6月14日(土)~15日(日)に百名山の一つの金峰山(標高2599m)に登ってきた。参加者は、元向丘高校同僚の熊倉さん、菅原さんに甥の秀治君と私の4名。両日とも快晴で、快適な登山をすることが出来た。
14日(土)、六郷を早朝に出発した秀治君の車は、7時半に我が家前着。その後菅原さんを保谷の自宅で、熊倉さんをひばりヶ丘駅付近で拾い、調布ICで中央自動車道に乗った。久しぶりに晴れた梅雨の土曜日、高速道は激しい混雑が予想されたが、やや早い時間帯が幸いしたのか、それほどの渋滞は発生せず、車は順調に甲府方面を目指した。登山に関しては、その日は麓の山小屋「瑞牆山荘」に泊まるだけ。小屋に入る前に「増富の湯」に浸かることは決めていたが、それだけではまだ時間に余裕がありそうなので、私以外の3人が行ったことのなかった「サントリー登美の丘ワイナリー」に寄ることにした。 かって一度だけ訪れたことのあるこのワイナリー、雄大な展望と、ワインの無料試飲で知らていた。見晴は素晴らしかった。初めての3人から感嘆の声があがった。甲府盆地が一望の下。頂上は雲が掛かってきてしまっていたが、富士山も眼前にくっきりと浮かんで見える。南アルプスの山々も左から塩見岳・農鳥岳・間ノ岳・北岳と連なり、どの峰もまだ雪を冠している。
ただ大きく異なった点があった。無料試飲が最低100円を支払っての有料試飲になった事と、もう一つは、門を抜けてからのやや長いアプローチの途中はスイッチバックしなければならない様に指定されていた。ということは、車は、バックで坂を昇らねばならない。大型バスは勿論入れない。路線バスが辛うじて通過できる状態だ。推測するに、余りに多くの入場者を少数に制限しようとシステムを変更したのだと思う。運転手以外は100円で、白・ロゼのサントリー銘柄を試飲し、増富温泉へと向かった。 増富温泉は昔は「増冨ラジウム鉱泉」と呼ばれ、温度は低いがラジウムなどの温泉要素の成分が豊富の湯で、湯治場的雰囲気の濃い”温泉郷”だった。私も15年ほど前瑞牆山登山の前日に宿泊したことがあった。現在の増冨温泉は、玉川温泉、三朝温泉 、などと並んで日本三大ラジウム温泉の一つとなっている、とのポスターが掲げられていた。その中でも特に玉川温泉は有名であるが・・・。
その一角にある「増冨の湯」で昼食を摂り湯に浸かった。珍しい温泉である。多くの内風呂に分かれ、温度の高い順に書けば、42°、41.7°、37°、35°、30°、25°の6種類の湯舟。ラジウムを主成分としているので、癌の治療効果で話題となっている。どの湯舟も長時間湯に浸かる沢山の人がいた。私も25°の温泉に長時間入った。低温の湯も好きだが、宿到着の時間を考え1時間ほどの入浴で宿へと移動開始した。(写真:いずれも「増富の湯」HPより)
西岳ヒュッテから槍ヶ岳に至るには、まず水俣乗越まで、標高差250メートルを下り、そこから750メートルを登り返さなければならない。その下りは、クサリ場やガレ場が切れ目なく続き、梯子も掛けられている。昨年、山小屋の方から「この下りで滑落事故が起きている。原因は、片手にストックを持って梯子を下りたから」と聞いていたので、私は出発前からストックはリュックに仕舞い、岩場や梯子では両手を使い、しっかり三点確保しながら慎重に下って行った。(写真:東鎌尾根から望む槍ヶ岳。まだ遥彼方にある)
かなり下ったところの梯子は真新しく、高さ10数メートルほどの垂直に落ちる梯子だった。下を覗けば恐怖心が強くなる。腹側を梯子にピッタリと着け、40数段もの鉄製の梯子を、一歩一歩丁寧に下った。昨年はこの様なものは無かったはず。下り切って梯子を見上げると、今年新たに作られたものだと分かる。廃墟となった旧梯子もやや遠くに見られた。梯子は怖いと感じる部分もあるが、実は登り下りを楽にしてくれる。水俣乗越まで、昨年は90分も掛ったところを、今年は何と50分で到着。
水俣乗越で第1回目の休息。菅原さんは足の痛み全く無いとのこと。私もそこから始まる急な上りを見て、登山意欲が増した。行く手左手側が槍沢、右手側が千丈沢の、いずれも切り込み深い渓谷だ。その両沢の間の細い尾根が東鎌尾根。その尾根は、岩場とガレ場とクサリ場の連続だが、梯子や階段がしっかりと、数多く設置されていて、意外と登り易い。登りに入ってからの方が滑落の心配は薄れ、行く手前方に槍ヶ岳を見ながらの、高揚感溢れる登山。眼下に高山植物を見る余裕さえ生まれ、心地よい縦走となった。昨年とは全く違う心境であった。(写真は燕岳付近のガレバに咲くコマクサの群落) 西岳ヒュッテから、その日の宿泊の山小屋「ヒュッテ大槍」まで、コースタイム通り3時間10分で到着。ここに荷を置き、サブザックを借りて槍ヶ岳へと向かった。槍ヶ岳(標高3180m)では上りと下りではルートが違う。そのルートも凄いラッシュで、頂上まで30分のところ50分も掛り、12時過ぎ無事登頂。絶快晴だった天候も、穂高方面は霧に隠れ、360度の眺望は得られなかったが、記念撮影などして、10分に満たない滞在時間で下山開始。(写真:山頂にて)
(見えにくいが、山頂も下山ルートも人の鈴なり) 宿泊した、小さい山小屋ヒュッテ大槍を絶賛しておきたい。
①夕食に白ワインが、無料で出された。
②ホイル焼き肉料理が出されるなど料理はすべて手作り。
③Wi-Fiが使え、インターネット可能だった。私は自分宛てのメールを読んだ。
④500円でドリンクバーが当日のみならず、翌日も利用出来、コーヒー・ココア5杯も飲んだ。
⑤そこは槍ヶ岳の絶好の展望台
⑥メインルートから外れる為、宿泊に余裕があり、最大6人詰め込まれる部屋に4人で就寝。
⑦他の山小屋の宿泊料金が9500円のところ、ここは9200円
⑧サブザック無料貸し出し。
⑨「〆張鶴」は無かったが清酒「久保田千寿」が用意されていて、2杯も呑んでしまった。
かくして心地よい気分での睡眠を得て、翌朝5時50分、上高地目指し下りを開始した。(写真:ヒュッテ大槍から見る槍ヶ岳)
(突然湧き出した雲と、槍)
以前は、北穂高大キレットや不帰の峰キレットなど、東鎌尾根より難易度の高い稜線縦走で滑落のことなど余り考えもしなかったが、この頃は老齢故か、行く前から滑落の不安を感じている。今回もそうであったが、無事登り終え、ホットしている。菅原さんにとっても私にとっても大満足の山旅であった。
北アルプス常念岳から見ると、槍ヶ岳はほぼ西に聳え立つ。焼岳から始まり、奥穂高から北穂高・槍を経て西鎌尾根へと続く長大な稜線。一方その稜線から数キロほど離れ、平行するかの様に奔るもう一本の稜線は、蝶ヶ岳から常念岳を経て大天井岳・燕岳へと伸びている。
深い谷を挟んで向かい合う二つの稜線を結ぶ一本の稜線がある。カタかな「エ」に例え、仮に、上の横棒を”槍ヶ岳稜線”、下の横棒を”常念岳稜線”と呼べば、縦棒に当たる稜線を東鎌尾根と言う。その縦横の上の付け根が槍ヶ岳で、下の付け根に位置するのが大天井岳である。
かって、大天井岳から東鎌尾根を経て槍ヶ岳へ通じる登山道は無かったが、1920年、小林喜作は息子の一男と共に3年の歳月を費やして、東鎌尾根に、槍ヶ岳へ直接に至る喜作新道を開設した。その結果、中房温泉から槍ヶ岳へと至るルートの所要日数は2日間短縮されたそうで、槍ヶ岳の展望と高山植物鑑賞の楽しめるこのコースは岳人の人気を呼び、その賑わいを象徴するかの如く”表銀座コース”と呼ばれている。
百名山に登ることを目標にしてきた私は、その達成後は、もう一度是非登りたい山としての観点から、常念岳を選び一昨年にその登頂を叶えた。その時、常念側から見て圧倒的な迫力で槍ヶ岳へと続く東鎌尾根を縦走したいとの思いに捉われた。「エ」の字の横線部分は殆ど縦走していたが、縦線部分は未だ通ったことが無く、その点が不満だったこともある。
昨年、その計画を実行に移したクダリは、ブログに書いたように、菅原さんの足の痛みと私の弱気から、水俣乗越で、それ以上の登山を断念し、無念の下山をした。今年はそのリベンジであった。
今年、二人はトレーニングを積んでいた。昨年とほど同じ計画だが山小屋滞在日数を一日増やし、かつ、東鎌尾根に最も近い山小屋の西岳ヒュッテに宿泊した。東鎌尾根では滑落に因る死亡事故が時々起こっていると聞いていたので、緊張感を持っての出発であった。8月1日に合戦尾根を登り、燕山荘宿泊。2日は大天井岳を経て西岳ヒュッテに至り、3日5時50分、絶快晴のこの日、目的峰槍ヶ岳を仰ぎ見て、菅原さんと私は、遂に、東鎌尾根への第一歩を踏み出した。(写真:西岳ヒュッテから見る、朝日を浴びる槍ヶ岳。槍から左下への稜線が東鎌尾根)
(常念から大天井へと続く稜線から出る御来光)
入山2日目、3日目の朝も御来光を仰げる快晴の日々が続いていました。
8月4日(水)
常念小屋→(徒歩:4時間20分)→大天井岳(おてんしょうだけ)→(徒歩:3時間20分)→燕山荘
8月5日(木)
燕山荘→(徒歩:30分)→燕岳→(徒歩:25分)→燕山荘→(徒歩:3時間30分)→中房温泉 常念小屋での日の出は5時少し前。常念乗越に立って待つこと暫しの時間で、雲海の上から太陽が顔を覗かせた。信州側を望むと厚い雲海を突き破るかのように、浅間山・八ヶ岳や南アルプスの山頂が姿を現していて、富士山の姿もはっきりと遠望できます。(写真:今夏初めての御来光を仰ぐ)
振り返ると北アルプスの盟主槍ヶ岳や穂高の峰々が。真っ先に槍ヶ岳の先端部が赤味を帯びて来て、あっという間に槍全体に陽が射します。何時見ても御来光は、今ここに立てた事の有難さを実感させてくれるのでした。今日一日の晴天をも確信出来るのでした。(写真:朝日を浴びる槍ヶ岳)
(写真:槍ヶ岳の左が残雪豊富な大喰岳)
(写真:左から前穂・奥穂・北穂)
(写真:富士の右側が南アルプス) 朝5時40分に、今日の中間目標の大天井岳目指して出発。今日のコースは主脈稜線上のアップダウンの少ない”天国”コース。稜線上から名峰の数々を堪能しつつ、高山植物も鑑賞出来る雲上の楽園。特にコマクサの群落に出合える事を楽しみに、コースタイム以上に時間を掛けて、ゆったりと進みます。Sさんなどは、すれ違うご婦人全てに声を掛けるほどの上機嫌です。所謂山ガールのカラフルな衣装も楽しみつつ、大天井小屋の到着が10時。(写真:振り返り仰ぐ常念岳)
(写真:縦走路からの穂高三山。残雪豊富な辺りが涸沢) ここは槍ヶ岳方面へと燕岳方面への分岐点。小屋周辺は多くの登山者で賑わっています。昼食後、私達は、今回は槍ヶ岳方面では無く、燕岳方面目指して出発すると直ぐに、標高差400mほどの大きい下りが待っていました。気温は30度を超えているでしょう。下りはまだしも登り来る人々に疲れた様子が明らかに見てとれます。下る人々は「もう少しです。頑張って下さい」などと調子よく声など掛ける余裕がありますが・・・。11時過ぎ、今日も霧が発生し、さっきまで見えていた山々が霧の中に霞んで行きます。
(写真:シナノキンバイか?)
大きい下りを終え、又緩やかなアップダウンが始まると、ここからは奇岩とガレバが交互に現われます。そのガレバにはコマクサの群落が。多くの登山者に愛されているこの花を私も大好きです。他の高山植物が生育しない荒涼とした砂状地に可憐に咲く姿を健気にも思います。しかしこの辺りでグループの歩みは極端にスローペースになります。30度を越える中で、既に7時間以上の歩み。午後2時、漸くの思いで燕山荘に到着。(写真:ガレバに咲くコマクサ)
この燕山荘の創設は1921年(大正10年)、アルプスでも有数の歴史を誇る山小屋のひとつです。ご来光から日の入りまで景色が堪能できる、北アルプスでは人気ナンバーワンの山小屋です。(写真:燕山荘から徒歩30分の燕岳)
期待しての夕食には美味しいハンバーグが出ました。ただ料理だけで比較するなら「黒部五郎小舎」が上だろうと思いつつ、夕食後3人で談話室で御酒を嗜んでいると、食堂の机・椅子が片付けられ、清掃の後約100人以上の人々が集い始めました。ここのオーナー赤沼健至氏による、写真を交えての”燕山荘付近の自然”の案内です。四季折々の美しくも厳しい自然の姿が紹介され、更には「この美しさを保つためには、動物たちに決して餌を与えないで下さい」と力説していました。私たち登山者がする何気ない行為が自然界の生態系を破壊してしまうことを、改めて痛感したのでした。最後に山小屋主人によるアルプホルンの演奏があり、集いし人々には忘れえぬ一夜となったことでしょう。 明けて8月5日、燕岳からも御来光を仰ぎ、コマクサ群落を見納めにして、一気に中房温泉へと下りました。思い描いた目的2つが叶い、達成感を感じつつの下山となりました。登山が中高年だけでなく若人にも人気が出始めたことを嬉しく感じています。(写真:燕岳からの朝焼け槍)
(写真:クルマユリか?)
30年前と変わらず常念岳は端正な姿を見せてくれました。
8月2日(月)
新宿→(中央本線:2時間46分)→松本→(大糸線:23分)→柏矢町→(徒歩:20分)→ビレッジ安曇野
8月3日(火)
ビレッジ安曇野→(タクシー:25分)→ヒエ平→(徒歩:4時間40分)→常念小屋→(徒歩:1時間10分)→常念岳→(徒歩:50分)→常念小屋
8月3日(火)、快晴の予感を抱きつつ、早朝4時に宿泊地ビレッジ安曇野を後にし、タクシーで登山口「ヒエ平」に向かった。ヒエ平着4時25分、登山名簿に記入中に中型バスが到着。多勢の乗客にも拘わら下車する人は唯一人。その方に聞くと、新宿発のこのバスの他の20数名は、このまま中房温泉に直行し、燕岳から槍ヶ岳へのいわゆる表銀座コースを目指すとの事。Kさん・Sさん・私の3人が登山路に選んだコースはマイナーなコースなのでした。
標高1300mのヒエ平から、標高2460mの常念小屋までは約1200mの標高差。明るくなり始めた登山口を4時40分に出発し、細い沢の脇道を登り始める。沢には雪解けの、豊かな水量の流れの音が響く。予想した以上に緩やかな道が続くなかの登山で、最初の一本目の登りにしては楽な登り。私たちは50分歩き、10分休憩との登山形式をかなり厳格に守っています。この形式は学校での、授業50分、休み10分の形式に馴染んできた教員経験の長い私たち3人の体のリズムに馴染んだ形式でもあります。(写真:2本目休憩点の烏帽子沢)
コースタイムには4時間30分とあるこのコース。50分+10分を5本繰り返せば、小屋に到着と予測しながらの登山で、2本目も緩やかな登りが続きます。途中、背後からは朝日が差し込み、光の反射で沢の流れがきらきらと光ります。前方を見上げれば常念岳の稜線にも光が当たり、くっきりと山容が望め、気持ちが昂ぶる瞬間が訪れました。
簡単に丸太で組まれた小さな橋を何度か渡り終えると、大きな沢に出ました。沢の上部を見上げると、急斜面のガレた崖が目に入ります。この沢筋が大層な急斜面で、素人目にも雪崩が多発しそうな事がよく分かります。このあたりが「いまだ下山せず」の遭難現場かと推理しました。(写真:丸太で組まれた小橋)
3本目はその沢筋から山道に入り、その名も”胸突き八丁”と名付けられた急登が始まりました。九十九折の道は、ところどころに滑落防止のロープが張られ、道一筋脇は急峻なガレ場でした。そこを登ること2本、常念岳が端正な三角形の全容を見せ始め、最後の1本は一気呵成の登りでした。 常念乗越に到着し、初めて穂高側が見渡せます。期待したとおり、槍ヶ岳から”大キレット”を経て穂高連峰へと続く広大な稜線が見渡せます。豊富な残雪を着けた山々がそこにはありました。昼食を摂りながらその風景を飽かず眺めた後常念小屋へ。(写真:久しぶりに槍ヶ岳とご対面)
(写真:常念小屋からの大キレットとその左は北穂高)
(写真:常念岳山頂) 小屋で十分休憩の後、常念岳に登りました。この頂上に立つと浅間山・南アルプス・乗鞍岳も遠望出来ましたが、信州側からの風はあっという間に霧となり、視界は閉ざされてしまいました。天候の急変です。雨交じりの霧に慌てて下山しました。(写真:常念岳の前部)
小屋に戻り、無事常念岳に登れたことを祝って生ビールで乾杯。最近あまり御酒を召し上がらないKさんは珍しく生ビール2杯。健康を気遣いながらの登山でしたが、快調に登れたことの大きな喜びの発露が生2杯。30年前疲労困憊しながら山頂をともにしたKさんと私。私は近くにいる彼へ”時たけて 又越ゆべしと 思いきや 命なりけり 常念の峰”と西行の替え歌をざれ言にしてのメールを送りました。(写真:常念岳中腹に生息する雷鳥)
(次回のブログに続く)