マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

早朝の花見

2014年07月30日 | 身辺雑記

 花見といってもこの時期、桜ではない。7月27日は不忍池の蓮を、28日には日比谷公園での変化朝顔を見てきた。
 27日は日曜日。富士神社のラジオ体操なしにつられ、1000段の階段昇りに代えて、ザック担いでの長い距離歩き。不忍池まで足を延ばせば、今年はまだ観ていない、蓮に出会えることに気が付き、妻と、早朝5時20分に自宅を出た。
 陽は既に昇っているが、まだ蒸し暑くはない。東大裏の暗闇坂を下り切るとそこが不忍池。普段は30分でここに到着するも、この日は荷の重さが原因で徒歩45分。いつ来ても、ここはランナーのメッカであり、ウォーカーのメッカだと思う。池を見ながら歩いても走っても、気分爽快だ。弁天堂に通じる道のベンチに腰かけて蓮を眺める。ここからはそう沢山の花を観られるわけではないが、木々の葉の向こうに広がる、緑の蓮の葉と蓮の花。弁天堂近辺では、間近から眺め、蓮を真上から撮影する。ピンクの大輪と黄色の芯の見事な組合せを撮り収める。帰路は、都バスを利用し、モーニングは巣鴨の「コメダ珈琲店」で。





 28日(月)は日比谷公園で、源氏の会のSさんと待ち合わせ。3人で会場へ向かう。江戸時代に源流を持つ変化朝顔は、実は8月末の方が多くの花を咲かせるとの事。しかし、今回の展示は日程が確定していて、しかも大輪の花が展示され、その審査会も同時開催されることを、昨年の8月末の展示の際に知り、手帳にこの時期を書き込んでいたのだ。
 会場に到着すると、審査が開始されたばかりらしく、「優」や「秀」などと書かれた札が次々に添えられていく。一番手前が大輪。これはまさに花の大きさを競うらしい。どの変化朝顔も丹誠込められ栽培された様子がよく分かる。濃紫・真白・薄茶色などなど。黄色の朝顔こそないが、正に色とりどりの朝顔の競演。
 朝の日比谷公園での、緑陰の散策も気持ちがよい。何年ぶりかは思い出せないが、ここ松本楼での久しぶりのひと時。かき氷を味わった後、8月の再訪を約束して帰宅した。


         (夢の浮橋)


        (新虚心)






       (修石)


        (浦霞)

 以下絵葉書より。





 


ハプニングの連鎖(花火鑑賞会で)

2014年07月28日 | 身辺雑記

 隅田川の花火は、今年は2年振りに、夜空を華麗に彩った。昨年は集中豪雨により、突然の中止となってしまったが。我が管理組合の、屋上での「花火鑑賞会」も、昨年はその俄か雨の為、急遽、場所を屋上から玄関エントランスに変更しての続行。狭い場所での酒宴は、住民間の距離感をより近づけるというハプニング効果を生んで、無事終わったのだが・・・。(写真:東京新聞より)

 しかし、今年の鑑賞会は危ういハプニングが起こってしまった。主原因は強風だった。
 プロパンガスの使用条件が厳しくなったため、屋台と同じ鉄板を使用しての調理を諦め、ホットプレートを購入し、家で実験的に焼きそばを作ったところ上手くいったので、安心し切って当日に臨んだ。ウインナーを炒めるまでは良かった。焼きそば調理に入り、まず豚肉を炒める段になって、一向に炒まらないのである。この日、花火鑑賞に誘っていた,遊び仲間の
熊坂さん曰く「強風の為、鉄板の熱が奪い取られ温度が上がらないのだよ」と。思えば当然の指摘であった。そこでプレートを、風を避けられそうな地点にまで下して調理を続行するも、やはり状況はあまり変わらない。

 その様子を見て、自宅からカセットガスのコンロを持ってきてくれた方が2人と、自宅のホットプレートを用意してくれる方がいて、4つの器具で調理が始まった。その瞬間に照明が消えたのである。2台のホットプレートが原因でシューズが飛んだのだ。電源は屋上にあるエレベータ管理室から取っていた。慌てて、数名が管理室に入ってシューズの位置を捜したが、どこにも見当たらない。これには焦り、困り果てた。ホットプレートが使用できないのは兎も角、屋上を照らす照明が消えてしまっては、食べ物の位置は見えづらくなるし、一連の動きが鈍くなるのだ。
 この日は快晴。数キロほど離れた隅田川の花火は良く見えた。花火鑑賞に集中しいる住民の方は、照明が消えたことを心配している様には見えなかった。しかし、主催者側は気が気ではなかった。管理室のシューズ捜しを諦めた段階で、屋上の下の12階にコンセントを求めることとなり、漸くに発見。長い電源コードを延長して、そこと繋いだ。これは面倒な作業だったが、この様な事態に適切に素早い対応をして、手助けして呉れたのが熊坂さん。有難かった。照明が再び点るまで20分は掛かっただろう。ハプニングの連鎖であった。

 結局焼きそばは、カセットコンロを持ち込んだ方の努力と、自宅のコンロで調理してくれた妻の”内助の功”で事なきを得た。天体望遠鏡からは土星観測が出来て、特に子供たちが喜んだ。20時30分に花火は終了したが、敷かれたビニールシートに座り込み、話し込む多くの住民の方々。今年は、ハプニングがあったので殊更面白い鑑賞会だったとの感想もあった。これは主催者への慰めの言葉だったのだろうか。来年に向けて幾つかを改善しなければならないが、兎も角、鑑賞会は無事終了。


『兼好卒業公演』(第29回やねせん亭で)

2014年07月26日 | 文京食の100選

 三遊亭円左衛門から、第29回のやねせん亭は「兼好卒業公演!」とのご案内メールが届いた。多分、三遊亭兼好が売れに売れ始め、多忙を極めているので、このやねせん亭への出演まで手が回らなくなったのだろうと想像出来たが、一応その辺の事情を確かめたかったし、兼好を気楽に聴ける機会が遠のくことでもあり、これは是非と、妻と、「不忍通りふれあい館」に出かけた。
 18時半開場の10分前には会場着。最前列の席を確保した。


 暫く振りのやねせん亭。右写真に見るごとく、この日の演目がコンパクトに印刷されたプログラムが用意されるようになっていた。実際は前座の登場より前に、円左衛門・兼好・王楽の3人が登場し、円左衛門の司会で、兼好の人となりを、兼好と王楽に語らせるという趣向が用意されていた。
 円左衛門は質問その1で、いきなり話題をワールドカップに振った。兼好は大学時代にラグビーをやっていたので「サッカーもかなりやっていましたが、着物を着るようになってからは、運動することが少なくなり、スポーツは観るだけです」と。
 すかさず円左右衛門、その着物に関して、「多くの落語家の中でも兼好君は、何時も着物、これには理由があるのか是非聞きたかった」と。兼好の答えが面白い。「忘れ物の多い私。着物を着っぱなしでいると、帯や足袋を置き忘れすることがなくなることに気がついて以降着物。又、着物姿は憧れではなく、かって現円楽師匠から、”有名になったら目立たない様に背広。有名でないうちは目立つように着物”と言われ、いまだにその言を実行しています」と。その志や良し。
 王楽との関係の話も面白かった。兼好が好楽に入門当時、7歳年下の、師匠の息子一夫(後の王楽)は落語家になるような素振りはまるでなく、家族ぐるみの付き合いのなかで兼好は一夫に奢ってもらったこともあったそうな。しかし、王楽が先代円楽に入門後は、兼好を兄(あに)さんとも思い、兼好の背中を見ながら修業に励んできたそうな。
 最後に抱負をと問われ、兼好は「こちらへは頑なに来ないというのではなく(大笑い)、又機会がありましたら、こちらへ参りたい」と語ったが、その機会はかなり減るのを見越しての”卒業”なのだと理解した。

 さて兼好の『お見立て』。吉原の花魁に惚れた、田舎の金満家が久しぶりに吉原へやってきて、若い衆を通して、件の花魁をご指名。この豪農が嫌いな花魁は中間に何とか断ってくれるように頼む。花魁と豪農の間に立った、この若い衆の困惑表現が見もの。
 馴染みの観客の前で、気負いは感じられず、のびのびと表現する兼好。喜び・悲しみ・困惑・怒りなどの表現が、単に言葉だけではなく、全身で、特に眼と表情で語る様子が、最前列なのでよ~く見えた。卒業公演に相応しい熱演でもあった。兼好を堪能した一夜。
 夕食は、徒歩3分の海上海へ。焼きそば・餃子・マーボ豆腐の3皿で、私たちには十分。〆て1920円だった。
 


トムラウシ温泉「東大雪荘」に泊まる

2014年07月24日 | 山旅

 今回の帯広行で、トムラウシ温泉に2泊もしたのには理由があった。昨年の秋、息子夫婦は、岳父と共にこの温泉に1泊し、温泉そのものを気に入ると同時に、ここからトムラウシ山への登山が可能であることを知った。私たちが帯広滞在中にここまで足を延ばし、彼ら夫婦と私の3人でトムラウシに登ろうと考え、7月のこの時期の、この宿2泊を予約したのであった。
 私の思いはやや複雑だった。息子夫婦との登山は待ち望んでいたことではあったが、日帰りでのトムラウシ登山はキツ過ぎると思えたからだ。7年前、山の友でもある菅原さんと2人、雨の日ではあったが、このコースを下山に使った時の大変さを実感していた。まして、登り+下り、これは無理と思えた。ならば、いとせめて高山植物咲き乱れる前トム平までを案内出来ればなと考えたのだった。



  
     (東大雪荘は大きな宿)           (渓流沿いに広々とした露店風呂)

 帯広に着いてから、家事と勤めに忙しい弥生ちゃんは鍛錬する機会が全くないと聞き、それでは「沼の原」湿原を目指そうかと考えたが、現地情報ではここへ通じる車道は昨年崩壊し、いまだ修復ならずとのことで、結局、前トム平までの登山と決めた。
 7月19日、息子宅発16時30分。18時10分温泉着。なんと所要時間1時間40分。
 7月20日、4時に車で宿発。短縮登山口までの悪道を行き、4時25分着。登山口にはなんと、既に100台以上の車が停められている。4時30分にスタート。カムイ天上まで1時間20分。道はかなりヌカルんでいて歩き辛い。ここからは先は、かっての登山道の沢コースは立ち入り禁止となっていて、尾根コースを行く。残念ながら熊笹を刈った登山道には高山植物は何もなく、更に厳しくなった泥んこ道を難儀しながら登った。この泥んこ道が弥生ちゃんには厳しかったのだろう、足を痛め、前トム平まで行かないでリタイア。
 この日は雨模様のため眺望にも恵まれず、高山植物にも出会えずに山登りを終えてしまった。弥生ちゃんが、これ以降「山のぼりはイヤ
」とはならないことを祈ろう。(写真:右は短縮登山口の駐車場)



     
                                      (帰路。キタキツネに出会った)

 ここ東大雪荘はトムラウシ登山の前線基地として大人気だそうである。ここを基点とすれば13時間かければピストンの日帰り登山が可能だ。朝3時にスタートし16時に戻って来たグループは、夕食時は大はしゃぎの喜びで盛り上がっていた。クラブツーリズムご一行様もいた。勿論日帰りピストン登山。添乗員に概略を聞いたら「東京・新千歳間は往復飛行機。以降はバス利用でのトムラウシ温泉2泊。お値段は150,000円」
とのこと。私には無縁のツアー。
 ただ日帰り登山では勿体ない気がする。私に、再度トムラウシ登山が可能ならば、この東大雪荘に一泊し、早朝出発で山頂付近の南沼テント泊。山頂付近の、乱れ咲く高山植物を満喫出来たらなと思う。そんな日は来るか?

 


シープドッグショウを観る

2014年07月22日 | 

 息子夫婦が暮らす北海道を毎年を訪ねるようになり、今年で6年目となる。3年目からは、帯広からやや足を延ばして温泉に一泊するようになってきた。今年は初めて夏の滞在。7月18日(金)~22日(火)に出掛け、トムラウシ温泉「東大雪荘」には2泊してきた。勤めのある2人は、この間の3連休を有効活用してのことであった。
 18日、成田発9時30分離陸のスカイマーク機は1時間半のフライトで新千歳空港着。ここからは高速バス利用で、2時間半後に帯広へ。義娘の弥生ちゃんとは約1年ぶりの再会。
 翌19日の午前中に温泉宿に向かうのかと思っていると、「午前中は池田町へ出かけるよ」とのこと。またまたワイン工場見学かと思いきや、そうではなかった。目的地近辺の広大な牧草地を前にして「何の見学だか分かる?」と息子に聞かれ、「?」。実は「シープドッグショウ」だった。Sheepdog(シープドッグ)=牧羊犬を見るのも、そのショウなるものを観るのも初めてだった。







 小高い丘を前に200ほどの見物席が設えてあり、この日の見物人100人ほどを前に、この道の達人安西浩氏が登場した。この安西氏は「ボーヤ・ファーム」という羊の牧場を経営する一方、隣接するこの場所で、牧羊犬ショーを定期的に開催しているのだ。牧羊犬とはカーボイの役割を演じる犬。日本有数の牧羊犬ブリーダを使って、犬が羊を誘導するショウをお目にかけようというわけである。
 安西氏の言葉に耳を傾けよう。「私は笛で犬たちに4つのシグナルを送ります。①進め ②止まれ ③右へ ④左へ の4つです。1km先にいてもこの音を聞き分けるほど耳の敏感な犬はこのシグナルを聞き、羊を目的の方向に誘導するのです」と。人が犬に指示を出し、犬がその指示に従い羊を追うのである。それは見事なショウであった。私たちからは見えないところで戯れていた羊たち。放たれた犬5頭は、一目散に消え去り、指示の笛や安西氏の声で、羊たちを連れて帰ってきた。狭い柵内に羊の群れを追い込むこともやってのけた。拍手!拍手!(写真:安西氏は語る)



     (出番を待つシープドッグ)


      (意外に多い見物客)


       (追われる羊たち)


     (遂に、柵前まで追われた羊たち)

 ショウの最後には羊の毛を刈り込むところまで演じられた。
当初はアンディという名の犬1頭のみで行っていたこのショウは、8年目の現在、若手の犬4頭が加わり5頭で行われている。昨年の平成25年はツアー客を含め約8500人の入場となったそうである。(写真:刈られる羊)

 帯広に住んで5年の息子夫婦。私達は、彼らの知った世界を、専ら案内してもらう格好である。