2月24日に始まったプーチンのウクライナ侵略戦争が、中国の力による台湾の現状変更を誘発するのではないかとの懸念がメディアなどで囁かれている。
台湾の人達のあの優しい国民性と笑顔が失われることが起きないことを願うばかりだが、台湾有事となれば日本もアメリカに引きづられて巻き込まれる。
後ろからついて行くだけの日本外交で大丈夫なのだろうかと心配になる。
東工大の中島岳志教授は、〝「保守」とは単に「革新」の対義語ではなく、人は愚かであることを自覚するという深い考えに立った姿勢である〟と言う。
この機会にとばかりに憲法改正だ、敵基地攻撃だ、核の共有だ、と騒いでいる元総理大臣らがいる。
今更ながら愚か者であるとの思いを強くする。唯一の被爆国の政治家として恥ずかしい限りだ。
ウクライナの一日も早い事態好転を願いながら環島(台湾一周)の続きを綴る。
2018年4月7日
台湾島の大陸側は古い建物の街が連なる。台南市に来て近代的な高層建築の街並みを見た。
郊外は水田、畑が広がっている。
台湾の農地開発には日本統治時代の総督府技師・八田與一が深く関わっていることを知った。戦争の犠牲となり、奥様が夫の設計した農業用ダムで後を追うという悲劇があった。
地元の人々は今も慰霊祭を営んでご労苦に感謝している。
台南市から高雄市に向かう国道沿いに、沼で採れる「菱の実」を売ってるおばちゃんがいた。嘉義の旅館のおばちゃんと同じく、日本統治時代に国民学校で習ったとかで日本語が分かった。
「大きな袋で買って行け。」と言うが自転車旅では無理。2~3個貰って食べた。子供の頃に食べた栗のほくほくした味がした。台湾でもおやつで食べるという。
高雄の近くになって、お祭りの行列に出会った。各家庭では日本の「お盆」を思わせる飾り付けの台を家の前に出して行列を出迎えていた。
快晴で30℃を超える熱さの中を50Kmほど走って昼前に高雄に着いた。台北に次ぐ人口190万人の大都市である。
〝東洋のベニス〟と言われる「愛河」を探したが見つからず、夕方になったので諦めてこの日の宿をBookingComアプリで捜すことにした。
カーナビで大凡の場所に近づいてから立派なホテルに飛び込んでフロントの女性に尋ねると、留学で京都にいたことがあるとのこと。日本語がペラペラで、丁寧に目的のツーリストホテルまでの道を教えてくれた。分かりにくい場所で助かった。
着いて先ずはサウナとプールのような大浴場で暫し開放感に浸った。
フロントのヨーロッパ系の若いお兄さんは玄関ドア解錠方法などの注意事項らしきことを話してくれたが、早くてサッパリ聞き取れず、暗くなってからホテルに入れなくなっも困るので、夕食は明るいうちに近くの屋台で餃子、ビールで簡単に済ませた。
この日のメモを見ると20:00就寝とある。日中、炎天下の下で「愛河」を捜したり、ホテルを捜したりで疲れていたのだろう。
高雄市内の写真が無いはずだ。笑
(つづく)