一昨日の28日(水)のお話会で「六義園の水の出入りと海老床地図」を話し終えた。参加者は21名。普段お話会に参加するメンバーは開催日が変更になつたから少なく、私の知り合いはクラスメイトも含め多かった。特にラジオ体操仲間は9人。ご近所の方は参加し易いのかも知れない。昨日の朝ラジオ体操時に会ったとき、「良かったよ」「面白かったわ」などと言われ、嬉しかった。
3月には2つの場で語らねばならず、準備も含めて忙しかった。その両方を無事終えて、肩の荷が下りホッとしている。
会終了後、話に登場して来た場所を中心に散策した。皆さんが特に気に入った場所が圓通寺と吉祥寺。圓通寺は見事な大木に咲く満開の桜に感嘆の声が聞こえた。吉祥寺の枝垂れは7分程咲き。寺の境内の広さに驚く人が多かった。今朝は満開に近かった。絵葉書にもなりそうな風景を撮影して来た。(下の写真)
このお話会の準備で、ご近所の江岸寺さんと圓通寺さんには大変にお世話になった。今日はその事を記しておきたい。
江岸寺さんの門前の橋らしき石組みが気になり、上がらせて頂いて、掲示されている地図を見せて頂いた。一枚は「海老床地図」でもう一枚が「東都駒込邊繪図」(嘉永7年の江戸切絵図)。両方を合せて読むと、柳沢下屋敷からの水が江岸寺前・圓通寺前を経て虎ヶ橋へと流れて行く様子が読み取れた。虎ヶ橋はこの流れが中山道と交差する地点に架けられた橋だった。
切絵図を撮影し終わると、お内儀が「その絵の描かかれているものを差し上げましょう」とのことで、母屋改築記念に作られた絵図布を有り難く頂いて来た。(写真は最下段に)
圓通寺さんにもお世話になった。小林さん宅横にあった石碑は境内に移されていた。その碑の前面の文字が読み取れたが、俳句の書かれた裏面は読み取れない部分が多々あった。そこでご住職にお尋ねに行くと、右の文を頂いた。”芭蕉翁反故塚”など今後調べたい。石碑前面に書かれた観音大士(観音菩薩)は本堂で拝ませて頂いた。文殊大士(文殊菩薩)は秘仏で拝観は叶わなかった。
その後、『鬼平犯科帳』の「盗賊婚礼」に圓通寺が登場していることを知った。平蔵の実母の実家の菩提寺が圓通寺。従兄の仙右衛門と墓参の帰路、料理屋「瓢箪屋」へ行く様子が描かれていた。岩槻街道の往還・駒込神明宮・駒込富士前などが登場するので、この話は皆さんに披露した。
江戸時代末期からあまり変化しないものが二つある。道路の骨格とお寺さんだ。お寺さんには宝物が沢山眠っていることを知った。ご近辺に親切なお寺さんが多いことも知った。