前回「発酵食品」のコメントで書いた事を繰り返しておきます。
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ブラフマン・アートマンは、宇宙の根本原因にして、照覧者であります。
たしかに好きも嫌いもありません。
しかし前にもお話したように、多様性を愛する私ですから、マーヤにドップリ浸かっているわけです。
マーヤの世界に、神は人格を持って現れます。というか、マーヤを生み出している私の意識は、神に私のレベルにまで降りてきてもらって、人格神として振舞って欲しいわけです。
人間の意識がマーヤに作用し、マーヤを変化させてゆくのです。
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この先をどう書こうかと考えていたのですが・・・
また、たまやんの打ち込んだ「英知」から引用させていただきます。
すこし長文ですが、わかりやすいかと思います。
なお、私は「マーヤ」で覚えてしまったのですが「マーヤー」が正しいようです。
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マーヤーは(1)真の本性を覆い隠す力と、(2)真の上に非真を投影する力によって、唯一無二の存在であるブラフマンを、個我、神、物質世界という三者に分かれた存在であるかのような外観をとらせました。 マーヤーの力は潜在していますが、それがひとたび顕れる時には、【心】という姿をとります。 その時、物質世界という巨木の種子は芽吹きはじめ、心の衝動(ヴァサナ)という葉を繁らせ、心の意志作用という果実を付けはじめます。 したがって、外界のすべては、心の繁茂にすぎません。
個我と神は心の繁茂によって捕らえられ、物質世界の中で離れがたく絡みあっています。 したがって個我と神もまた、夢の世界に顕れる事物と同じく、心の産物なのであります。
個我と神と物質世界とを、絵に描いたものとして想像してごらんなさい。 描かれた物質世界の中に、個我と神は組み込まれています。 三者は、同じ絵の具で描かれたものでありながら、それぞれ異なる実体であるかのように見えます。 同様に、一つの思考作用が、個我と神を物質世界という背景の中で、普遍的に浸透しているかのような外観を持たせているのです。
個我と神と物質世界という幻影は、マーヤーによってつくられた、と天啓経典に記されています。 【神】と【わたし】、【これ】と【あれ】、【わたしのもの】と【神のもの】という魔法のダンスを生み出した原因は心の働きであると、『ヴァシスタムルティ』には明記されています。 この経典に書いてある【ソーハミダム】の語は、個我と神と物質世界を意味します。 【サー】は【かれ】すなわち、非顕現の至高霊、超越し卓越する力、神を指します。 【アハム】とは、【わたし】、自分を行為者であるとみなす意識に包まれている実体を指します。 【イダム】は、感覚によってとらえられる客観世界を指します。 それゆえこれら三者は心の産物であり、絶対的な価値を持たぬ事がわかります。 それらの価値は、単に相対的なものに過ぎません。
----- サイババ 「英知」より
今日の写真は、対のアゲハです。
みんなが珍しがって見ていたので写してみましたが、シャッタースピードが遅かったようです。
ISO感度を調整してシャッタースピードを上げればよかったのですが・・・
対のアゲハは、しばらく写真のような位置関係でいたのですが、私が写真を撮るために近づいたので飛んでいってしまいました。
また余計な事をしてしまったと反省。
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ブラフマン・アートマンは、宇宙の根本原因にして、照覧者であります。
たしかに好きも嫌いもありません。
しかし前にもお話したように、多様性を愛する私ですから、マーヤにドップリ浸かっているわけです。
マーヤの世界に、神は人格を持って現れます。というか、マーヤを生み出している私の意識は、神に私のレベルにまで降りてきてもらって、人格神として振舞って欲しいわけです。
人間の意識がマーヤに作用し、マーヤを変化させてゆくのです。
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この先をどう書こうかと考えていたのですが・・・
また、たまやんの打ち込んだ「英知」から引用させていただきます。
すこし長文ですが、わかりやすいかと思います。
なお、私は「マーヤ」で覚えてしまったのですが「マーヤー」が正しいようです。
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マーヤーは(1)真の本性を覆い隠す力と、(2)真の上に非真を投影する力によって、唯一無二の存在であるブラフマンを、個我、神、物質世界という三者に分かれた存在であるかのような外観をとらせました。 マーヤーの力は潜在していますが、それがひとたび顕れる時には、【心】という姿をとります。 その時、物質世界という巨木の種子は芽吹きはじめ、心の衝動(ヴァサナ)という葉を繁らせ、心の意志作用という果実を付けはじめます。 したがって、外界のすべては、心の繁茂にすぎません。
個我と神は心の繁茂によって捕らえられ、物質世界の中で離れがたく絡みあっています。 したがって個我と神もまた、夢の世界に顕れる事物と同じく、心の産物なのであります。
個我と神と物質世界とを、絵に描いたものとして想像してごらんなさい。 描かれた物質世界の中に、個我と神は組み込まれています。 三者は、同じ絵の具で描かれたものでありながら、それぞれ異なる実体であるかのように見えます。 同様に、一つの思考作用が、個我と神を物質世界という背景の中で、普遍的に浸透しているかのような外観を持たせているのです。
個我と神と物質世界という幻影は、マーヤーによってつくられた、と天啓経典に記されています。 【神】と【わたし】、【これ】と【あれ】、【わたしのもの】と【神のもの】という魔法のダンスを生み出した原因は心の働きであると、『ヴァシスタムルティ』には明記されています。 この経典に書いてある【ソーハミダム】の語は、個我と神と物質世界を意味します。 【サー】は【かれ】すなわち、非顕現の至高霊、超越し卓越する力、神を指します。 【アハム】とは、【わたし】、自分を行為者であるとみなす意識に包まれている実体を指します。 【イダム】は、感覚によってとらえられる客観世界を指します。 それゆえこれら三者は心の産物であり、絶対的な価値を持たぬ事がわかります。 それらの価値は、単に相対的なものに過ぎません。
----- サイババ 「英知」より
今日の写真は、対のアゲハです。
みんなが珍しがって見ていたので写してみましたが、シャッタースピードが遅かったようです。
ISO感度を調整してシャッタースピードを上げればよかったのですが・・・
対のアゲハは、しばらく写真のような位置関係でいたのですが、私が写真を撮るために近づいたので飛んでいってしまいました。
また余計な事をしてしまったと反省。