ウニヴェルソの姉妹猫ベラ=Bella 意味はイタリア語で美人
きつい目をしているけど、本当の人間嫌いで、懐く事はなかった。
懐きはしないものの慣れはした。
ベラもビッキーも親戚が欲しいと言うから、大変な思いをして保護をしたのに、引き取りに来ないので、私が面倒を看る事に成った。
懐かない野良は、保護しようにも捕まらないので大変なんだよね。
餌を与えて撫でようとしたら、私の右手の中指と薬指を思いっきり引っ掻いたので、肉が見える程の怪我を負った。
だからこの子には絶対に触らない事に決め、触ったのは、死ぬ寸前のその時だけだった。
床に直接💩をするので、一度、訪問ドクターを呼んだ事があるのだけど、この猫はひどい人嫌いだから、診察出来ません、と言われた。
多分、大腸の病気だと思うと言って、便をする時に痛いから、痛くない場所を探して、床にしてしまうのだろう、と言う事だった。
最後の方は毎日床にしてしまうので、床掃除に3時間程も掛かり、只でさえ筋肉質な二の腕が、筋肉もりもりに成ってしまった。😅
なんせ、掃除機なんかで綺麗に取れる様な物ではないので、腕を使って擦り取るしか無い。
病気なんだから怒ったって始まらないので、ひたすら床掃除に励むのだった。
両親の介護に比べたら、別にそれ程大した事だとも思わなかった。
こんな事でも「自分を知る機会」に成った。
子どもの時から散々嫌な思いをして育ったので、思ったよりずっと我慢強く成ったらしい。
私は滅多に怒らないので、私を怒らせるのは難しい事を、周りの人間は知っている。
そのかわり怒ったら「原爆級」だから、怒らせないでね。
死ぬ三日前から、やたらと傍に寄って来て、掠れ声でひゃ~ひゃ~と話しかけて来た。
自分用のふかふかの猫ベッドに入れない程に脚力が弱り、寒かったので「なんとかして~😿」と言って来たので、段ボールの蓋部分をストーブに向けて置き、その中に毛布を入れて、段差無く入れる様にしたら、安心した様に中に入って寝ていた。
それに、ご飯ちょうだい、と傍に寄って来るので、「ご飯?」と訊くと「ひゃ~!」と掠れ声で答える。
もう長く無さそうだからと思い、美味しそうなご飯を買いに街まで出て、沢山買って帰ったら、欲しい!欲しい!と言って、食べても食べても未だ欲しいと言うので驚いた。
そして満足するだけ好きなものを食べて、三月三日に静かに逝った。
その後、札幌駅のレッスン室まで仕事に行ったら、水色の光の玉に成って、私にずっと纏わりついていた。
一年後の命日に現れて、生きていた時には見せなかった、とても懐っこい目で私を見て嬉しそうにしていた。
だから、今度生まれる時には、もっと人に懐いて、可愛がられるのを喜ぶ子に成りそうだと思ったよ。😊
獣医さんが「ここまで懐かない猫では、心折れますね~~!」と言ったが、そんな事で折れる様な弱い心は持ち合わせていない。
初めっから懐く事を期待してもいないし、ただ、観察するだけで色々と面白いと思っていた。
ここでも自分を知ったのだけど、観察眼の発達した私は、小さい頃から何でもじっと観察して考察するのが好きだった。
ピアノにしてもバレエにしても、歌にしても、先ずはお手本を観察する事から始まる。
手取り足取りして教えられなくても、観察すれば覚えられる。
ベラは触らせなかったから、私の掌治療も受けられず、姉妹の中では一番短命で、17歳まであと一月の2019年の三月三日に逝ってしまった。
ビッキーは2020年の十一月三十日=18歳と八カ月にあと少し、ウニヴェルソは2021年の十月七日で19歳と半年。
一番弱くて子猫の時に死に掛けた、発育不良のウニヴェルソが一番長生きしてくれた。
ビッキーも調子が悪く成った時に掌治療を施したら具合が良く成るので、「掌で触って、触って!」と呼ぶように成った。
ウニヴェルソは2,018年1月、15歳の時に軟口蓋に癌の疑いが有り、鼻血が止まらなくなったけど、三か月程で、掌治療とウニちゃんの自然治癒力で治すことが出来た。
そしてウニヴェルソは逝く一週間前から、何故か私の額に頭を乗せて寝る様に成り、逝った後には長年の片頭痛が消えていた。
「猫の恩返し」
雲を操って自分の姿を出現させるほどの力を持った宇宙の魂ウニヴェルソ
野良猫一家から子猫たちを預かって、色々と学ぶ事も多かったし、持病まで治してくれるとは、こんなに素晴らしい存在を「パンデミック」に利用しようとするカバールは、本当の「人で無し」だと思う。
消えて貰うしかないね、地球の為にもその上で生きている存在の為にも。