プログの書込みをサボっている間に、すっかり冬になってしまった。
遠くに見える山々はもう雪で真っ白です。
10月半ばまでは暑い日もあったことを考えると、今年は秋が短かったようです。
飼っている猫は、秋に入ってからずいぶんたくさん食べるようになり、丸々と太りました。今年は寒い冬になるのかもしれません。
気候の温暖化が心配されていますが、現在は間氷期のピークがすぎたところという見方もあり、だとすればこれからは、徐々に気温が低くなる傾向かもしれません。
氷河期と間氷期という自然の周期的な変動に、人間の活動がどれほど影響を与えるか、まだよくわからようです。
インド旅行記の「秋の旅」が、載せ終わりました。
自分にとっては必然な旅だったのですが、家族や周囲の皆さんには、迷惑や心配をかけたわけです。どう説明したところで理解されたとは思えないし、必然だという事を論理的に説明する事は、今でもできそうにありません。
今日から、見られるテレビ局の数が増えました。しかし、目新しいものはありません。視聴率が取れないから、予算もそれほどないはず。
前回、この秋のテレビドラマについて書きましたが、結局ちゃんと見ているのは「医龍Ⅱ」だけになりました。このドラマはよくできていると思います。毎週新しい展開があって、個々の登場人物にスポットライトを当てて描き出して、結果としてチームのメンバーが増えてゆくというストーリーは、私の好きな水滸伝や八犬伝と似ています。来週からは揃ったメンバーで新たな事態に対処してゆく事になるのでしょう。
もうひとつ、このドラマの優れている点は音楽の使い方。音楽によってメリハリを付けてゆくやり方は、慣れるとかなり気持ちよい。
最近読んだ本は、「ネアンデルタール」。
エンターテイメントの小説を読んでみたくなり、BOOKOFFで見つけてきた。
設定にはかなり無理を感じるし、ストーリの展開にもリアリティーが不足しているが、そういったことを別にすれば、興味深い内容の本だった。
ネアンデルタール人についてはいろいろな説があって、確定的なことはほとんどないらしい。だから小説にもなりやすい。
ネアンデルタールは、われわれの祖先ではないというDNA調査の結果にしても、これからの研究でひっくり返らないとも限らない。
とりあずいえることは、ネアンデルタールが、われわれと同じ祖先を持つ非常に近い関係にある種であったという事である。しかも両者は、しばらくの間、共存していた。共存していたといっても、仲良くしていたという意味ではないが、同じ時代に、同じ土地にいて、相手を見る機会もあっただろうという事である。
そこで一番の問題は、なぜネアンデルタールが絶えてしまい、我々サピエンス・サピエンスが生き残っているかという事になる。
ネアンデルタールは、火を利用していたし、石器も使っていたのは確からしい。体力は、サピエンス・サピエンスよりも強かったと考えられる。
簡単に結論を出しても仕方ないのだが、サピエンス・サピエンスのほうが少しずる賢く、少し繁殖力が大盛だったということかもしれない。
似たような種が、同じ土地で同じような食性で共存していた場合、ほんの少しの違いによるほんの少しの影響が、長い年月つもり積もって、一方は徐々に数を減らしついには絶滅してしまう。
サピエンス・サピエンスは、とにかく一年中繁殖期だし、何でも食べるし、冒険癖もある。
冒険癖というのは、同じサピエンス・サピエンスが、地球のどこにでも、太平洋の真ん中の孤島にまで、はるか昔から住んでいることからも明らかである。
では、サピエンス・サピエンスとネアンデルタールのどちらが優れていたかというと、それはわからない。そういう比較をすべき問題ではないように思う。人間社会の尺度で計るべき事柄ではないだろう。
考えてみれば、今の社会では、子供を持たないサピエンス・サピエンスがたくさんいる。理由はさておき子孫を残さない。
子孫を残さないという事は、小さな絶滅である。
今生きている一人一人は、サピエンス・サピエンスの何十万年も続いてきた進化?のTREEの先端の一枝なのだが、子孫を残さない事でその枝はそこでストップし、小さな絶滅をする。
絶滅も悪いことではないとは思うが・・・
今生きている人々の内の誰の遺伝子が、一万年後に残っていて地上を歩いているかという事を考えてみる・・・
遠くに見える山々はもう雪で真っ白です。
10月半ばまでは暑い日もあったことを考えると、今年は秋が短かったようです。
飼っている猫は、秋に入ってからずいぶんたくさん食べるようになり、丸々と太りました。今年は寒い冬になるのかもしれません。
気候の温暖化が心配されていますが、現在は間氷期のピークがすぎたところという見方もあり、だとすればこれからは、徐々に気温が低くなる傾向かもしれません。
氷河期と間氷期という自然の周期的な変動に、人間の活動がどれほど影響を与えるか、まだよくわからようです。
インド旅行記の「秋の旅」が、載せ終わりました。
自分にとっては必然な旅だったのですが、家族や周囲の皆さんには、迷惑や心配をかけたわけです。どう説明したところで理解されたとは思えないし、必然だという事を論理的に説明する事は、今でもできそうにありません。
今日から、見られるテレビ局の数が増えました。しかし、目新しいものはありません。視聴率が取れないから、予算もそれほどないはず。
前回、この秋のテレビドラマについて書きましたが、結局ちゃんと見ているのは「医龍Ⅱ」だけになりました。このドラマはよくできていると思います。毎週新しい展開があって、個々の登場人物にスポットライトを当てて描き出して、結果としてチームのメンバーが増えてゆくというストーリーは、私の好きな水滸伝や八犬伝と似ています。来週からは揃ったメンバーで新たな事態に対処してゆく事になるのでしょう。
もうひとつ、このドラマの優れている点は音楽の使い方。音楽によってメリハリを付けてゆくやり方は、慣れるとかなり気持ちよい。
最近読んだ本は、「ネアンデルタール」。
エンターテイメントの小説を読んでみたくなり、BOOKOFFで見つけてきた。
設定にはかなり無理を感じるし、ストーリの展開にもリアリティーが不足しているが、そういったことを別にすれば、興味深い内容の本だった。
ネアンデルタール人についてはいろいろな説があって、確定的なことはほとんどないらしい。だから小説にもなりやすい。
ネアンデルタールは、われわれの祖先ではないというDNA調査の結果にしても、これからの研究でひっくり返らないとも限らない。
とりあずいえることは、ネアンデルタールが、われわれと同じ祖先を持つ非常に近い関係にある種であったという事である。しかも両者は、しばらくの間、共存していた。共存していたといっても、仲良くしていたという意味ではないが、同じ時代に、同じ土地にいて、相手を見る機会もあっただろうという事である。
そこで一番の問題は、なぜネアンデルタールが絶えてしまい、我々サピエンス・サピエンスが生き残っているかという事になる。
ネアンデルタールは、火を利用していたし、石器も使っていたのは確からしい。体力は、サピエンス・サピエンスよりも強かったと考えられる。
簡単に結論を出しても仕方ないのだが、サピエンス・サピエンスのほうが少しずる賢く、少し繁殖力が大盛だったということかもしれない。
似たような種が、同じ土地で同じような食性で共存していた場合、ほんの少しの違いによるほんの少しの影響が、長い年月つもり積もって、一方は徐々に数を減らしついには絶滅してしまう。
サピエンス・サピエンスは、とにかく一年中繁殖期だし、何でも食べるし、冒険癖もある。
冒険癖というのは、同じサピエンス・サピエンスが、地球のどこにでも、太平洋の真ん中の孤島にまで、はるか昔から住んでいることからも明らかである。
では、サピエンス・サピエンスとネアンデルタールのどちらが優れていたかというと、それはわからない。そういう比較をすべき問題ではないように思う。人間社会の尺度で計るべき事柄ではないだろう。
考えてみれば、今の社会では、子供を持たないサピエンス・サピエンスがたくさんいる。理由はさておき子孫を残さない。
子孫を残さないという事は、小さな絶滅である。
今生きている一人一人は、サピエンス・サピエンスの何十万年も続いてきた進化?のTREEの先端の一枝なのだが、子孫を残さない事でその枝はそこでストップし、小さな絶滅をする。
絶滅も悪いことではないとは思うが・・・
今生きている人々の内の誰の遺伝子が、一万年後に残っていて地上を歩いているかという事を考えてみる・・・