新型コロナウイルス感染対策による制限が解除された。そろそろ感染者数と死亡者数ではなく、「検査」と「隔離」の対応可能数の発表に切り替えて欲しい。ウイルスとの「共存」はこの二つにワクチン、治療薬が加われば万全だと思う。必要なのは「安心感」だ。
そして、・・・
「With コロナ」この言葉は止めて欲しい。Withには「友として」のような、相手として良い印象を持っていて組んでみたい、傍に居たいと思っている場合に使われるような印象がある。人間との「共生」のような存在を認め合うような根源的な意味合いとはちよっと違う気がする。英語的にどうなのか分からないが。
「コロナの時代」「ポストコロナの時代」この言葉も止めて欲しい。時代には歴史的な評価が必要だと思っている。covid19だけが感染症ではないし、過去のパンデミックで「スペイン風邪の時代」、「天然痘の時代」とは使われてこなかった。何をもって時代の括りをするのか。現実の把握さえ出来ていない。
人と人を遠ざけるような「新しい生活様式」。この言葉には嫌悪感さえ覚える。何故って、ヒトの生活様式を他人によって決められるほど息苦しい社会は無い。動物は集まることによって様々な力を発揮し、自然を生き抜いてきた。人間も同じだし教育もそのような理念で行われてきたはずだと思う。
相対したコミニュケーションの重要性は言わずもがなのことだ。それらが逆方向へと向かい始めている気がする。そのためのアイディアを競うような風潮が嫌である。
結局はこれらの「言葉」も“新しい”市場開発のために瞬く間に消費されるのだろうけれど。自らの考えでこれまでの生活を大事に続けるだけだ。
《芦別市黄金 樹齢1,700年の水松 2020.6.10》