一昨日の29日(月)、妻とサントリー美術館に出掛け、『遊びの流儀』展を観て来た。
展示冒頭に、この展示の概要が次の様に紹介されていた。《「遊びをせんとや生まれけむ」とは『梁塵秘抄』の有名な一節です。この展覧会は美術のテーマとなった「遊び」に着目し、双六やカルタ、歌謡やファッションなど、男女が熱中した楽しみごとの変遷をながめます。とくに近世初期の「遊楽図」における屈指の名品の数々が一堂にあつまり、暮らしと「遊び」とのかかわりを探るかつてない機会となります》と。
「遊びをせんとや生まれけむ」。いきなり私の大好きなフレーズが登場し嬉しくなった。この展示を通して、この国には昔から何と多くの遊びがあったかを知ると同時に、それら遊びを描いた名品観賞は実に楽しかった。特に海北友松の「琴棋書画図屏風」(重要文化財)と「婦女遊楽図屏風」(松浦屏風。国宝)は色鮮やかで美しいと思った。 ただ今日のブログではそれらのことはここまでにして、「松浦屏風」に登場する双六について書いておきたい。「松浦屏風」については2017/5/21のブログで「大和文華館へ」と題して、そこで観た「松浦屏風」に触れて、六曲一双屏風の右隻の右端に描かれた双六について書いていた。(写真右松浦屏風。下はその中の双六)
そこで私は「双六は今でこそ正月の子供の遊びに変わってしまったが、・・・」と書いていたがそれは大きな間違いだと気付かされた。
江戸時代には既に双六には、盤双六と絵双六と呼ばれる2つの双六があったらしい。絵双六はサイコロを振って出た数だけ駒を前に進め、上がりを目指すゲームで、現在でも数人で遊ばれている。 盤ゲームこそ「松浦屏風」にも今回の展示にも登場した遊びで、絵画に登場するだけでなく、ゲーム盤も展示されていた。そのゲームは平安時代には賭事に使われ、平安人が熱中し過ぎて、何度も禁止令が出たらしい。しかし面白いものはお上がいくら禁止してもそう簡単には無くならかった。だから江戸時代まで遊びとして生き残り、絵画にも描かれた。ただ不思議なことに現在では殆ど遊びに使われていないらしい。
展示途中で双六(盤双六)はバックギャモンと源流を同じくすると知って驚いた。盤双六とバックギャモンが同種とは!バックギャモンの詳しいルールは知らないが、そのボードを見たことがあり、有名な選手を知っていた。将棋の片上大輔七段である。又、少し本を読んで、ゲームは2人で争われ、毎回サイコロ2個を振るゲームで偶然に左右されるが、戦略が大事とも知った。(写真:今回展示されたもの。西洋双六盤とある。バックギャモンについては次回に)
今日の一葉:30日不忍池で撮影