京都童心の会

ほっこりあそぼ 京都洛西の俳句の会
代表 金澤 ひろあき
俳句 冠句 自由律 詩 エッセイなど同好の人たちと交流

舞姫現代語訳15

2017-02-08 12:22:34 | 日記
『舞姫』現代語訳    第十五段落          金澤ひろあき
【要旨】
 物語の後半 太田とエリスの生活が、現実にさらされる。
【現代語訳】
 明治21年の冬がやってきた。表通りの人道では凍結防止の砂をこそまいているし、除雪のスキをふるって、クロステル街のあたりは凹凸で平らかでないところが見えるけれども、表ばかりは一面に凍りついて、朝に戸をあけて見れば、飢え凍えた雀が落ちて死んでいるのも哀れである。
 部屋をあたため、かまどに火をたきつけても、壁の石を通し、衣服の綿を通してくる北ヨーロッパの寒さは、とてもたえがたいものだ。エリスは2、3日前の夜、舞台で倒れたといって、人に助けられて帰って来たが、それから具合がわるいといって休み、ものを食べるごとに吐くのを、つわりというものであろうかと初めて気づいたのは、エリスの母であった。ああ、そうでなくても不安定なのは、わが将来なのに、もしこの妊娠が本当のことであったならば、どうすればよいのだろうか。
 今朝は、日曜であるので、家にいるが、心は楽しくない。エリスはベッドに寝ているほど具合がわるいわけではないけれど、小さい鉄のストーブの近くに椅子を寄せて、言葉少ない。この時、戸口で人の声がして、ほどなく台所にいたエリスの母は、郵便の手紙を持ってきて、私に渡した。見ると見覚えのある相沢の筆跡であるのに、郵便切手はプロシアのもので、消印にはベルリンとある。不思議に思いつつ開いて見ると、「急なことであらかじめ知らせる方法がなかったが、昨夜ここベルリンにお着きになった天方(あまがた)大臣につきしたがって、私もやってきている。伯爵がおまえを見たいとおっしゃっているから早く来い。おまえが名誉を回復するのもこの機会だぞ。心ばかりがあせって用事だけ言っておく。」とある。読み終わって、ぼうぜんとしている私の顔を見て、エリスが言う、「故郷からの便りですか。まさか悪い便りではないでしょうね。」 エリスは例の新聞社の報酬に関する手紙かと思ったのだろうか。
「いや、気にするな。あなたも名前を知っている相沢が、大臣とともにベルリンに来て私を呼んでいるのだ。急いで来いというから、今から行こうと思う」
【ポイント】
1、初めて年号が出る。日本の元号(明治)
  ヨーロッパにいながら、なぜ西暦(1888年)を使わずに、元号を使うのか。
  ヨーロッパにいるが、日本の現実がせまってくることを、元号を使ってあらわしている。
2、相沢と天方伯爵の登場 日本の政治社会を持ち込む。
  太田とエリスを引き裂く方向へ働く。

 ここから物語は後半に入る。
 前半は太田が日本を離れ、ベルリン生活に向かう方向でストーリーが展開。後半は逆に太田がベルリン生活を離れ、日本復帰に向かう方向でストーリーが展開する。

3、エリスの妊娠
  太田の感想「将来の不安を増す」と考える。本当の愛情だろうか? こころの弱さ
4、相沢の手紙
  原文「とみのことにて」から「言ひやる」まで 日本帰国への方向を示す。
  実力者天方伯爵に会い、名誉を回復せよ。

舞姫現代語訳14

2017-02-08 08:15:44 | 日記
舞姫』現代語訳 第十四段落 金澤 ひろあき
【要旨】
 太田の新しい見識
【現代語訳】
 私の学問はだめになってしまった。エリスの屋根裏部屋の明かりのランプがかすかに燃えて、エリスが劇場より帰り、椅子にすわって縫い物などをするそばの机で、私は新聞の原稿を書いた。昔、大学の法学部で、法令の枯れ葉のような現実を反映していないものをノートに書きとめて集めていたのとは違い、今は現実で生き生きと動いている政界の動き、文学、美術にかかわる新現象の批評などを、あれやこれやと結びつけて、力の及ぶ限り、文芸評論家のビヨルネよりもむしろ自由主義者で詩人のハイネの説を学んで思想を作り、さまざまの文章を書いた中で、引き続いてドイツ皇帝ウイルヘルム一世の死とその後を継いだフレデリック三世の連続の死があり、新しい皇帝ウイルヘルム二世の即位、ウイルヘルム二世と対立した首相ビスマルクの進退問題などのことについては、ことさらに詳しい報告を行った。そうであるので、このころよりは思っていた以上に忙しく、多くもない持っている本を開き、大学の学問をたずねることも難しく、大学に籍はあったけれども、授業料を納めることも難しかったので、たった一つだけにしていた受講科目でさえ行って聴く機会は少なくなった。
 私の学問はだめになってしまった。しかし私は大学の学問とは別に一種の見識(判断力)を伸ばした。それは何かというと、およそジャーナリズム(新聞などの報道)が発達していることは、ヨーロッパ諸国の中でもドイツが一番であった。数百種類の新聞、雑誌に散見する議論には、とてもレベルが高いものが多いのを、私は新聞社の通信員となった日より、かつて大学に多く通った時に、養った読解力で、新聞雑誌を読んではまた読み、写してはまた写していくうちに、今までは大学の勉強の部門のたった一筋しか無かった知識は、自然に総合的になって、同じ日本人留学生などの大半の者が、夢にも知らぬ実力を持つようになった。日本人留学生の仲間達の中には、ドイツ語新聞の社説でさえ読むことができない者もいたのに。

【ポイント】
a「私の学問はだめになってしまった。」(我が学問は荒(すさ)みぬ)の繰り返し。
大学の学問が続けられない無念。
  しかし
b 新しい実力
ドイツの現実を深く理解・・ジャーナリズム(民間学)の重要性に気付く。自分の実力に誇り。
日本人留学生の力の無さを馬鹿にする。

・ドイツの転換点 ドイツ統一を果たしたドイツ皇帝ウイルヘルム一世が崩御。その息子フレデリック三世が即位したが、すぐに死去。引き続き孫のウイルヘルム二世が即位した。ウイルヘルム一世を助けドイツ統一を果たした首相ビスマルクは、ウイルヘルム二世と政策上対立し辞職した。そのあたりの事情をここに記している。現実の政治・社会の動向をしっかり理解していたことを示す。
・太田が思想上のよりどころとしたハイネは自由主義者の詩人。ヨーロッパの自由主義を評価していたことがうかがえる。おそらく鷗外も日本の近代化は、自由主義路線で進めたかったのであろう。