マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

琵琶湖へ

2013年02月27日 | 

 「弦巻川暗渠を下る」を書きかけの途中だが、明日の3月1日(金)~4日(月)まで、主として琵琶湖周辺巡りに出掛ける為、ブログ投稿は5日以降になる予定です。
 家人の身体の具合から海外旅行には行かない私達は、二人で旅行可能な日程を調整し、国内旅行の機会を心掛けている。家人がネット検索して加入した「
JR東海50+」クラブの、会員対象のツアーで格安旅行を見つけた。琵琶湖々畔にある大津プリンス3泊+新幹線のぞみ往復で23000円と言う安きツアーがあった。そこで、私の勤務が全くない今週から来週に掛けての旅行をネット予約しておいた。
 1日目 京都
 2日目 彦根
 3日目 近江八幡
 4日目 石山寺・三井寺・瀬田大橋・琵琶湖疏水付近
という、私の希望を入れての大雑把な計画は既に出来ている。後は新幹線の車中や現地で、主として家人が、持参の本やネットで詳しい計画を練ることだろう。関西方面は家人の方が詳しい。私としては珍しく、気楽な、あなた任せの旅への出発である。東京駅朝6時の、始発の新幹線に間に合うように出掛けねばならないのが辛いが・・・。


『弦巻川』暗渠を下る(その1)

2013年02月26日 | 江戸の川・東京の川

 JR池袋駅の西口、現在ホテルメトロポリタンなどのビルが建つ一帯にあった湧水池「丸池」を主源流としていたのが弦巻川。雑司ヶ谷の谷を下り、護国寺で向きを南南東に変え、音羽谷の西縁を下って神田川へと注いでいた。関東大震災以降の急速な都市化に伴い、ドブ川と化し、昭和10年頃に暗渠化されたという。
 水源が、かって沼地など比較的平坦地であった場合、水源を探り、特定することは難しい。ホテルの一画に丸池跡を偲ぶ人工的な池が造られていると、本には書かれている。2月24日の探索の折りには、ホテルを2周してもそこを見つけられず、警備員さんに聞いて、漸く人工池に辿り着いた。立て看板には「池袋の地名は池多きとこらから来ている」旨が書かれている。(写真:池袋の地名の謂れの看板もある、丸池跡地)




 この付近一帯は現在も平らで、凹部が余り見当たらず、かっての川がどこを流れていたかを見極める事が難しい。『暗渠散歩』には「丸池から南下した流れは山手線、西武池袋線の線路下を潜り、明治通りと交差するあたりから南東に方向を変える」との記述はあるが、これは大雑把で曖昧な表現に思える。そこで私はJR山手線を潜る道路を直角に横切り、西武線が山手線と立体交差する方向目指して、曲がりくねった細い路地を進んで行った。(写真:弦巻川暗渠と思われる路地)



 山手線と平面交差している踏切を電車内から見た記憶があった。しかしその踏切、どうやら廃止されてしまったらしく、その痕跡が残るのみであった。ここで大いに困った。どうすれば山手線の向こう側に辿りつけるか迷っていると、西武池袋線が山手線と立体交差するすぐ脇に、JR線を越える歩道橋が西武線と並行するように存在していた。しかもエレベータまで付いていて、地元の方に命名され「花のはし」と名付けられている。想像するに踏切廃止に伴う新設の跨線橋だ。その橋からは山手線などのJR線が眺められ、彼方には目白駅や新宿ビル群が望める。振り返ると目線を西武線が通過していく。私的な発見ではあるが、内心”やった!”と思った。これは、暗渠そのものではないが、街を彷徨いあるく事に伴って味わえる密かな楽しみである。(写真:”花のはし”から見る山手線)


   (向こう側に目白駅。遠くは新宿ビル群

         (西武池袋線)

 橋を渡り越えて、更に、未知なる細い路地を歩むと、漸く明治通りに出た。ここまでで既に1時間以上経過。
 反対側車線に「大鳥神社参道」の看板を見つけ、漸くここが弦巻川暗渠と確信できる道に辿りついた。その参道は明治通りから大鳥神社脇まで続いている。ここが雑司ヶ谷の谷への入口であった。(写真:大鳥神社参道入口)


神田川支流の暗渠を行く

2013年02月24日 | 江戸の川・東京の川

 今日2月24日(日)、気温は低いが快晴のこの日、予定通りの暗渠巡り。池袋「東京メトロポリタンホテル」付近から、弦巻川暗渠を、護国寺を経て神田川まで下り、そこからは逆に水窪川暗渠を遡って池袋へと舞い戻った。

 神田川の支流の善福寺川と妙正寺川は、暗渠とはならず神田川と合流している。この両川は、水源から合流地点まで既に歩いていた。開渠として存在している支流は、この二つの川のみ。他の神田川支流は全て暗渠化している。
 「東京暗渠散歩」を読んで知り得たことであるが、それらの支流を、神田川と合流する地点の、上流から挙げれば、「桃園川」・「井草川」「江古田川」(両川とも妙正寺川に合流)・「弦巻川」・「水窪川」・「蟹川」・「紅葉川」・「小石川」・「谷端川」などの多きにわたっている。その内「弦巻川」と「水窪川」は、私にとって馴染みのある川であったので、近々の散策の機会を狙っていたところ、絶好の日が巡って来た。
 「弦巻川」と「水窪川」の暗渠は、それとは意識せずに断片的に何度か散策した事があった。江戸時代には、池袋の沼地を水源として流れ出し、護国寺付近で急接近した両川は、しかしそこでは合流せず、護国寺正門を背にして並行して南へと流れ、漸く神田川直前で合流し、神田川へと注いでいた。
 池袋を起点・終点とする一筆書きの暗渠散策、
5時間ほどで巡り、暗渠歩きの楽しさを味わえた一日。かなり疲れたので今日はここまでとし、その様子は次回ブログから2回にわたりレポート予定。
 


根津から上野界隈へ

2013年02月22日 | 東京散歩

 寒さの日々が続く。家に引き籠りがちにはならず、出来るだけ外出を心掛けて毎日出歩いている。両勤務日に挟まれた日の2月20日(水)、用事を兼ねて上野台地にある美術館をハシゴした。
 根津「海上海」で安く昼食を済ませ、まず目指したのは「上野桜木会館」。谷中の谷から「あかぢ坂」を上って上野台地に至り、多くのお寺さんの山門を眺め、「大名時計博物館」・「愛玉子」・「カヤバ珈琲」などは素通りして、芸大へと通じる細道を抜ける。妙なことに「花村」の看板が外されているのに気が付いた。何度となく利用した懐石料理の名店、あるいは店仕舞をしたのかなどと気にしつつ、和菓子の「桃林堂」を左手に右折。そこに上野桜木会館はある。


 今日の目的は「台東区図書館利用」手続。ここの会館はいわれのある和風建築だが、現在は地域の会館として、部屋利用の役割を果たしていて、台東区の図書館の分室にもなっている。台東区で借りた本はここで受け取る事も可能。この近辺にもう少し訪れたいと考えていた私は、オンライン利用も出来る事を知り、家人と一緒に手続きに訪れたのだった。落ち着いた日本的建物で、見学可能な和室は利用したくなるような雰囲気の、品の良い部屋だが、区民または区勤務者限定のみ利用可とある。残念!(写真:上野桜木会館入口の門)


 続いて東京博物館特別展「飛騨の円空」へ。
 展示案内によれば『各地の霊山を巡り、生涯で12万体の仏像を彫ったという円空(1632ー
95)。素朴で優しい円空の仏は江戸時代以来村人に親しまれ、今も多くの人の心をひきつけます。この展覧会では、「両面宿儺坐像(りょうめんすくなざぞう)」など、岐阜・千光寺(せんこうじ)所蔵の円空仏61体を中心に岐阜県高山市所在の100体を展示します。穂高岳、乗鞍岳など円空が登った山の名前を書いた像もあります』 とある。穂高岳や乗鞍岳の名前を確認することは出来なかったが、12万体もの仏象を彫った円空の、想念の激しさと、村民へ向ける優しさの一端を垣間見た気がした。(写真:両面宿儺坐像)


 続いて東博内「東洋館」へ。今年の1月2日にリニューアルオープンしたが、1月22日にはじめてここを訪れ展示内容の素晴らしさに驚いた。中国の仏像やインド・ガーラーの彫刻を初め、西域・西アジアやエジプトまで、アジア各地の古代美術品が多数展示されている。わけても一階にある、中国の石仏像が圧巻である。私は特に、女人を思わせる重文「十一面観音菩薩立像」(木造)が気に入り、再会の思いで又やって来た。カメラ使用可が有難い。(写真:十一面観音菩薩立像)

 

 最後に訪れたのは「東京都美術館」のエル・グレコ展。ここは毎月第3水曜日は65歳以上無料。それもあり大混雑をしていたが、絵画は概ね大きく、暫し待てば十分に鑑賞出来る。私は最短距離の正面から観た。肖像画の眼は鑑賞者たる私をじっと見ているかの印象を受ける。最後に「無原罪のお宿り」が用意されていて、正に仰ぎ見た。
 西洋の絵にいろいろな決まりごとがあるらしい。青いマントに白百合は受胎告知を表すとか・・・。西洋画初心者の私は、家人の高説を黙って拝聴するのみ。(写真:朝日新聞より「無原罪のお宿り」)

 コーヒーブレイクの後、私一人秋葉原ヨドバシに廻り「iPAD ミニ」を手に取っていろいろ試してみた。店員さんにも何点か訪ねてから帰宅した。


『約束』(名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯)を観る

2013年02月20日 | 医療

 「名張毒ぶどう酒事件」。52年前の1961年(昭和36年)に、三重県名張市の小さな村で起きたこの事件を、今となっては知らない人の方が多いのではないだろうか。村の公民館での懇親会の席上、ぶどう酒を飲んだ女性5名が死亡した事件。マスコミで大々的に報道されたこともあり、当時受験生だった私は良く覚えていて、大学生になってから、冤罪を訴える本を2冊読んだこともあった。時折報道されるドキュメンタリ番組を観たこともあったが、記憶から消えかかっていた。

 獄中から半世紀以上にわたり、無実を訴え続けている死刑囚がいる。奥西勝、86歳。奥西は一度は犯行を自供するが、逮捕後、一貫して「自白を強要された」と主張し、一審は無罪。しかし2審で死刑判決。1972年、最高裁で死刑が確定。戦後唯一、無罪からの逆転死刑判決で、判決後繰り返される再審請求とその棄却。

 冤罪の可能性が高いと信じる東海テレビは何度もドキュメンタリー番組を制作・報道してきたが、世に訴える力の弱さを感じた同社ニュース報道部長斎藤潤一が監督して、新たに制作したテレビドラマを劇場公開したのだ。奥西勝に仲代達矢、母タツノに樹木希林、若き日の奥西に山本太郎らの配役。

 映画は渋谷「ユーロスペース」で2月16日~24日まで上映(この映画シニア割引で1200円)。私達は2月17日(日)に出掛けた。朝10時40分の部でもかなり混んでいたが、昼からの部には入場待ちの列も出来ていて、この映画への関心が高いことが窺える。
 映画は、ドキュメンタリーのように、過去の映像が所どころ挿入されている。
 仲代と樹木の迫真の演技。獄中で過ごす死刑囚と、故郷を追われ、名古屋のとある村で一人生きる母との往復書簡を基にしての場面が胸に迫り来る。

 映画は7回にも渡る再審請求の経過をも詳しく追い、日本の司法制度の問題点にまで迫る。
 奥西逮捕後、彼の供述とは矛盾する、村人の証言内容がことごとく変化する。
 第5次再審請求では、彼が噛んで開けたとするぶどう酒の王冠(唯一の物証)に付いた歯型と、奥西の歯型が全く違うという、日本大学の3次元解析結果を提出するも、再審請求棄却。
 第7次再審請求では農薬ニッカリンTが登場。ぶどう酒に混入したとされるニッカリンは40年前に製造を中止。その農薬を見つけるのは困難を極めるが、インターネットを通じて、未開封の農薬を入手しての解析で、入れられた毒はニッカリンTでない事を証明。2005年4月、名古屋高裁は再審開始の決定。
 しかし2006年12月、名古屋高裁は「再審決定を棄却」。再び門は閉じられた。その理由は「死刑が予想される重大犯罪で嘘の自白をするとは考えられない」との自白重視の決定。憲法38
条の3「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない」はどこに行ったと思わず、心の中で叫んでしまった。

 獄中で既に50有余年、帝銀事件平沢死刑囚と同じように、司法界は彼の獄中死を待っているかの様だ。
 「無実の判決を」と言う請求では無い。「再度慎重な裁判を」との、50年来の切なる願い。それくらいの思いには応えるべく門戸を広げよ!裁判所と思う。
 彼は今、八王子医療刑務所の病床にいて、第7次再審請求・第2次特別抗告を最高裁に要請している。日本の官僚機構のなかで一番に改革されなければならないのは裁判所だとつくづく思う。微かに期待した民主党政権には、この点でも幻滅。傍観者から、いとせめて、一歩抜け出したい。