玲人からの連絡は何度も受け取っていた。
有も相庭もできることなら何もかも放り出して駆け付けたかった。
目の前に映し出される酷い光景に歯軋りしながら…それでも役目を放棄することはできなかった。
尻に火のつきそうな状況の中で何とか気持ちを抑え、御使者と呼ばれる者の務めを果たすことに専念していた。
ふたりは今…裁きの一族の宗主の決断を仰いでいるところだった。
この地域で大きな動きがある…と近しい家門の予知能力者が伝えてきたことを受けて、宗主自らが有たちを訪れていた。
何としても人間の殲滅は阻止せねばならない。
が…いかに最強の能力者軍団を結成して戦ったとしても…創造主を相手に勝つなど有り得ぬこと。
ならば話し合いの上取引するしかない。
それには…気を納得させるだけのものがなくては話にもならない…。
大戦以来…全国の能力者の家門の代表として裁定人が決断を下すのは初めてのことで…さすがの宗主も即断を避けた。
「紫苑は…皆の楯になるつもりのようだ…。
すべての責めを紫苑に負わせてそれで済む問題ではあるまい…。
決断すべき時が来た…。
相庭…先程の方策を決定として全国に通達せよ…。
この命令の遂行にはすべての人間の命がかかっている。
それ故…何人たりともこれに違反することは許されない…。
なぜ能力者だけが…などど不服を言う者は…人として恥じるがいい。
先ず能力者が…と考えよ…と。
木之内…行こう…。 奴等と話をつけねばならぬ…。
紫苑…間に合えばいいが…。 」
宗主に促されて有はようやくその場を離れ…今まさに死地に立たされている息子のもとへと向かった。
紫苑の命の灯火が消えてしまわぬように…と願いながら…。
そこに地面でもあるならば沈み込んでいきそうな自分の身体を持て余しながら…それでも西沢は…呼吸することを止めなかった。
時折からかうようにエナジーたちが軽口を叩いたりするが聞く気にもなれない。
最早…何を言われても問われても答える力もない…。
だが意識だけは研ぎ澄まし…しっかりと自分を見据えていた。
紫苑…と何処からか自分を呼ぶ声が聞こえた。空耳か…と思った。
とうとう…その時が来たのか…とも…。
気たちが騒然となった。
破れないはずの結界を抜けてまたしても人間が入り込んだ。
紫苑…! 声はさらに大きく響いた。
滝川が駆け寄ってくる気配がした。
馬鹿な…と西沢は思った。
来るんじゃない…恭介…逃げろ…!
おまえが殺されたら…僕がここで死ぬ意味がなくなる…!
早く…逃げてくれ…!
だが滝川は西沢の想いに反して倒れている西沢の身体を抱き起こした。
まだ息があることを確かめると…そのまま…姿の見えない気たちに向かって大声で叫んだ。
「お前らは間違ってる!
憂さ晴らしや気晴らしで人を殺すなんざ…人間の中でも最低な奴等がやることだ。
人間を非難しながらお前らのやっていることは人間以下の行為じゃねえか!
そりゃあ人間がしてきたことは褒められたことじゃない。
直接とは言えなくても恩恵を受けているからには、地球をぶっ壊した罪が紫苑や俺たちにないとは言わない。
言わないが…お前らのやってることをよく考えてみろ!
壊し殺して大きな利益や地位や名声を得ている奴等の大罪を以って、いきなり人間全部を消し去ろうって考えは…指導者が戦争を仕掛けたからといって、眼下に生きて生活している人間の命を顧みずに原爆ぶち落とすのとどう違うって言うんだ?
生きるために人間は精一杯抵抗する。 当然だろう?
命はひとつしかねぇんだ。 その抵抗を助けて何が悪い…。
お前らだって…滅びたくないから抵抗しているんじゃないか?
こいつは優し過ぎて人のことを放っておけないんだ。
そんなことでもなければ…好きな絵を描くことだけを幸せとして生きているような男なのに…どうしてここまで痛めつける必要があるんだ?
お前らのしていることは人間の愚行の模倣に過ぎない。
言っていることも矛盾だらけ…これが人間を愚かと非難できた行為か? 」
滝川がそう問いかけると気たちが動揺し始めた。
ざわざわと辺りの空気が揺らめいた。
突然…西沢が重い腕を上げて滝川の身体を押した。
「逃げろ…恭介…。 僕…は…もう…もたない…。
僕…の…いの…ちが…あるうち…に…。 は…や…く…。 」
悲しげな眼で滝川を見つめる紫苑に滝川は優しく微笑んだ。
「紫苑…おまえはいつも鳥籠の中でひとりぼっちだった…。
最期ぐらいは…僕が一緒に逝ってやるよ…。 」
そうして滝川はすでに限界と思われる西沢の身体をしっかりと抱きかかえた。
ひとりでは…逝かせない…。 紫苑…一緒に脱け出そうぜ…あの鳥籠から…。
死ねるか!
西沢は胸の内で叫んだ。同時に西沢の中で何かが湧き起こった。
おまえを道連れになんぞできるか!
今にも消えそうになっていた命の火が再び勢いを取り戻した。
恭介…僕は死なん…死なんから…おまえも死ぬな…。
必ず…ここから…逃がしてやる…。
かっと眼を見開き…半身を起こすと西沢はあの四歳の時のように声をあげた。
あの時とは違って叫び声というよりは唸り声のようだったが…。
気たちは仰天した。
この男は…いったい何を活力にして生きているのか…?
西沢を中心として波のように空気が振動を始めた。
気たちが狂ったように驚き騒ぎ蠢くのを滝川は感じた。
勿論…ここに在る気は太極という小宇宙の中に混在している創造する気のほんのひと欠け…ありとあらゆるものの中に存在する計り知れないほど大きな気の片鱗に過ぎない。
が…おそらくこの欠片が受けた衝撃は全体に波及していくだろう。
自分たちが創造した物でありながら予想もつかない動きをする人間というものの不可思議…困惑する気の表情が想像できる…。
振動は徐々に激しさを増した。
気たちの作ったこの白い世界に少しずつ少しずつ罅が入り始めた。
ピシッピシッと音をたてて罅は次第に拡大していく。
わけの分からない出来事に慌てふためく気たちの意味を成さない声が白い世界の中に反響する。
やがてガラスの破片のようにあたりに欠片が雨霰と降り注ぎ始めた。
滝川は反射的に紫苑に覆い被さり破片の嵐から紫苑の身体を護った。
白い世界は大音響とともに崩れ去った。
轟音を響かせてあの強靭な結界が弾け飛んだ。
その結界の址から見えない気が四方八方に飛び出した。
恐るべき怒りの声をあげながら…。
轟々と不気味な音を立てながら空を旋回するエナジーの気配…。
旋回するというよりはトグロを巻きながら世界を覆い尽くしていると言った方が正解かもしれない。
それは雲を呼び…雷鳴が響き渡る。
校舎前の枯れかけた芝生の上で滝川は眼を覚ました…紫苑を庇ったままの姿で…。
玲人や憑依されて気を失っているノエルを抱えた亮が駆け寄ってきた。
「紫苑…紫苑…。 」
滝川は腕の中の西沢に声をかけた。西沢にはまだ意識があった。
力なく滝川に眼を向けるだけではあったが、息をしていることに一応安堵した。
「間に合ったな…。 」
突然…背後から誰かが近付いてきた。
有と同じ年代くらいの…西沢に何処となく似ている男が西沢の脇の滝川と向かい合う位置に片膝を付いて覗き込んだ。
「紫苑…よくやった…血族として誇りに思うぞ…。 」
男は掌を西沢の心臓のところに当て鋭い光を放った。
大きく息をして西沢は安心したように眼を閉じた。
周りは慌てた…。
その様子を見て男は微笑んだ。
「大丈夫…眠っただけだ…。
私の力ではどれほどのこともしてやれないが…これでしばらくは持つだろう…。 後はきみたちの努力と紫苑の運次第…。 」
後についてきた有が男に向かって恭しく頭を下げた。
ひどい音を立てながら気の旋回は続いている。
治まらない怒りを何処にぶつけようかと思案しているかのように…。
西沢に似た男はノエルを抱いた亮の前に進み出て、まだ意識のないままのノエルに向かって語りかけた。
「大いなる太極よ…。 森羅万象の創造主よ…。
どうか私の声に耳を傾けて頂きたい…。
私は裁きの一族の宗主…。 家門を成す能力者の代表として参上した。 」
男の声を聞くとノエルはうっすらと眼を覚ました。
亮は陽だまりの中の太極の気配がノエルからまた漂い始めているのを感じていた。
ゆっくりと亮の腕から離れてその男と向き合った。
男は穏やかに微笑んだ。
「今…我々は同族である紫苑をお返し頂いた。
あなたの包含する五行の気から紫苑の受けた仕打ちをどうこうは言うまい…。
ただ…紫苑の受難が人間の犯した罪への責任を問われた故であるならば…我々としては紫苑ひとりにすべての罪を背負わせるわけにはいかない…。
我々族姓を成す国内の能力者は、これより先…年に一度の日を定めて、気より与えられたエナジーのうち体調に支障なき余剰分を返上することとする。
紫苑ひとりのエナジーを奪い取るよりは、継続的でもあり、はるかに量において勝ると思うが…如何。
無論…我々にでき得る限り、あなた方の望む啓蒙活動にも力を入れる。
普通の人々にまで約定が及ばないのは申し訳ないが…これは我々が能力者であることを口外できないという特殊な事情によるもので…その点はご容赦願いたい。
その約定を以って…我々だけでも…気の恩に報いるつもりでいる。
太極よ…あなたの力であなたの中の怒れる気を鎮めて頂けないだろうか…? 」
ノエルの中の太極は滝川の腕の中の眠れる西沢に慈愛の眼差しを向けた。
そして再び男の方を向いた。
「機会を与えよう…あの男の…至誠に免じて…。
命に向き合う真摯な姿勢には我々にも感じ入るところがある…。
その約定が守られている間は…沈黙し…観察を続ける…。
ただし…何者かが著しく気のバランスを崩すような行為を行えば…この約定は無効とする…。 」
太極の答えにエナジーたちは怒りを露わにした。
まだ人間を信用するつもりか…と。
非難の声がさらなる轟音となってあたりに鳴り響いた。
「我が子よ…。
人間ひとりひとりの罪状までは確認できないと言いながら…この男ひとりに責めを負わせたのは過ちである…。
偉大な気でさえも過ちを犯すのであれば…卑小な人間が過ちを犯すのは避けられぬ…。
深く反省の意を表して約定を以って償わんとするならば…しばし寛大な心を以ってこれを受くるに…何の障りが生じようや?
万が一…約定が破られた時には言いわけなど聞かずと一息に滅ぼしてしまうだけのことだ…。
もし今この瞬間に、これまでの罪を以って全人類を滅ぼせというのならば…気の犯した過ちを以って我が身を罰し私自身が滅びることとしよう。
されば我が子よ…。
おまえたちもともに滅びることになる…。 」
絶望にも似た叫び声が天地に轟いた。
太極に自ら滅亡の道を選ぶと宣言されて反論できるものはなかった。
諦めがいいのか…切り替えが早いのか…天を覆っていた渦巻くエナジーは次第に怒気を和らげ…その気配を消していった。
「裁定人の宗主よ…何れまた…おまえの定めたその日に…。
なんの…知らせは無用…おまえが心に太極を思えば…その日一斉に気を回収させて貰うだけのこと…。 」
太極は再び西沢を穏やかに見つめるとノエルの中からふっと気配を消した。
崩れ落ちるノエルの身体を男が支えた。
亮が慌てて男からノエルを受け取った。
「滝川…恭介…。 紫苑を頼む…。 早急に手当てをしてやってくれ…。
紫苑の戦いは終わったが…これから先はおまえたちの戦いだ…。
何があっても…この英雄を死なせるなよ…。
手を尽くし知恵を絞って回復させてみせよ…おまえが治療師としての自信を取り戻すためにも…。 」
男に言われて滝川は驚愕した。初めて会った男に自分の中の闇を見透かされた。
男はにやりと笑うと有を伴って悠々とその場を立ち去った。
後を見送った滝川たちも人目につく前に…と慌しくその場を後にした。
その校舎では何事も無かったかのように新しい一日が始まった。
しかし…さすがに今日だけは…亮もノエルも…姿を見せなかった…。
次回へ
有も相庭もできることなら何もかも放り出して駆け付けたかった。
目の前に映し出される酷い光景に歯軋りしながら…それでも役目を放棄することはできなかった。
尻に火のつきそうな状況の中で何とか気持ちを抑え、御使者と呼ばれる者の務めを果たすことに専念していた。
ふたりは今…裁きの一族の宗主の決断を仰いでいるところだった。
この地域で大きな動きがある…と近しい家門の予知能力者が伝えてきたことを受けて、宗主自らが有たちを訪れていた。
何としても人間の殲滅は阻止せねばならない。
が…いかに最強の能力者軍団を結成して戦ったとしても…創造主を相手に勝つなど有り得ぬこと。
ならば話し合いの上取引するしかない。
それには…気を納得させるだけのものがなくては話にもならない…。
大戦以来…全国の能力者の家門の代表として裁定人が決断を下すのは初めてのことで…さすがの宗主も即断を避けた。
「紫苑は…皆の楯になるつもりのようだ…。
すべての責めを紫苑に負わせてそれで済む問題ではあるまい…。
決断すべき時が来た…。
相庭…先程の方策を決定として全国に通達せよ…。
この命令の遂行にはすべての人間の命がかかっている。
それ故…何人たりともこれに違反することは許されない…。
なぜ能力者だけが…などど不服を言う者は…人として恥じるがいい。
先ず能力者が…と考えよ…と。
木之内…行こう…。 奴等と話をつけねばならぬ…。
紫苑…間に合えばいいが…。 」
宗主に促されて有はようやくその場を離れ…今まさに死地に立たされている息子のもとへと向かった。
紫苑の命の灯火が消えてしまわぬように…と願いながら…。
そこに地面でもあるならば沈み込んでいきそうな自分の身体を持て余しながら…それでも西沢は…呼吸することを止めなかった。
時折からかうようにエナジーたちが軽口を叩いたりするが聞く気にもなれない。
最早…何を言われても問われても答える力もない…。
だが意識だけは研ぎ澄まし…しっかりと自分を見据えていた。
紫苑…と何処からか自分を呼ぶ声が聞こえた。空耳か…と思った。
とうとう…その時が来たのか…とも…。
気たちが騒然となった。
破れないはずの結界を抜けてまたしても人間が入り込んだ。
紫苑…! 声はさらに大きく響いた。
滝川が駆け寄ってくる気配がした。
馬鹿な…と西沢は思った。
来るんじゃない…恭介…逃げろ…!
おまえが殺されたら…僕がここで死ぬ意味がなくなる…!
早く…逃げてくれ…!
だが滝川は西沢の想いに反して倒れている西沢の身体を抱き起こした。
まだ息があることを確かめると…そのまま…姿の見えない気たちに向かって大声で叫んだ。
「お前らは間違ってる!
憂さ晴らしや気晴らしで人を殺すなんざ…人間の中でも最低な奴等がやることだ。
人間を非難しながらお前らのやっていることは人間以下の行為じゃねえか!
そりゃあ人間がしてきたことは褒められたことじゃない。
直接とは言えなくても恩恵を受けているからには、地球をぶっ壊した罪が紫苑や俺たちにないとは言わない。
言わないが…お前らのやってることをよく考えてみろ!
壊し殺して大きな利益や地位や名声を得ている奴等の大罪を以って、いきなり人間全部を消し去ろうって考えは…指導者が戦争を仕掛けたからといって、眼下に生きて生活している人間の命を顧みずに原爆ぶち落とすのとどう違うって言うんだ?
生きるために人間は精一杯抵抗する。 当然だろう?
命はひとつしかねぇんだ。 その抵抗を助けて何が悪い…。
お前らだって…滅びたくないから抵抗しているんじゃないか?
こいつは優し過ぎて人のことを放っておけないんだ。
そんなことでもなければ…好きな絵を描くことだけを幸せとして生きているような男なのに…どうしてここまで痛めつける必要があるんだ?
お前らのしていることは人間の愚行の模倣に過ぎない。
言っていることも矛盾だらけ…これが人間を愚かと非難できた行為か? 」
滝川がそう問いかけると気たちが動揺し始めた。
ざわざわと辺りの空気が揺らめいた。
突然…西沢が重い腕を上げて滝川の身体を押した。
「逃げろ…恭介…。 僕…は…もう…もたない…。
僕…の…いの…ちが…あるうち…に…。 は…や…く…。 」
悲しげな眼で滝川を見つめる紫苑に滝川は優しく微笑んだ。
「紫苑…おまえはいつも鳥籠の中でひとりぼっちだった…。
最期ぐらいは…僕が一緒に逝ってやるよ…。 」
そうして滝川はすでに限界と思われる西沢の身体をしっかりと抱きかかえた。
ひとりでは…逝かせない…。 紫苑…一緒に脱け出そうぜ…あの鳥籠から…。
死ねるか!
西沢は胸の内で叫んだ。同時に西沢の中で何かが湧き起こった。
おまえを道連れになんぞできるか!
今にも消えそうになっていた命の火が再び勢いを取り戻した。
恭介…僕は死なん…死なんから…おまえも死ぬな…。
必ず…ここから…逃がしてやる…。
かっと眼を見開き…半身を起こすと西沢はあの四歳の時のように声をあげた。
あの時とは違って叫び声というよりは唸り声のようだったが…。
気たちは仰天した。
この男は…いったい何を活力にして生きているのか…?
西沢を中心として波のように空気が振動を始めた。
気たちが狂ったように驚き騒ぎ蠢くのを滝川は感じた。
勿論…ここに在る気は太極という小宇宙の中に混在している創造する気のほんのひと欠け…ありとあらゆるものの中に存在する計り知れないほど大きな気の片鱗に過ぎない。
が…おそらくこの欠片が受けた衝撃は全体に波及していくだろう。
自分たちが創造した物でありながら予想もつかない動きをする人間というものの不可思議…困惑する気の表情が想像できる…。
振動は徐々に激しさを増した。
気たちの作ったこの白い世界に少しずつ少しずつ罅が入り始めた。
ピシッピシッと音をたてて罅は次第に拡大していく。
わけの分からない出来事に慌てふためく気たちの意味を成さない声が白い世界の中に反響する。
やがてガラスの破片のようにあたりに欠片が雨霰と降り注ぎ始めた。
滝川は反射的に紫苑に覆い被さり破片の嵐から紫苑の身体を護った。
白い世界は大音響とともに崩れ去った。
轟音を響かせてあの強靭な結界が弾け飛んだ。
その結界の址から見えない気が四方八方に飛び出した。
恐るべき怒りの声をあげながら…。
轟々と不気味な音を立てながら空を旋回するエナジーの気配…。
旋回するというよりはトグロを巻きながら世界を覆い尽くしていると言った方が正解かもしれない。
それは雲を呼び…雷鳴が響き渡る。
校舎前の枯れかけた芝生の上で滝川は眼を覚ました…紫苑を庇ったままの姿で…。
玲人や憑依されて気を失っているノエルを抱えた亮が駆け寄ってきた。
「紫苑…紫苑…。 」
滝川は腕の中の西沢に声をかけた。西沢にはまだ意識があった。
力なく滝川に眼を向けるだけではあったが、息をしていることに一応安堵した。
「間に合ったな…。 」
突然…背後から誰かが近付いてきた。
有と同じ年代くらいの…西沢に何処となく似ている男が西沢の脇の滝川と向かい合う位置に片膝を付いて覗き込んだ。
「紫苑…よくやった…血族として誇りに思うぞ…。 」
男は掌を西沢の心臓のところに当て鋭い光を放った。
大きく息をして西沢は安心したように眼を閉じた。
周りは慌てた…。
その様子を見て男は微笑んだ。
「大丈夫…眠っただけだ…。
私の力ではどれほどのこともしてやれないが…これでしばらくは持つだろう…。 後はきみたちの努力と紫苑の運次第…。 」
後についてきた有が男に向かって恭しく頭を下げた。
ひどい音を立てながら気の旋回は続いている。
治まらない怒りを何処にぶつけようかと思案しているかのように…。
西沢に似た男はノエルを抱いた亮の前に進み出て、まだ意識のないままのノエルに向かって語りかけた。
「大いなる太極よ…。 森羅万象の創造主よ…。
どうか私の声に耳を傾けて頂きたい…。
私は裁きの一族の宗主…。 家門を成す能力者の代表として参上した。 」
男の声を聞くとノエルはうっすらと眼を覚ました。
亮は陽だまりの中の太極の気配がノエルからまた漂い始めているのを感じていた。
ゆっくりと亮の腕から離れてその男と向き合った。
男は穏やかに微笑んだ。
「今…我々は同族である紫苑をお返し頂いた。
あなたの包含する五行の気から紫苑の受けた仕打ちをどうこうは言うまい…。
ただ…紫苑の受難が人間の犯した罪への責任を問われた故であるならば…我々としては紫苑ひとりにすべての罪を背負わせるわけにはいかない…。
我々族姓を成す国内の能力者は、これより先…年に一度の日を定めて、気より与えられたエナジーのうち体調に支障なき余剰分を返上することとする。
紫苑ひとりのエナジーを奪い取るよりは、継続的でもあり、はるかに量において勝ると思うが…如何。
無論…我々にでき得る限り、あなた方の望む啓蒙活動にも力を入れる。
普通の人々にまで約定が及ばないのは申し訳ないが…これは我々が能力者であることを口外できないという特殊な事情によるもので…その点はご容赦願いたい。
その約定を以って…我々だけでも…気の恩に報いるつもりでいる。
太極よ…あなたの力であなたの中の怒れる気を鎮めて頂けないだろうか…? 」
ノエルの中の太極は滝川の腕の中の眠れる西沢に慈愛の眼差しを向けた。
そして再び男の方を向いた。
「機会を与えよう…あの男の…至誠に免じて…。
命に向き合う真摯な姿勢には我々にも感じ入るところがある…。
その約定が守られている間は…沈黙し…観察を続ける…。
ただし…何者かが著しく気のバランスを崩すような行為を行えば…この約定は無効とする…。 」
太極の答えにエナジーたちは怒りを露わにした。
まだ人間を信用するつもりか…と。
非難の声がさらなる轟音となってあたりに鳴り響いた。
「我が子よ…。
人間ひとりひとりの罪状までは確認できないと言いながら…この男ひとりに責めを負わせたのは過ちである…。
偉大な気でさえも過ちを犯すのであれば…卑小な人間が過ちを犯すのは避けられぬ…。
深く反省の意を表して約定を以って償わんとするならば…しばし寛大な心を以ってこれを受くるに…何の障りが生じようや?
万が一…約定が破られた時には言いわけなど聞かずと一息に滅ぼしてしまうだけのことだ…。
もし今この瞬間に、これまでの罪を以って全人類を滅ぼせというのならば…気の犯した過ちを以って我が身を罰し私自身が滅びることとしよう。
されば我が子よ…。
おまえたちもともに滅びることになる…。 」
絶望にも似た叫び声が天地に轟いた。
太極に自ら滅亡の道を選ぶと宣言されて反論できるものはなかった。
諦めがいいのか…切り替えが早いのか…天を覆っていた渦巻くエナジーは次第に怒気を和らげ…その気配を消していった。
「裁定人の宗主よ…何れまた…おまえの定めたその日に…。
なんの…知らせは無用…おまえが心に太極を思えば…その日一斉に気を回収させて貰うだけのこと…。 」
太極は再び西沢を穏やかに見つめるとノエルの中からふっと気配を消した。
崩れ落ちるノエルの身体を男が支えた。
亮が慌てて男からノエルを受け取った。
「滝川…恭介…。 紫苑を頼む…。 早急に手当てをしてやってくれ…。
紫苑の戦いは終わったが…これから先はおまえたちの戦いだ…。
何があっても…この英雄を死なせるなよ…。
手を尽くし知恵を絞って回復させてみせよ…おまえが治療師としての自信を取り戻すためにも…。 」
男に言われて滝川は驚愕した。初めて会った男に自分の中の闇を見透かされた。
男はにやりと笑うと有を伴って悠々とその場を立ち去った。
後を見送った滝川たちも人目につく前に…と慌しくその場を後にした。
その校舎では何事も無かったかのように新しい一日が始まった。
しかし…さすがに今日だけは…亮もノエルも…姿を見せなかった…。
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