マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

六阿弥陀を歩く(その1)

2019年05月28日 | 東京散歩

 10連休中の5月3日(金・祝)に六阿弥陀巡りに出掛けたのだが2つの失敗があり、四番までで途中挫折してしまった。今日のブログはその失敗談となるが・・・。 
 「六阿弥陀」を知ったのは『逢対』が先だったか、谷中図書館の前の道筋にある”ろくあみだみち”と書かれた石碑が先だったのかは、今は思い出せないが、いずれ廻ろうとネットで調べたりしていた。









 その六阿弥陀とは
一番 豊島 西福寺
二番 足立 恵明寺
三番   西ヶ原 無量寺
四番 田端 与楽寺
五番 下谷 常楽院
六番 亀戸 常光寺
と知った。(右は六阿弥陀寺の大凡の位置)












 出発前に認識し、考えていたことは、
 五番の常楽寺は、現在のABAB
上野店の地に建てられていたが、昭和20年の空襲で焼失し、既に調布市へ移転されていた。ただ、参詣の便を図って縁のある上野池之端の東天紅の敷地の裏に別院を設け、模刻の阿弥陀さまをお祀りしていることを知り、ABAB上野店と東天紅を訪れることと決めていた。
 二番の恵明寺は現在荒川に掛かる江北橋の先の江北2丁目に位置する。一番と二番が離れ過ぎている。江戸時代、荒川は無いにしても、隅田川は渡らなければ回れないことが不思議だった。
 一番の西福寺は豊島とあるが、現在の王子はかつては「豊島郡」にあったことから、西福寺の最寄駅はJR王子駅と判断し、5月3日(以前のブログに4日と書いてしまったが)9時半王子駅を出発したのだった。 

 失敗の1番目は西福寺を通り過ぎてしまった事。知らない土地・道を歩くときは必ず地図のコピーを参考にし、スマホには頼らないことにしている。この点は自己責任で、そこが面白いのだが、地図に気を取られ過ぎて西福寺を通り過ぎてしまった。それもかなり進んでから気が付いた。暑い日だった。引き返すよりも前進し、一番は後日に回すこととして先を急いだ。
 豊島橋で隅田川を渡り、江北橋で荒川を越えた。恵明寺は更にその先にあった。ここまで1時間。門は閉じられていて、門前の掲示板を読むと「この六阿弥陀如来は、江戸時代、阿弥陀の二番目の札所として、古くは小台の延命寺にあったものを明治九年の合併の際移してきたものである」と書かれていた。2番目の失敗に気が付いた瞬間だった。江戸時代、二番目のお寺さんは、沼田の小台にあった延命寺だった。

 三番の無量寺は旧古河庭園裏にあり、何度かお参りした寺だが、そこまでの道は遠かった。2時間も掛ってしまった。暑い日差しに照らされた身にここ真言宗豊山派の寺の緑陰が嬉しかった。(写真:下は無量寺山門)




 昼食を駒込駅付近のラーメン屋で済ませ、四番の真言宗の與楽寺を目指した。ここは都高退教の「東京歴史散歩」などでも訪れたお寺さんで、四番手前からははっきり「六阿弥陀道」と分かる道を進んだ。谷中図書館の前の道だ。ここで14時を過ぎていた。歩数計を見ると28000歩を記録していた。(写真:下は與楽寺山門)




 

 図書館の前まで来た。まだ上野から亀戸までの道が、相当な距離が残されていた。ここで谷中銀座の美味しい生ビールを思い浮かべてしまった。今日の六阿弥陀道行を断念した瞬間で、横道に逸れてしまったのでありました。これは3番目の失敗と言えるかもしれない。
 計画が杜撰だったと反省している。仕切り直しだ。
再度歩く積りだが、まだその日は巡って来ない。
 言い訳を。『逢対』の著者も六阿弥陀では迷ったらしいヵ所があった。単行本には六阿弥陀について「・・・通常は駒込の西福寺から始めて足立・・・」とあったのが、文庫本では「・・・通常は豊島の西福寺から始めて沼田、・・・」と書き改められていた。

 


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