若い人に今頃になって人気があるという。
白洲次郎という人は吉田茂の参謀、あるいは懐刀と言われた人だ。
そういったレッテルが貼られているということは、もう誤解された人であるといって構わないのである。
ただし、「今頃になって」この人に愛着を感じるのは若い人たちらしい。レッテルを貼って安心しているのはもっと年長者だろう。若い世代の支持者は、また新しいレッテルを貼って安心してしまうだろうが、どうかそうなって欲しくないものだ。
若い人たちが惹かれる理由は、格好良いからだという。カッコいいからと言ったほうが近いだろうね。それが浅薄だとは思わない。たしかに白洲さんはカッコいい。僕もそう思う。そうした単純な理由がいちばんさ。
もっともこれは誰かがアンケートでもした結果だ。こういうのも信用しすぎないほうが良い。白洲次郎が今も思い出される人だということ、僕は彼をカッコいいと思う、これだけは確実なことで、あとは噂話である。
白洲次郎という名前は以前から白洲正子さんの本や、河上徹太郎さんの本で知っていた。小林秀雄さんの著書の中では名前は挙げずに書かれていることが多かった。英語に堪能な知人とかゴルフに詳しい知人とか書いてあるのも白洲次郎のことかと思う。
白洲正子さんにとってはもっとも身近な存在だったわけで、著書の中で、生れ変ったとしたらもう次郎とはいいわ、なんて言っているけれどそんなのは当然なのでね、取り立てて話題にするまでもない。充分に魅力について書いているのだ、それをそのまま受け取ればよい。
他人の僕にとっては、その魅力だけで充分だ。この人のことを結構詳しく知ったのは「風の男」という評伝を読んでからだ。なるほど、正子さんが褒めるわけだと思った。
その後、彼自身の「プリンシプルのない日本」という、新聞雑誌への寄稿を集めたものを読んだ。
正子さんによると、芸術なんていうものに興味を持たない人だったそうだが、そうかもしれない。文章はお世辞にもうまいとはいえず、ナタで大根を調理しているような按配なのである。
しかし、彼の意見はいつも真っ正直で、読んでいてじつに気持ちが良いのだ。他人からよく「お前は青臭い」と言われることについて「その通りかもしれないが、僕はずっと青臭いままで行こうと思う」と述懐しているところがあって、評伝の通りの人なのだと得心がいった。
例によって書きかけて放っておいたら、何とNHKが彼の生涯をドラマにしたというではないか!いよいよあの放送局もヤキが回ったと見える。
因みに僕が色んな記事を書きかけて放っておくわけは、今思いついたことを忘れないためには、まずちょこっと、せめてタイトルとあらましだけでも書きとめていかないと、何を思っていたかも忘れてしまうからに他ならない。つまりメモ代わりに始めたブログであるから、忘れてしまっては何の意味もないからだ。
ドラマなんかに興味はない。気色悪いとさえ思う。そもそも白洲さんが上記の本の中でも、われわれの憲法はアメリカから押し付けられたものだから、早くそれなりの方法に則って改憲したほうがよい、と発言しているのをドラマの中でも言わせるものだろうか。そこの扱い方次第では僕はNHKを見直してもいいけれどね。
断っておくけれど、僕は改憲論者ではないよ。でも、改憲論者イコール平和を求めない人、といった見方は大変に不健康だと思っている。この種の「タブー視」が日本には多すぎると思っている。
白洲次郎という人は吉田茂の参謀、あるいは懐刀と言われた人だ。
そういったレッテルが貼られているということは、もう誤解された人であるといって構わないのである。
ただし、「今頃になって」この人に愛着を感じるのは若い人たちらしい。レッテルを貼って安心しているのはもっと年長者だろう。若い世代の支持者は、また新しいレッテルを貼って安心してしまうだろうが、どうかそうなって欲しくないものだ。
若い人たちが惹かれる理由は、格好良いからだという。カッコいいからと言ったほうが近いだろうね。それが浅薄だとは思わない。たしかに白洲さんはカッコいい。僕もそう思う。そうした単純な理由がいちばんさ。
もっともこれは誰かがアンケートでもした結果だ。こういうのも信用しすぎないほうが良い。白洲次郎が今も思い出される人だということ、僕は彼をカッコいいと思う、これだけは確実なことで、あとは噂話である。
白洲次郎という名前は以前から白洲正子さんの本や、河上徹太郎さんの本で知っていた。小林秀雄さんの著書の中では名前は挙げずに書かれていることが多かった。英語に堪能な知人とかゴルフに詳しい知人とか書いてあるのも白洲次郎のことかと思う。
白洲正子さんにとってはもっとも身近な存在だったわけで、著書の中で、生れ変ったとしたらもう次郎とはいいわ、なんて言っているけれどそんなのは当然なのでね、取り立てて話題にするまでもない。充分に魅力について書いているのだ、それをそのまま受け取ればよい。
他人の僕にとっては、その魅力だけで充分だ。この人のことを結構詳しく知ったのは「風の男」という評伝を読んでからだ。なるほど、正子さんが褒めるわけだと思った。
その後、彼自身の「プリンシプルのない日本」という、新聞雑誌への寄稿を集めたものを読んだ。
正子さんによると、芸術なんていうものに興味を持たない人だったそうだが、そうかもしれない。文章はお世辞にもうまいとはいえず、ナタで大根を調理しているような按配なのである。
しかし、彼の意見はいつも真っ正直で、読んでいてじつに気持ちが良いのだ。他人からよく「お前は青臭い」と言われることについて「その通りかもしれないが、僕はずっと青臭いままで行こうと思う」と述懐しているところがあって、評伝の通りの人なのだと得心がいった。
例によって書きかけて放っておいたら、何とNHKが彼の生涯をドラマにしたというではないか!いよいよあの放送局もヤキが回ったと見える。
因みに僕が色んな記事を書きかけて放っておくわけは、今思いついたことを忘れないためには、まずちょこっと、せめてタイトルとあらましだけでも書きとめていかないと、何を思っていたかも忘れてしまうからに他ならない。つまりメモ代わりに始めたブログであるから、忘れてしまっては何の意味もないからだ。
ドラマなんかに興味はない。気色悪いとさえ思う。そもそも白洲さんが上記の本の中でも、われわれの憲法はアメリカから押し付けられたものだから、早くそれなりの方法に則って改憲したほうがよい、と発言しているのをドラマの中でも言わせるものだろうか。そこの扱い方次第では僕はNHKを見直してもいいけれどね。
断っておくけれど、僕は改憲論者ではないよ。でも、改憲論者イコール平和を求めない人、といった見方は大変に不健康だと思っている。この種の「タブー視」が日本には多すぎると思っている。