまだ一二度使えるものと流しの下へ収納してきたフライパンである。大振りはたぶん28センチだろう。新品もある。我が家はIHヒーターなのでそれなりに施されてあるフライパンでないと使えない。宝の持ち腐れとなる。そんなこんなの間違えて買って来てしまったフライパンはそのまま新品と言うことになる。フライパンだけで目玉焼きが三枚普通が七枚も出てきた。
問題は包丁であった。
出刃から刺身からペティナイフ、合わせてざっと三十五本も出てきた。温和しいところではフルーツ専用ステンレスというのもあった。ペティナイフは現役バーテンダー専用のフルーツナイフだった。親の家からも引き取った包丁もあると考える。妙にカーブしているのはグレープフルーツ専用ナイフだろう。買い込んでは使っていて包丁を捨てたことは一度も無いのでどんどん増えていったという経緯もある。それにしても多すぎる。二本あった刺身包丁は箱ごと収納してあったはずなのに箱ごと無い。無いと言うよりまだどこかに潜んでいるやもしれぬ。おそろしい。裸の刺身包丁は錆び錆びになっていた。出刃も錆びている。
処分することを決意する。三十五本も包丁は要らない。もう魚もさばかない。それでも包丁は捨てずらくそうっと流しの下へ再びお蔵入りするという包丁ではあった。大した仕事もしてこなかったとはいうものの包丁は捨てるに忍びない。
アナタこの先どう使うのよこれだけの包丁と自問して錆び錆びだけは紙にくるんだ。この中にはつい先だってでダイソー買ったピカピカの100円包丁なんかもある。ばかだね。包丁なんか買って。
明日はビン缶の日だ。フライパンはそのまますてられる。
流し台の下がすっきりした。
厨房メモ
ハシモトさんと向山公園の梅の撮影。このくらい打ち込んでくると勝手にカーソルが。あたまへ飛んでしまう。点丸も。かくの如し。どうなってるのだ。