http://www.news-postseven.com/archives/20130812_205070.html
93歳旧陸軍歩兵中隊上等兵 戦時中の慰安婦達の実態を語る
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慰安婦というのは、どこの国の軍隊にもあったもので、日本軍でも軍と慰安所は表裏一体でした。
ですが、今、批判を受けているような、無理やり女性たちを連れて来て奴隷のように扱ったということは全くありません。
慰安婦たちは、私が知る限りでは朝鮮の人が多く、内地の日本人もいました。南方戦線では内地の人が多かったと聞いています。あと、南方では慰安所がなくて、松竹だとか宝塚から歌劇団が慰問に行ったりもしていました。
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(父は北海道から出て終戦時は九州の駐屯地に居たそうですが、駐屯地に「山田五十鈴」が慰問に来たそうで、顔立ちが父の家系の山田の顔立ちだったと言っていました。)
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私も見たことがありましたが、なにしろ女性なんてずって見ていない兵士たちですから、ものすごく興奮したものです。
慰安婦たちは、経済的に苦しいとか、職がなくてその仕事を選んだ人たちです。というより、日本軍が高い給料を提示して集めたという方が当たっているかもしれません。なぜなら、慰安婦たちは結構優雅な生活をしていて、仕事以外でもうっすらと化粧をして買い物に出たり、おしゃべりしたりしていました。
私たちの部隊は厳しい戦線にいましたから、いつも慰安所で遊べるような境遇ではありませんでした。ですから、慰安所に行ける時には皆こぞって行ったものです。
慰安所には女性たちの写真が並んでいて、写真の裏には、「一重丸」「二重丸」「三重丸」が書いてありました。それは慰安婦たちの値段なのです。
“これは美人だ”と思ってめくると必ず三重丸が書いてある。それだけ人気なんですね。
ですが、私などはそうした機会はめったにありませんでしたから、気に入った三重丸の慰安婦を指名したものです。うろ覚えですが、1円か2円くらいのカネを払ったように記憶しています。
慰安婦といえば、私はむしろアメリカ兵のことを思い出します。
私は南大東島で終戦を迎えましたが、上官は、なかなか部下に敗戦したと言わない。もし事実が伝われば、それまで私的制裁をしてきた仕返しをされるかもしれませんし、何が起きるかわからないからでしょう。
敗戦直後、軍の中で、どうも何か変だという話が広がってくると、上官が突然「停戦合意ができた」と言う。はあ、戦争は終わったのかと思っていると、米軍が飛行機で降りてきて、身体検査をされて武装解除される。そのあたりでようやく、どうやらこの戦争は負けたらしいと気付いたわけです。
で、アメリカ軍がやって来て最初に言った言葉が「慰安所はどこにある」でしたから。ははあ、アメリカさんはずいぶん助平なもんだと思ったものです。そして、慰安所の女性をみんな連れて沖縄に飛んで行ってしまいましたよ。
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これが慰安婦の真実の姿で、当時の写真を見ても、日本女性がもんぺの時代に、結構お洒落なワンピース姿で写っているくらいです。
本当にこれを「性奴隷」だ等と朝鮮人は捏造していますが、でも確かに、朝鮮戦争の時の「韓国軍慰安婦は性奴隷だった」のです。
朝鮮人は自分達のやった蛮行を、全て日本に転嫁して、現実逃避をしているのです。
本当にきちがいを隣に持った日本国は、いい迷惑ですが、安倍首相がこう言うプロパガンダに対する対応策を練っていますので、大嘘つきの朝鮮人達には、100倍返しのブーメランが返るでしょう!!
もうちょっとの辛抱です。
結局、自分達を良く見せる為に大嘘を広めて日本を攻撃するから、日本だって真実を探り出し、証拠も揃え、朝鮮人の嘘が暴かれて、朝鮮人は世界中から笑い者に成る訳ですよ!
既に世界中の嫌われ者が、更に、とんでもないゆすり集りを生業としている事が知れ渡る事に成るのです。
恩を仇で返すと、必ず天罰が下ります。