妻はこの4月に古希を迎えていた。私の妹夫婦からは新潟旅行中にお祝いを頂き、既にリュックに化けている。妻の妹夫婦からは、古希のお祝いをしたいとの電話が来た。更に「義兄さんの古希にはお祝いをしなかったので、同時にお祝いしたい」との言葉が添えられた。形式的には私はオマケであるが、気に掛けていて呉れた事だけでも嬉しく、有難く出席させて貰うこととした。間もなく、北浦和西口11時10分集合とのメールが来た。ここは、50年以上前に、私が大学生時代幾度となく下車した懐かしい駅だ。
義理の妹夫婦とは11日に塩山で会っていた。義妹(マコちゃん)からは、その折りに約束のあった皮のブレザーが送られてきてもいた。 さて当日はどんなところに案内されるのか楽しみに待っていると、26日(日)にその日がやってきた。案内されたところは「雛の家 二木屋」。当時の埼玉大学は移転していて、今は北浦和公園となっている。その公園を突っ切り裏門を出ると閑静な住宅地が広がっていて、その一角に、建物は国登録の有形文化財の、日本料理店の「二木屋」はあった。
広々とした日本家屋の大広間や客室などにテーブル席や個室が設えられ、日本料理を楽しめるようになっている。程なく満席となった。
席からは庭とのぼり旗が見渡せ、室内にはお雛様が飾ってあった。そんな優雅な雰囲気での祝う会。妻は新潟旅行を挟んでその前後で体調不良だったが、この日の為に懸命に体調回復に努めて、その甲斐あって、比較的順調に懐石を楽しんでいた。 この建物内では、五節供にはお雛様が無料展示され、時折、庭に舞台を設え、薪能が演じられるという。建物や雛飾りだけでなく、料理にも自信があるのだろう、お品書き末には、料理長伊藤四朗の名前が書かれていた。箸付・小鉢・前菜・お椀と運ばれる来る料理は、見事な器に盛られ、供される料理は皆格別に美味しかった。特に小鉢の「こんにゃく酢味噌掛」は、二木屋創業者で料理研究家であった小林カツ子(小林カツ代ではない!)が百年前に残したレシピを再現したものだそうで、歯応えがあり、酢味噌とよく合っていた。
祝われる側なので、私は気楽に、口当たりの良いご酒を沢山頂いてしまった(反省!)。 妻は、ショルダーバックと、マコちゃん手作りのネックレスをプレゼントされご機嫌だった。胃がんが発見されたのが50代後半。全摘後も含め長い闘病が続いているが、よくぞここまで無事でいてくれた、それが3人の共通の思いだろう。あと6年すると、石野夫妻は満と数えの古希となり、そのとき私は満の傘寿で、妻が数えの喜寿。両方のお祝い会を同時開催しましょう、とまで決めてしまったが、そのときまで全員命存えたいものだ。
今日の一葉:ハンカチノ木:白く見えるのは苞葉:富士前公園で撮影