マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

共通入浴券を購入してしまった

2022年07月15日 | 銭湯

 6月2日に有効期限が令和5年6月30日までの「共通入浴券」(右写真)を購入した。これにはちょっとした理由(わけ)があった。

 5月も末のある朝、ラジオ体操終了後に“ひげじい”こと米山さんから「この入浴券、期限までに使いきれないから、代わりに使って」と共通入浴券1枚を有難く頂戴した。この券は都内のほぼ全ての銭湯で利用できる入浴券だった。早速ご近所の銭湯へ行こうとして、ちょっと待てよと思った。文京区の銭湯へなら「シニア入浴カード」を持っているので100円で入浴できる。文京区以外の銭湯を利用するならば現在は480円が必要なはず。それならば他区の銭湯でこの入浴券を使用したほうがより有効な利用になるはずだと思った。ならば荒川区小台手前にある「梅の湯」へ行こうと、5月28日の午後「梅の湯」に出掛けていった。






 荒川土手サイクリングに出掛ける度に、「旧小台通り」を通る。その通り沿いに小奇麗な銭湯を見かけた。梅の湯という名の風呂屋さんで、ネットで高評価の銭湯。密かに何時かは行こうと思っていたが、コロナ禍の下なかなかチャンスが巡ってこなかった。しかし、今年の5月、頃は良しと見て“ひげじい”から頂いた入浴券を持って出掛けたのだ。その居心地の良さに惚れた。これは週に1回は通おうと思い、それならばと「共通入浴券」を購入するに至ったのだ。
 昨年までは10枚綴りの入浴券は4,400円で購入出来たが、今年から4,500円に値上げされた。現在480円の入浴料金を450円で入浴できるのだからそれでもお得だ。(都内の銭湯料金は500円に値上げされるらしい)
 初めての入浴時には往きは自宅から45分ほど歩いて行った。
 2階が銭湯になっていて、風呂は、写真の奥からサウナ・水風呂・高濃度水素風呂・普通湯・ジャグジー・薬湯と続く。屋外に出ると露天に寝湯、と多種類の入浴設備が用意されている。サウナは1度に3名までだが無料。壁絵などはないが清潔感溢れる銭湯が気にいった。
 創業は昭和26年という老舗だが、2016年9月にリニューアルし、建物は綺麗で新しい施設。目玉は「高濃度水素風呂」お湯に高濃度の水素が溶け込ませてあり、アンチエイジングや血糖値抑制など、美容と健康に良いとのこと。温度設定が40°なのでついつい長湯してしまう。ネットには1ヶ月間の薬湯の様子が書き籠れていることも嬉しい。
 帰りは都バス利用で駒込病院まで戻ってきた。用事がなければ毎週水曜日に出掛け、往きか帰りのどちらか片道はバスを利用している。ここは朝湯もやっていることを知って今度は朝湯へと思っていたら・・・。
 実は北区の「殿上湯」も朝湯(8時~12時)を再開したことを知り、共通入浴券を利用してこちらへも行ってみた。この銭湯の特徴は地下135mから汲み上げる井戸水と備長炭が使用されているので体が芯から温まる感じがする。
6月10日(日)は“どくだみ湯”と知り、10日朝出掛けた。寝湯に浸かり長時間過ごした。多分10年振りの入浴だったと思う。

   


『蓬莱町だより』と草津温泉場

2021年09月17日 | 銭湯

 草津亭を探そうと駒込神明町を何度か歩いのだが、最終的に辿り着いたのは駒込蓬莱町だった。駒込蓬莱町は1966年の住居表示変更後は向丘2丁目となった。目指す場所に行く前に区立図書館のHPに「駒込蓬莱町」で検索すると『蓬莱町だより』がヒットし、借りてきて読んだ。
 この冊子は文京区の町会のひとつ「蓬莱町会」が発行している『蓬莱町だより』を町名創始百周年記念事業の一環として一冊の小冊子にまとめたものだった。年に2回の発行で、創刊号から第85号(平成26年7月)までが載っていた。町会各部の活動報告のみならず、蓬莱町を通った市電や肴町あたりの様子など蓬莱町界隈の様々が書かれていて、読んでいて興味が尽きなかった。19号では「温泉まわり」が書かれ、第22号には「六番地の草津温泉のこと」が登場していた。

 そこには前回のブログに書いた事柄以外で以下のようなことも書かれていた。
 「現在は向丘2丁目16番地となっている角地から北方向にかけて広大な地域に、六番地の草津湯があった。藤谷彦一郎の経営する銭湯というより市内の温泉場で、同時に宿泊も出来た旅館をも兼ねた温泉旅館があった。現在改築中の浅草寺裏の草津亭という料亭も藤谷という姪の人が経営していたから同系列であったということは間違いないだろう」と。

 又混浴についても記述がある。「明治ご一新以来、東京府における湯屋の取り締まりをみても、何度も混浴禁止令が出ている。男女を隔日に分けて入浴させる様にしろとか、湯槽の中央に仕切り版を設けるなどとお触れがでている」
 さて、そんな知識を仕入れ、『ヒポクラテス』に登場する「郁文館の前、駒込蓬莱町6番地の記述を頼り出掛けていった。その位置は私が勤務していた向丘高校の、本郷通りを挟んで斜め前辺り。本郷通りを日医大に向かった左折する一歩手前にもう一本左折する道がある。その道の正面が郁文館だ。(上の写真で、赤で囲ったところが郁文館。水色囲いが蓬莱町6番地)
 最初に訪れた時は郁文館の裏手に回った。そこには「夏目漱石旧居跡」で、猫の像が2匹鎮座していた。その横にあった、蓬莱町の地図には郁文館と六番地が書かれていた。この地図を頼りに郁文館の前辺りを探索したが、明治の頃の建物の痕跡は殆ど残っていなかったが、古びた門構の中を除くと右と下の写真の様な景色が見られた。まあこの辺に草津温泉場はあったのだろうと一応の満足をして帰って来たのだった。





三修会写真展『四季燦々』から「塩湯」へ

2019年07月17日 | 銭湯

 14日(日)、麻布十番から四谷に回った。南北線の2番出口を背にして三栄通りを西に進むと直ぐ左側に日本写真会館はある。その5階の会場で受付簿に住所・氏名を記入し始めると、受付の女性の方から「何方のお知り合いですか」と問われ、「宮本さんです」と答えると、傍らにいた男性の方と目があった。宮本さんご本人だった。宮本さんは「妻の中学時代のクラスメイトです」と私を紹介してくれた。
 この日午後の3時過ぎ、会場に他の見学者はいなかった。それもあり、彼は展示されている写真(多分40枚ほど)の殆ど全てを、付きっ切りで説明してくれた。写真には簡単なタイトルと撮影場所と撮影者名が添えられていて、山や湖や花の写真が多かった。山の写真の前では山談義。どれも見事な作品だった。
 数年前の見学時には、宮本さんは八ヶ岳「大同心」を展示していた。それを思い出して、話題にした。厳冬期の八ヶ岳に入山し、殆どのものが凍ってしまった状態での撮影。そのときの苦心談をお聞きした。手袋3枚をはめての撮影だったとか。今では山に登るのが大変になりもっぱら花が撮影の中心です、と語られたが、燕岳山頂付近で撮影したコマクサは華麗で美しかった。
 どんなカメラで撮影されるのかお聞きすると、ニコンカメラでの手動撮影とのこと。中学を卒業後すぐ日本光学で働いていましたと、私が語ると、ニコンに勤務した方が撮影した写真を詳しく説明してくれた。厚くお礼を述べて会場を後にした。

 そこから「塩湯」へ寄った。建物には「創業100年」と書かれた看板が張られていた。大正5(1916)年からの開業とは大したもんだ。




 4時過ぎの入湯だったが、風呂場には何と15人ほどの人で混んでいた。カランは僅かしか空いていなかった。この時間帯に、都心の銭湯にこんなにも多くの人が来ていることが不思議だったが、この雰囲気は悪くない。薬湯は「紫根」とかで、身体の芯から温まると効能が書かれていた。雨の一日で大分冷え込んでいたが、確かに家に着くまで寒さはあまり感じなかった。

 今日の一葉:数日前不忍池で。蓮が咲き始めていた。
 


「一富士二鷹三茄子」が銭湯絵に現れた

2019年01月10日 | 銭湯

 昨年暮れの12月26日(水)に近所の銭湯「ふくの湯」へ久し振りにでかけた。銭湯絵が変わっていることに気が付き、よく見ると、左写真の様に中央の富士山を挟んで、左側に茄子、右側に鷹が描かれている。特に、この辺の住民にはお馴染みの、古川柳「一富士二鷹三茄子」を絵で表現したものだった。
 脱衣場の壁には朝日新聞の記事が貼ってあり、”銭湯絵師3
人実演 千駄木でのイベントに200人”と題し次の様に書かれていた
 「銭湯の壁に富士山などのペンキ絵を描く”銭湯絵師”が制作過程を披露するイベントが11月28日、文京区のふくの湯であった。徐々に輪郭を帯び、浮かび上がる迫力の絵に観客200人が酔いしれた。」とあった。(29日の記事)
 絵師3人は、縦1.3メートル、横3.5メートルの壁面2枚を手分けして、筆やハケなどを使用して2時間ほどで完成させたそうな。
 以前(2011/12/19)のブログにも書いたが、「ふくの湯」がリニュアルオープンする際に私はその制作実演を見ていた。絵師3人とは丸山清人さん・中島盛夫さん・勝海麻衣さんの3人で、丸山さんは中島さんの、中島さんは勝海さんの師匠に当たる。(写真:朝日新聞より。当日の中島さん)

 
 「ふくの湯」は一週間で男女の入浴場所が交代し、男湯・女湯の区別はない。そこで玄関を入って左側を左湯、右側を右湯と呼ぶことにすれば、左湯の絵には「丸山・勝海」のサインがある。右湯の絵はまだ見ていないが、左湯からは右湯の上部が少し見えて、赤富士が描かれているようだ。「中島・勝海」とサインされていると思う。3人が協力・分業して2枚の銭湯絵を完成させたのだ。
 その中島さん、絵師になって53年だが、この日初めてタカとナスを描いたという。「一富士二鷹三茄子」これ全部駒込に揃っている、が駒込の自慢。駒込地区の銭湯に相応しい銭湯絵が完成した。毎日入浴可能で、土・日・祝日には朝湯営業もしている「ふくの湯」(湯は武蔵野の天然井水)をもっと利用したい。

 今日の一葉:富士山のシルエット(昨日撮影)
 


 


さよなら亀の湯、おはよう燕湯

2018年07月13日 | 銭湯
 また一つ、銭湯の灯が消えていった。駒込駅から霜降銀座へと下る途中の「亀の湯」は6月30日をもって廃業した。ここは私が30歳代の頃よく通った北区の銭湯。文京区民となって以来、長らく御無沙汰をしていた。
 6月27日のラジオ体操時に”ひげじい”から亀の湯が6月30日をもって廃業すると聞いて焦った。廃業前に、懐かしいこの銭湯に一度行っておきたかったのだが、29日からは帯広、27日と28日は夜の勤務が入っていた。行かれる日は無いかと諦めかけたが、建物撮影に出掛けると、開店時間が15時~と分かり、28日に15時に入浴することが出来た。(写真:本郷通り沿いの亀の湯)


 結婚後直ぐに住んだのが北区西ヶ原。2年で駒込へ引っ越して来た。どちらも自宅にお風呂はあったが、開放的で大きい風呂が好きな私は、直ぐに銭湯を捜し、駒込では駅付近の「亀の湯」に。2・3歳の息子を連れて行ったこともあった。風呂内部の細かいことは覚えてはいなかった。ただ清潔で気持ちのよいお風呂屋さんだったことは覚えていた。”ひげじい”からは「壁絵は白樺だよ」と言われていたが、行ってみるとその通り。風景画でないのが残念なところだが・・・。
 そこ何が作られるのだろう?
文京区の100円入浴券のみを利用し、亀の湯をお見限りしてしまっていたことを後悔しながら、最後の入浴を終えた。清潔感は昔のままだった。

 その少し前に、御徒町駅付近に朝6時から営業の「燕湯」があることを知った。その道では有名な銭湯らしかったが私は知らなかった。
 ラジオ体操終了後に出掛ければ簡単に行けるはずと、5月下旬のある日、体操終了後、「上野松坂屋」行の都バスで御徒町へ。下車後徒歩5分ほどで銭湯は直ぐに見つかった。手ぬぐいを忘れていたが、ここは50円で借りることが出来た。湯は46度と極めて熱い岩風呂。最近、熱い湯には慣れてきていた。皆ゆっくりゆっくりと湯に浸る。周りをみると「中で身体をこするべからず」などマナーに関する断り書きが目立つ。お互いが気持ちよく入湯する心得と思い、私は気にはならない。


 ひと風呂浴びた後、建物を見ると「登録有形文化財」とあった。この日は帰宅を急ぎ、落ち着いて入浴できなかったので6月3日(日)は宮下公園での体操をサボり、6時34分の都バス利用で銭湯へ。7時前には到着した。朝風呂が可能な銭湯は都内では珍しい。楽しみが一つ増えた。