季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

エキエル版

2009年12月02日 | 音楽
少し前にエキエル版でショパンのノクターンを持ってきた生徒がいる。

自慢にならないけれど、この版を実際に見るのは初めてであった。評判も知らなかった。だいたい、研究というものを最重要と見做していないので、どうしてもそうなってしまうのである。

有名な変ホ長調のノクターンだったのであるが、普段聴き慣れているものとまったく違う。一番の違いは、楽譜でいうと小さな音符で記されているパッセージの音型だ。

通奏を聴きながら、これはリストの手による編曲だろうか、と訝しく思った。

ここまで書いて久しぶりに自分のタイトル関連、つまり今回はエキエル版を検索してみたら、もうどっさりあって、とてもではないが読みきれない。

これらを全部読むよりは研究したほうが良いと確信した。そうか、研究者というのは他の人の書いたものを読むのが面倒になった人がなるものなんだな。深く納得さ。重大な発見をしたね。

先生から今ならエキエル版が良いでしょう、ショパンコンクールでも推奨されているし、と言われたとか、友達から絶対これと言われたとか、読んでいると頭がくらくらしてきた。鎌倉散歩のガイドブックで、昼食は絶対ここ!なんて読んだ気分だ。

で、肝腎のことはわからずじまいなのである。パデレフスキィ版の進化したものだという珍説にも出会ったから、きっとそうなんだろう。音符を見ただけで音が出るとか、そんなことだったら進化したと言ってあげてもいいな。

とまあ例によって脱線気味なのだが、リストの手による編曲のように見える、というところに戻りたい。

これはなかなか面白い発見であった。

上述したように、エキエルによって公にされたこの作品が決定稿であるのか、初稿であるのか、僕には知ることができない。

解説を読めば知ることはできようが、元来の方がよくできていると感じる以上、そこから先はむしろ空想しておいたほうが楽しい。

なぜリストの編曲に聴こえるのか。

ショパンやそうした流れを汲む作曲家は、いわば手で作曲する。それがじつにわかり易く示されたと僕は思う。

リストの諸作品は、どれも卓抜なアイデアを示しているけれど、彫拓されつくしたという印象からは遠い。アイデアマンだ。アイデアの秀逸さでものの価値が決まるのならば、リストのそれは素晴らしいといえる。

彼の手は(もちろん困難さを避けてはいないけれど)まず第一により弾き易い音型を探し求めていく。そうして・・・そのままだ。改作も推敲もしたらしいけれど、それも新たな弾き易く効果的な音型を求めるに止まる。

ショパンの作品には決定的というべきものがある。それがエキエル版では(例に挙げたノクターンに限れば)まだ決定されていない装飾に聴こえるのである。いかにもショパンの手が今しがた即興的に動いたかのように。

おそらくショパンの諸作品はこういう過程を経て姿を現したのだろう。

僕はいろいろ空想して楽しかった。

この版が正しい、とかショパンコンクールがどうこうとか、研究の成果とか、それらはどうでも良いことのように思われた。


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2 コメント

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世の流れ (きょろりん)
2009-12-02 13:02:21
こんにちは。

私も実は エキエル氏の名前をここ1年くらい前に 初めて聞いたのですが、現代ショパン業界(なんだか こういう言葉を使いたくなってしまいました・・)では どうやら かなり 有名な ショパン研究の大先生らしいです。
どうも 私は 世の流れに 疎いようで、全く 知らないかたでした。

つてがあって、エキエルの演奏CDもいただいたのですが。
(エキエル氏は かなり前の ショパン・コンクールの入賞者で、音楽院の教授でいらしたと記憶しています)

なんと言うか・・・正直に言うと つまらない演奏でした。
大変な失礼と知りつつも、「だから あなたは どう 弾きたいのですか!?」と 思わず 突っ込みを入れたくなるような。

演奏家としてよりも、ショパンの研究者かつ教育者でいらっしゃるのでしょう。
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Unknown (重松正大)
2009-12-03 13:04:05
きょろりんさんコメントありがとうございます。

エキエルの演奏は僕も聴きました。詰らないです。ただ、そうだからといってエキエル版を否定する必要はないですものね。

僕が面白く思ったことは本文に書きましたが、問題だなあと思うのは、ピアノ教育に携わる人たちのあまりにあっけらかんとした権威主義的な態度です。

教授が言った、ショパンコンクールが認めた、ぺんぺん草が生えた、その他。

それがなければ研究や様々の版が多いのは歓迎します。
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