季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

様式美?

2009年06月15日 | 音楽
様式感とは何だろう。僕の文を読んでくださる方は大方がピアノを習っているのでしょう。それならばどこかで一度は「様式に忠実に」とか「様式を感じて」とか言われた経験があるだろうと思われる。

モーツァルトは古典派です、古典派らしく、とかね。

僕は無学だから、そんな難しいことを言われて分かったためしがない。しかもですよ、口にしているご本人は知っていて当然という態度だから、質問するのも憚られる。

無学は無学なりに忖度してみると、どうもそういう場合、様式と形式の区別がないようにみえる。この二つを厳格に区別してもあまり役には立たないけれど、あなたがよく分からないほど高級な講座で、役に立たぬということをふと思い出したならば、一時の慰めにはなるかもしれない。

ああ、分からないのは自分だけではない、講師もなんだってね。

ヨーロッパの高校では建築様式について、必修だということだが、本当だろうか。日本でも数寄屋造りとか習う、その程度のものなのかもしれない。今度訊いてみよう。

僕らの友人(当時高校生だった)とドライブに行くと、あれは何様式、これはかに様式と教えてくれて、こちらはただただフーンと感心して聞くばかりだった。その時に必修かどうかを訊いておけばよかった。彼女が博識だっただけだったのか。当時ブログを書こうという明確な意図を持っていなかったのが悔やまれる。

様式というのは以上で分かるように、といっても何も言っていないから分かりようもないが、バロック様式とかルネッサンス様式とか、主に建築スタイルによる時代区分と思えばよい。

それに比して形式とはフーガやソナタに代表されるように、ある(芸術)作品のスタイルを指す。

音楽においては「バロックスタイル」とか言い習わしているところから分かるように、この種の区別を正確にはつけないのが普通だ。

その他でも、例えばモーツァルトは古典派だというけれど、ではロココ様式というのは何のことだ、とえらく面倒なのである。

あまり厳格に定義しようとするとかえって分からなくなる。なんでもそうだと書きたいところだが、ではアランの「定義集」はどうだ、と自問したらたちどころにしどろもどろになる。

そこでここでは、時代区分というものは、政権交代以外の区分は、そんなに明確に分かれているものではない、とだけ言っておこう。以前ルネッサンスについて書いたことを繰り返すしかない。この記事はニフティの方に打ち捨てられているが、順次こちらに移している最中です。全部移した暁には一応報告しますから、物好きな人はそちらもお読みください。

さて様式感であるが、これを実感するのにはそんなに苦労はしないが、説明しようとするとなかなか骨が折れる。

そもそも様式美なんていうものは、感じる本人にしか分からぬ、大変精妙な何かであって、ペラペラ喋るようなものではない。感に堪えぬ、というべきもので、説明できるものではない。

では形式美はどうなのか。これだって同じことである。ただ、音楽の演奏の場合は作品に即して演奏しているわけであるから、形式美自体を説明せずに、具体的に言えばすむ。

たとえば第二主題が速すぎた、主題の確保が曖昧だ、推移部がもたつき気味だ等々。むしろそう言わなければ言われた方は何のことだか分かるはずがない。

その上で、それが形式の持つ美しさだといえなくもない、と続ければ言われたほうも納得しよう。

いきなり「君は様式美をもっと感じて弾かないと」なんて口がひん曲がっても言ってはいけないのである。これは控えめにいっても、カッコつけただけの空言である。

本来たいへん微妙で大きな問題であるから、皆さんが各自で自在に感じたり、考えたりしてもらいたい。

上記のようなセリフを耳にした時に、恐れ入ってしまうことさえ無くなれば、僕の駄文は目的を達したことになる。