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帯広市 帯広百年記念館④旧石器時代 暁遺跡 細石刃 黒曜石

2024年06月25日 09時59分00秒 | 北海道

帯広百年記念館。帯広市字緑ヶ丘。

2022年6月11日(土)。

黒曜石(十勝石)。

黒曜石(十勝石)は、火山活動でできた天然のガラスで、十勝では上士幌町三股付近がその産地として知られている。この石は、割っただけで鋭い刃ができ、加工もしやすいことから、石器の材料に適していた。

十勝の旧石器時代の遺跡からは、黒曜石で作った石器が数多く出土する。化学分析によって、遠軽町白滝や置戸など、十勝以外の産地の黒曜石が持ち込まれていたことも分かっている。

 

日本の旧石器時代は、一般には土器の出現以前の時代とされる。現在のところ、日本列島で確実な人類活動の痕跡(遺跡)が見つかるのは、およそ4万年前以降(後期旧石器時代)のことである。

この時代は、最終氷期(約8万~1万年前)とよばれる寒冷な時期に相当し、とくに2万5000年前頃からは、最も寒冷な時期(最寒冷期)に入った。

北海道(十勝)での人類の足跡は、約3万年前から見られるようになり、2万年前以後には多くの遺跡が残されるようになった。この時代の遺跡は十勝ではおよそ100ヵ所見つかっており、最も古い遺跡は3万年くらい前に残されたと考えられている。

8万年前ころから始まる寒冷化は、海水面を低くし、北海道は大陸からのびる半島の一部になった。海水面は今より120mくらい低かったようである。

 最寒冷期の十勝は、年平均気温が現在よりも7~9℃低かったとされている。日高山脈には氷河が発達、平野部はハイマツやグイマツ、エゾマツなどの針葉樹がまばらに生える草原状の景観だったと想像されている。

北方系の動物であるマンモスやステップバイソン、トナカイなど草原性の大・中型動物群は生息に適した環境を求め、陸伝いで北海道へやってきた。

この時期に北海道で生活していた人びとは、海水面の低下で陸続きになっていたシベリア方面から渡って来たと推測されます。寒冷な環境では、食料にできる植物がとても少ないことから、当時の人びとは定住せず、群れで移動する大・中型動物の狩りで得た獲物をおもな食料にしていたと考えられる。

遺跡から見つかる石器には、槍の先、毛皮や革の加工に使われる掻器(そうき)、切ったり削ったりする削器(さっき)、骨や角の加工に使われることの多い彫器(ちょうき)、形のそろった縦に長い石刃(せきじん)細石刃(さいせきじん)、石斧などがある。ほかに、赤や黒の顔料のもとになった鉱物も見つかっている。

1万5000年前以降になると急激な温暖化が地球規模で進み、地形や植生・動物相に大きな変化をもたらした。森林が拡大し草原が減少したため、草原性の大・中型動物の減少や絶滅、シカ属(エゾシカなど)の分布域の拡大などが想定されている。

このころ、両面に丁寧な加工を施して作られた小・中型の石槍や、刃部を磨いて作られた石斧が出土するようになった。このような石器群出現の背景には、気候の急激な温暖化の進行が考えられる。 この直後、およそ1万4000年前に本州方面から土器文化を携えた人びとが大正遺跡までやってきたようである。

なお、温暖化に伴う海水面の上昇により、約8万年前以降陸橋によってつながっていたサハリンとの間には、宗谷海峡が成立し、1万3000年前頃には北海道は大陸と切り離され、島になったとされている。

■細石刃(さいせきじん)。

 細石刃は、幅数㎜~1㎝前後の細長いカミソリの刃のような石器である。ツノの先などで、細石刃核から押し剥して作られた。

多くはナイフや槍の部品として使用され、複数の細石刃を動物の骨などで作った軸の側縁に埋め込んで槍などとして用いた。この石器は刃こぼれが生じても、その部分だけを新しい細石刃に取り替えて使うことができるという効率的な道具であった。

日本列島を含む東アジアからアラスカにかけて広い地域に分布しており、起源はシベリア方面に求められるようで、およそ2万4000年前に北海道に出現し、2万年前以降には道内各地で細石刃を出土する遺跡が急増する。さらに、この数千年後には本州へ波及したようである。

 なお、細石刃を出土する遺跡・地点は道内で約300、十勝では46ヵ所が確認されている。

帯広市暁遺跡。 

後期旧石器時代後半期の細石刃石器群(約1万6千年前)と縄文時代早期(約9千年前)の土器(のちに暁式土器と命名)が出土した。

暁遺跡からは、細石刃(さいせきじん)とよばれる石器が8千点以上も出土している。当時、この遺跡では石器製作が集中的に行われていたものと考えられている。

出土した石器類は、質・量とも全国的に見ても豊富で、当時の石器製作技術や広域での石材獲得活動のようすなどを知る上で貴重な遺跡として評価されている。

暁遺跡の細石刃は、幅が8㎜~12㎜前後の幅広タイプと5㎜前後の細身のタイプがあり、前者のほとんどは帯広から直線距離で100㎞以上も離れた、遠軽町白滝から産出する黒曜石を素材としている。

なお、次の時期に現れる大型の両面調整石器も多くは白滝産の黒曜石が用いられている。白滝産地の黒曜石は良質で量も豊富であったため、旧石器時代には道内はもとよりサハリンの遺跡まで運ばれていた。このことは、製作する石器に合わせて石材の産地が選定されていることや、石材の広域流通ネットワークの確立がうかがわれる。

スポット12の細石刃。

発掘調査で出土した石器の広がりを見ると、とくに密集する範囲が22ヵ所あり、この範囲を中心に石器作りが行われていたことを物語っている。

22ヵ所の密集範囲のうち、スポット12とよばれる15×17mの範囲からは、1900点の細石刃をはじめとし、掻器や彫器などの加工具、細石刃核(細石刃が剥されたあとの付いた石器)、剥片(かけら)など、5700点あまりが見つかった。

帯広市 帯広百年記念館③白亜紀蝦夷層群 アンモナイト類化石 ゴードリセラス



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