徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

現世太極伝(第二十二話 裁定人の御使者)

2006-03-03 21:58:01 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 仕事先に伯父を訪ねるのは何年ぶりだろう…覚えがないくらいだ。
入り口に陣取っている秘書に名前を告げると秘書は慌てて受話器を取った。
扉のない中間の部屋から英武が飛んできた。

 「シオン…どうしたの? 大丈夫? 何かあったの…? 」

不安そうに西沢の顔を見つめた。

 「なんでもないよ…。 お養父さんにお願いがあって来たんだ…。 」

 西沢は穏やかに微笑んで見せた。
それでも心配そうに西沢の傍についていた。

 「この間はごめんね…ひどいことして…。 父さんに叱られた。 
父さんは僕がきみを苛めてると思ったらしい…。 」

 悲しそうに英武は言った。

 「英武…可哀想に…叱られたの? いいんだよ…僕にはちゃんと分かってる。
そうだ…今度不安になったら…動く前に深呼吸して数を数えてみて…。
少しは落ち着くからね…。 」

 素直に頷く英武の肩を軽く叩いて西沢は奥の伯父の部屋に入った。

 革張りの椅子に身を沈め祥は西沢を迎えた。
 
 「紫苑…ちっとも顔を見せないから心配していたぞ…こっちへおいで。
なにか…頼みたいことがあるそうだな…。 」

 嬉しそうに笑いながら祥は手招きした。
優しい人…いつもそう…僕を甘えさせてくれる…けど…。

 「裁きの一族から…指令がきました。 」

 西沢は祥の机に封書を置いた。祥は顔を強張らせてそれを手にした。
祥が怖れていたのは封書の中の宛名…やはり…木之内紫苑と書かれてあった。
裁きの一族にとって紫苑が属する家系の名は西沢ではない。
あくまで木之内…。

 「動かねばなりません…が…僕は木之内ではないので…西沢を名乗ってよいかどうかを伺いに来ました。 」

 西沢がそう訊くと祥は少しほっとした。
封書の中に書かれた宛名がどうあれ、紫苑自身が西沢を名乗れば問題はない…。
祥は大きく頷いた。

 「かまわんよ…西沢としては…。 だが…木之内の有はどう言うかなぁ…。 
気を悪くしないだろうか…?」

紫苑の実の父に対する遠慮もあった。 
 
 「僕は西沢の人間です…。 木之内の意向は関係ありません。
それと…これはお務めですから…あちらこちらの一族に関わることになります。
懇意にしているところばかりじゃありませんのでご承知おき下さい。 」

 分かった…と祥は言った。
とにもかくにも紫苑が西沢として動いてくれれば文句はない。
西沢家の権威を示す絶好のPRにもなる。

 「それはそれとして…紫苑…たまには戻っておいで…。
お養母さんが寂しがっているよ…。 
 英武がくれた滝川の写真集を眺めては溜息をついている。
写真じゃ物足りないのだろうな…。
何しろ…おまえを眺めることは昔からお養母さんの楽しみだからね…。 」

 西沢は養母美郷の顔を思い浮かべた。
どこかで紫苑を娘だと思い込んでいるようなところがあって、紫苑にとっては少しばかり敬遠したいような人だが…実子の英武や怜雄以上に可愛がってくれた。

 「近いうちに…。 」

そう返事をして西沢は祥に暇を告げた。



 滝川家の族長宅では一族の重鎮と治療師たちが、記録に残っている限りでは明治維新以来初めて迎えることになる裁きの一族の使者を待っていた。
 使者を使わした宗主からは族長宛に、一切の問い…使者個人に関しての情報の口外を禁止するとの通達があって、どんな使者が来るのかと神経を尖らしていた。

 分家の恭介を案内に現れたのは天井に頭が届くのではないかと思われるような大丈夫…腰を低くして頭を下げなければ鴨居がくぐれない。
 恭介も大柄だがこの使者はさらに大きい。
それだけでも圧倒されるのに使者はあの恭介の奇妙な写真集のモデル…。
 写真集が出た時に、こんな馬鹿げた写真集…この男の何処がいいんだ…と陰口を叩いていた連中も本物を目の前にして思わず息を呑んだ。

 こうした人たちは胸の内では西沢のことをたかが際物のモデル風情…くらいに考えているのだろうが、さすがに顔には出さず、その口も堅く閉ざしたままだった。
  
 意外としか言いようのない使者の顔をただ呆然と見つめていても埒があかない。
気を取り直した族長が使者を上座に据えて形ばかりの口上を述べた後で、自分で自分を洗脳してしまっている状態の若者たちを家族が引き連れて現れた。
 滝川一族の被害者は三人で、うち一人は何者かと争ったおりに精神のバランスを崩されてしまっている。

 西沢が先ず取り掛かったのはこの最も重症な若者だった。
恭介を始めとする滝川家の治療師たちが西沢と若者を取り囲んだ。
西沢は最も権威のある治療師からこれまでの治療経過を聞き出した。

 初老の治療師の話を聞きながら若者の目を覗き込んでいた西沢は、先に解き放った五人の時とは違って一度にではなく、何段階かに分けて若者の暗示を解いた。

 説明を受けたわけではないが…おそらく治療師の手が入った時点から今までの記憶、それ以前から精神にダメージを受けたと思われる時点までの記憶を操作してダメージを軽減した上で最終的に自己洗脳を解いたのではないか…と恭介は考えた。

 ようやく我に返った若者を見て家族はほっと胸をなでおろした。
しかし…西沢は治療師と親を前に、現段階ではあくまでダメージを和らげ、暗示を解いただけだということ…一度受けた精神的ダメージは軽減することはできても完全に消し去ることは難しいので時間をかけてゆっくりと回復或いは順応させていくしかないことを告げた。

 後の二人に関しては西沢はまるで問題にはしていなかった。
あの駐車場の五人の時と同様あっという間に自己暗示を解いてしまった。
 その力に度肝を抜かれた滝川の一族は、恭介の使った男性モデルに過ぎない西沢紫苑から…裁定人の御使者紫苑さま…に見る目を変えた。

 族長は三人の若手を助けて貰ったことを心底喜び、謝礼金と治療費と称して高額の金員を用意したが、西沢は笑って…これはお務めだから…とそれを固辞した。



 最初に情報の収集と提供に長けた滝川一族を訪問したのは正解だった。
西沢個人の情報や名前はきっちり伏せられてはいたが、裁定人の使者の腕は確かだという情報だけは流れているようだ。
 西沢の知らない家系やそれほどの付き合いのないところからも有を通じてではあるが助力の依頼が入ってきて、こちらからコンタクトを取る必要が全く無かった。

 ただ…時々西沢が到着する前に家族の前から逃げ出してしまっている者もいて、そうなると訪問も一度では済まなかった。
 宮原家と島田家を含む一族の場合も、両家で四人いた被害者のうち夕紀が逃げ出してしまっていた。

 「ごめんなさい…西沢先生…。 せっかく来て下さったのに…。
僕がもっとしっかり見張ってれば良かったんだけど…。 」

 直行が申し訳なさそうに謝った。気にしなくていいよ…と西沢は微笑んだ。
その場に連れて来られていた三人の中のひとりは既にこの前駐車場で自己洗脳を解いてあったので問題なく、残る二人も取り立てて難しい状態ではなかった。

 輝は治療師ではないからこの場に立ち会ってはいなかったが、輝のことを良く知っている者たちが御使者は輝の恋人だとひそひそ噂し合っていた。

 滝川の一族に比べると統制がゆるい…と西沢は感じた。
不手際の詫びを入れるのは族長の仕事であって、直行のような役付きでもない若手が、長老衆を差し置いて使者に対し直接口をきくことなど通常では考えられない。
 勿論、族長からは丁寧な詫びの言葉を受けたが、滝川家では役付き以外の若手が同席することさえなかった。

 「ひとつだけ疑問が残るんです…。 行方不明になった時に家族が騒がなかったのはなぜなのか…。
 これが自己暗示みたいなものなら…家族は思考をコントロールされていないわけだから…。 」

 帰り際に玄関口で西沢のために傘を広げながら直行がぼそっと呟いた。西沢は少し表情を強張らせた。

 …一切の質問は禁止…のはずだけど…。
直行が気安く使者に話しかけるのを誰も止めようともしない。
上がり框のあたりには族長を始め数人の大人が見送りに来ているというのに…。
 
 「本人の居場所が分かってさえいれば…子供の家出なんて他人には知られたくないもんなんだよ…。
 できれば何事もなかったようにことを済ませたいのが人情だね…。
それに…今回は上の方からも下手に騒がないように指令があったと思うよ。
同族の者が一端の能力者でありながら何者かに攫われたなどという恥を晒したくないからね…。 」

 直行がもし…西沢家或いは木之内家と同族の若手であるならば西沢は厳しい態度に出ただろう。
 旧家の木之内家と権勢を張り合っている手前、西沢家はそうした族人としての教育にはかなりうるさい。
 怜雄も英武も普段はいいとこのぼんぼん然としてのんびり甘えて暮らしているように見えるがそういう点では甚だ厳格に躾けられている。

 だが…他の一族の方針に口は出せない…。
ことに使者の立場では…。

そんなことを考えていると、突然、背後から直行を叱咤する声が飛んだ。  
 
 「おまえのような者が御使者に気安い口をきくものではない! さがれ! 」

 振り返ると島田の重鎮のひとりが立っていた。
高い地位にあるにもかかわらず若い男で、その男の顔には見覚えがあった。
直行は慌てふためいて傘を投げ出して姿を消した。

 「御使者…申し訳ないことです。 このところ島田も宮原も若手の教育を怠っておりまして…お恥かしい限り…。 」

 輝の齢の離れた兄で克彦だった。40前でありながら長老の立場にある。
若いながらに気骨のある男で年寄り連中からも一目置かれていた。

 「直行にはよく言って聞かせます。 
あいつは普通の家で育ったものでしきたりや作法をよく知らんだけで…本来は無礼なやつではありません。
どうか許してやってください…。 」

 克彦はそう言って深々と頭を下げた。
何…気にしてはおりませんよ…と慰めを言って西沢は軽く会釈した。
克彦は直行が広げていったままの傘を西沢に差し掛けて車寄せまで送って出た。

 使者西沢が車に乗り込むその時まで自分は雨に濡れながらも西沢に傘を差し掛ける克彦に…それが本当に礼節を弁えた者の姿とは言いながら少しばかり心に沁みるものを覚えた。
 西沢は克彦に敬意を表して車の中で深く頭を下げた。
それを見て克彦はその意を察したように微笑み車が門を出て行くまで礼を続けた。







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