季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

冬の旅から

2013年04月03日 | 音楽
シューベルトの歌曲に限ったことではないけれど、ドイツリートでよく旅人が夜歩いていく情景があるでしょう。
ハンブルク郊外にザクセンの森というのがある。これはビスマルクの所領でハンブルクの東に広がっている。大きな屋敷が一角にあり今も子孫が住んでいる。

ドイツに住み始めたころ郊外電車の終点まで行ったらこの森の中まで運ばれた。森の中の道といっても、まっすぐに切り開かれた赤土むき出しの道が梢の間を貫くばかりなのである。
それでも日本にはない風景で、僕はひとりでずんずん歩いた。行けども行けども同じ風景だ。高い梢の列の間から曇天が覗く。

当時は(ドイツに渡る前の日本で)山を独り歩きするのが好きで、足腰はきわめて強かった。
しかし今、空を見上げながら、日本とはまったく違う景色に気持ちを昂らせていてふと気づくと、自分はいったい駅から離れていっているのか、それともどこかで折り返して帰途に着いたのだったか分からなくなった。

その後、この森は約10キロ四方で、突き抜ければ村落が点在することを知ったが、その時はいったいどこまで深い森かもわからない。ヘンゼルとグレーテルの話が頭をよぎる。豆を撒きながら来るべきだったとかね。今だったらgoogle mapがあるね。関心のある人はSachsenwaldと検索をかけて画像にして見てください。

何年か後、免許を取得してからは何べんもこの森を横切った。昼間もほとんど対向車がない。鹿やウサギが跳び出してくる。夜はライトの光に飛び込むことがあり、鹿のような大きな動物にはいつも気を付けないといけない。

ある冬の夜遅く、真っ暗な中を走りながらふと思いついて車を停めた。夜の森がどれだけ暗いか実感したくなった。さすらい人の夜の歌を体感したくなった、まあ児戯だね。
ライトを落としたら、本当に暗い。梶井基次郎に「闇の絵巻」というのがあり、短いが非常によい作品である。そこにはほんとうに闇がある。だが、ザクセンの森の闇はまた少し趣が違う。

その時の闇は、どう言ったらよいかな、こんな時に文学者の能力がうらやましいけれど、重苦しいのである。重く沈んで湿り気を帯びている。児戯といえども、シューベルトのリートを感じるのも事実である。家内としばらく真っ暗闇の中で立ち尽くした、ただそれだけのことだが。たった数百年前には旅人はこんな闇を抜けて行ったのだろうか。努めて想像しようとするが難しい。それなのにいったんシューベルトが歌われると(僕たちは楽譜を読めば音は頭の中で鳴るから便利ではある)なんの無理もなく旅人も闇も眼前に現れる。不思議なことだ。

僕たちが何度も踏み入ったこの森に、日本赤軍のメンバーが穴を掘って潜伏していた。当時結構大きなニュースとして取り上げられた。穴に落ちなくてよかった。いつも行くあたりなのに、と驚いたものである。

いくらシューベルトでも身を潜めた赤軍派を歌うことはできまい。