学生だったころ、友人の一人が仲間とこんな会話を交わしていたのを覚えている。
自分が練習している曲をレコードで(当時ですよ。時代の移り変わりを感じるでしょう)聴く場合、影響を受けないように、できるだけ多くの演奏家を聴くべきだ、と。
当時僕はなんという臆病な意見か、と思った。そして今僕は、それを訂正する必要を感じない。同時に、影響というものをもっと真剣に考えている。真剣に考えているといっても、断っておくけれど、大人は子供の規範になるべしとか、そんなことではないよ。
以前にも真似をするということについて書いたのだが、何べん繰り返してもよいだろう。
ゴッホはミレーの強い影響下に絵を独学した。彼の模写は所謂模写と違ってはるかに自由なというか、くせのある、といって充分に個性的ではない、ゴツゴツしたものだ。今僕が言っているのは、初期の模写のことである。晩年、彼はよく知られているように最後の3年間だけで世に言う「ゴッホ」の作品をすさまじいスピードで描きあげていったが、その時期でも模写をやめていない。しかしそれらはもう模写というよりもはるかにゴッホという人の烙印がつよく押されている。
アムステルダムのゴッホ美術館に一枚、たしかレンブラントの揺り籠を描いた絵を模写したものがあった。
今はオリジナルの題名も確かめる時間もなく、ゴッホの絵を見つけ出すこともできないけれど、全体に紫がかった絵だったように記憶する。
高い天井から吊り下げられたランプの光はゴッホ独特の描き方で、切れ切れに描かれた光の輪が幾重にも重なって波のように広がっていく。
レンブラントのオリジナルのランプはずっと落ち着いた光で、部屋の隅の薄暗さによって高められた輝きである。
ゴッホの模写になると暗闇は濃い紫と、波紋状に広がる明かりの黄色の点線によって緊張する。ここでの静けさは「耳を切った自画像」に見られる冴えわたった空気と通じる。僕はこの絵が好きで、何度もハンブルクから見に出かけた。
弟宛の手紙で、幾度となくミレーやレンブラントに対する共感を吐露しているにもかかわらず、期せずしてまったく違う世界を創りあげてしまうゴッホをみると、世で通常いわれる影響とか独自性とかがあっという間に色あせるのを感じる。
自分が心惹かれた人の中に全面的に飛び込むこと。ゴッホの態度はその尊さをよく示している。
自分が練習している曲をレコードで(当時ですよ。時代の移り変わりを感じるでしょう)聴く場合、影響を受けないように、できるだけ多くの演奏家を聴くべきだ、と。
当時僕はなんという臆病な意見か、と思った。そして今僕は、それを訂正する必要を感じない。同時に、影響というものをもっと真剣に考えている。真剣に考えているといっても、断っておくけれど、大人は子供の規範になるべしとか、そんなことではないよ。
以前にも真似をするということについて書いたのだが、何べん繰り返してもよいだろう。
ゴッホはミレーの強い影響下に絵を独学した。彼の模写は所謂模写と違ってはるかに自由なというか、くせのある、といって充分に個性的ではない、ゴツゴツしたものだ。今僕が言っているのは、初期の模写のことである。晩年、彼はよく知られているように最後の3年間だけで世に言う「ゴッホ」の作品をすさまじいスピードで描きあげていったが、その時期でも模写をやめていない。しかしそれらはもう模写というよりもはるかにゴッホという人の烙印がつよく押されている。
アムステルダムのゴッホ美術館に一枚、たしかレンブラントの揺り籠を描いた絵を模写したものがあった。
今はオリジナルの題名も確かめる時間もなく、ゴッホの絵を見つけ出すこともできないけれど、全体に紫がかった絵だったように記憶する。
高い天井から吊り下げられたランプの光はゴッホ独特の描き方で、切れ切れに描かれた光の輪が幾重にも重なって波のように広がっていく。
レンブラントのオリジナルのランプはずっと落ち着いた光で、部屋の隅の薄暗さによって高められた輝きである。
ゴッホの模写になると暗闇は濃い紫と、波紋状に広がる明かりの黄色の点線によって緊張する。ここでの静けさは「耳を切った自画像」に見られる冴えわたった空気と通じる。僕はこの絵が好きで、何度もハンブルクから見に出かけた。
弟宛の手紙で、幾度となくミレーやレンブラントに対する共感を吐露しているにもかかわらず、期せずしてまったく違う世界を創りあげてしまうゴッホをみると、世で通常いわれる影響とか独自性とかがあっという間に色あせるのを感じる。
自分が心惹かれた人の中に全面的に飛び込むこと。ゴッホの態度はその尊さをよく示している。