新聞広告で見た本の題名「古九谷の暗号」に惹かれた。特に”暗号”なる文字には直ぐ反応してしまう。文京区の図書館でいずれ購入してもらおうと、一応検索してみるといきなり本書にヒットした。今年1月29日に出版された本著は既に蔵書されていたのだ。数日前に借りてきて読み終えた。
著者は「はじめに」で次の様に書いている。
「表題の古九谷とは『伝世品古九谷平鉢』と呼ばれる焼物に限ります。その特徴は、独特の見事な色絵ですが、そのほとんどが肥前有田で焼かれた磁器素地の上に描かれています。加賀藩はこの素地を移入し、加賀で色絵は描かれました」と。
当時の加賀藩々藩主前田利常が古九谷を作らせたと考えられる。何故彼は古九谷を作らせたのか、その動機はなんだったのかと、まずは暗号ではなく、第1の謎が提出される。
一方、宣教師のローマへの報告には「日本で活発な教会は、長崎、大村、金沢」との記録があるが、現在の金沢にキリスト教の影は全く残っていない。これは一体どういうことか?第2の謎が出される。
それらの謎を解き明しつつ、著者は「『伝世品古九谷平鉢』には、暗号としてキリシタンマークと水の意匠が描かれている。暗号の送り手は藩主前田利常であり、受け手はキリシタンだった藩士」へと読者を誘っていく。
謎解きと暗号解読。推理小説を読む時に感じるワクワクした感覚で本書を読み進んでいった。
利常の父である藩祖利家は高山右近を加賀藩に招き、加賀藩ではキリスト教の布教は手厚く保護されていた。しかし、家康のバテレン追放令により右近はマニラに追放され、兄利長が亡くった後三代目藩主となった利常は幕府側として「夏の陣」に参戦し勝利を収めた。幕府の禁教令に忠実に従い、藩内では厳しい態度で臨んでいた。
しかし、藩内の事情は複雑だった。それまで加賀藩では、主だった藩士は右近の影響下、ほとんどすべてがキリシタンになってしまっていた。利常は表向き幕府の禁教令に従いながら、隠れ切支丹を容認していた。加賀藩全体が隠れキリシタンだった。
キリシタンであった藩士は「夏の陣」で3200個の首を討ち取った。これは3200人の殺人。キリスト教では禁じられた行為を犯してしまった者たち。その罪を、精霊による洗礼により清め、無事神の国に入れるようにするために、利常は洗礼盤としての『伝世品古九谷平鉢』を作り、キリシタンだった藩士312名に恩賞としてこれを送った。これが第1の謎解きの答えだった。 本著後半では、挿入絵で暗号が示されている。古九谷焼の中のキリシタンマークとして、十字・鳥と枝の交差・エルサレム十字などが挙げられている。実に多数の色絵に登場するキリシタンマーク。キリシタンでない私にもその暗号がキリシタンマークかも知れないと思え始めている。本書に登場した古九谷のひとつを右に示した。(写真:古九谷色絵鶴かるた文平鉢)。
下は、それを45度回転した部分絵だが果たして十字に見えるだろうか?
本書では色絵が焼かれた場所を「蓮台寺」(現在名蓮代寺)付近にあった飛び地と推理・特定していた。それが正しいかどうか関係者の検討が行われるかも知れないが、一民間人がここまで到達した執念は凄いなと思いながら本書を読み終えた。